「2010年代の映画を語る」中原昌也×廣瀬純@VACANT | dramatique

「2010年代の映画を語る」中原昌也×廣瀬純@VACANT

[HARAJUKU CINEMA CLUB]VOL.6「2010年代の映画」を語る。ということで中原昌也×廣瀬純のトーク@VACANT(12月で閉館しょぼん)へ。

 
わざわざFILMEXのクロージングをキャンセルしてまでこっちにしたのは、この2人の話を聞いたら元気になりそうな気がしたから。
 
で、久しぶりに原宿駅から竹下通りを通り抜けて会場へ向かったのだけど、当然ながら自分が暮らしていた頃と比べると、マクドナルド、ロッテリアと竹下口のショッピングビル以外はほとんど変貌しており、その荒れ具合に驚いてしまった。
 
以下、備忘録として記すので、たぶん何のこっちゃかわからないかも…Sorry…
 

向かって右奥が中原昌也、左手前が廣瀬純。
 
まず年代云々とはいえ、結局どうしても最近観た作品の印象が大きくなるよね…と言いながらも、1950年代くらいから現在までの簡単な分類説明を。これまでの映画を打ち破るがごとくヌーヴェルヴァーグが現れて1960年代となり(この先うろ覚え^^;)、1999年に『マトリックス』が現れヴァーチャル時代の2000年代へ突入。…で、2010年代に至るわけだけれど。
 
前半、『アズ・アストラ』の話題から、映画における地平がアメリカは宇宙、ヨーロッパは日々のことに向かっていた説に。(日本はそれらとは違うのだけど)小津の影響を多大に受けているというペドロ・コスタによって遠回りを経て出会った…みたいな話を展開。つまり『アズ・アストラ』に対する人々の感想が「退屈」だったりするのが小津映画の感想と一致している…みたいな。
 
『アズ・アストラ』は中原&廣瀬両氏共「これまでの宇宙もので観たことのない面白さ」を指摘していた。せっかく宇宙に来たのにクローズアップばかりで引きの画がないとか^^;…ただ、ジェームズ・グレイが描く父子の関係性には微妙な違和感を感じているようだった。
 
中原さんは、元々タランティーノが好きじゃないらしいのだが(中でも『パルプ・フィクション』が特に苦手で、理由は伏線だらけだから)、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は結構面白く観れたのだそう。
 
でも、『ジョーカー』はあまり…というか微妙だった話をして、そのポイントが私も気になっていた部分だったので、同意。
 
あと、中原さん的にはフレデリック・ワイズマン『ニューヨーク公共図書館』とポール・シュレイダー『魂のゆくえ』も評価しておられたが、元々ポール・シュレイダーのことは好きじゃなかったらしい(廣瀬さんも)。それにしても、この“好き嫌い”というやつは厄介だなあと思った;
 
中原さん曰く、自己言及的な映画が嫌いで、堂々と負け戦をやって見せている映画には共感できるとのこと。
 
そして、廣瀬さんは『ホーリー・モーターズ』における「身振りの美しさを保存」について一部上映しながら解説し、ウェス・アンダーソンにも言及&上映(彼は真正面、真後ろ、真横、真下、真上など「真」の人で、近代は斜めに見て考える時代であった…と)。さらに、『トイ・ストーリー4』を取り上げ、「メタファー無しでも感動を作れる」ことになかなか面白いな…と感じた話を展開。
 
つまり、廣瀬さん曰く、2010年代とは「メタファーの終焉」である…と。ドナルド・トランプの登場然り「何でも言っていい、やっていい」になってから、そうなってしまったのだという。
 
映画の対話で「好き嫌い」が介入すると、そこが合わなければどうしても話が終わってしまうので、やはり中原さんも言ってたけど、ベスト10などを発表して(そのことが重要だとか陳腐だとかは関係なく)、それを題材に話した方が良かったかもしれない。
 
2人が一致したのがハーモニー・コリンだったので、少し鑑賞して着地。
 
お客から2010年代の特徴として映画が完全にデジタル化したことが大きいのでは? という質問があり、2人共大きく頷いていたが、廣瀬さんは映画を観るのにデジタルかそうでないかより大きいスクリーンで観ることの方が重要に感じると答えていた。
 
P.S.
終了後、廣瀬さんにゴダール講座(上映しながら解説)をそのうちやってほしいとリクエストしてから帰途に。
 

表参道の冬景色は美しいねえ…✨
 
 
Bon Voyage★