人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経化城喩品第七』について 40 | 中杉弘の人間の探求

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436 ※今、盛んに言われていることは、「時は存在しない」ということです。仏法では最初から言っているのです。時というものは、存在しません。

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経化城喩品第七』について 40


 「仏の所化を蒙らずして 常に悪道に堕つ」
 仏の所化をこうむらずして、常に悪道に堕ちる。所化とは、小僧さんのことです。仏になろうとして、一生懸命努力している人を所化といいます。努力してもう仏になってしまった人のことを能化といいます。

坊さんには所化さんと、能化さんがあります。能化さんはある程度、修行が進んで仏法がわかっている人です。「私は昨日、仏道に入りました」と言うと、所化さんです。所化さんは、教えを受けるべき立場です。能化は、教える立場です。

「仏は世間の眼と為って 久遠に時に乃し出でたまえり」
 仏は世間の眼となって、久遠の時にいまし出でたまえり。久遠とは、限りなく時間が長いことを言います。

今、盛んに言われていることは、「時は存在しない」ということです。仏法では最初から言っているのです。時というものは、存在しません。

「時が無いとは、どのようなことなのか?」というと、一瞬しか存在しないということです。過去、現在、未来があるから、時と言うのです。時は三世にわたるのです。これが時ということです。

仏法では、「瞬間即永遠だから時はない」と言います。最近になって、物理学者は「時というものは存在しない」と言いだしたのです。アインシュタインは、「時というものは、相対的だ」と言ったのです。

人間は、「今は、12時20分だ」と時間を感じています。共通で時が過ぎていると思っているのです。「あの人の時も、私の時もみな同じだ」と思っているのですが、人それぞれ時は違います。そんなことがあるのでしょうか? 

もし、2022年3月15日に高速のロケットで飛び立ったとします。火星に着いて、3年間過ごしました。ロケットに乗って帰ってくると、地球上では5年過ぎていたのです。時が違うから、このようなことが起きてくるのです。

それをアインシュタインが言ったのです。皆さんもご存知の浦島太郎の物語がそれです。苛められた亀を助けると、亀が竜宮城に連れていってくれたのです。浦島太郎は、竜宮城で楽しい時を過ごしたのです。乙姫さまから玉手箱をもらい「これは決して開けてはいけませんよ」と言われて地上に帰ってきたのです。

浦島太郎が玉手箱を開けると、煙が出てきて、若かった浦島太郎がお爺ちゃんの浦島太郎になってしまったのです。昔の人は、「時間は相対的である」ということを感じ取っていたのです。

火星に行って地球に帰ってくると、時間が違います。火星では3年しか経っていなくても、地球では5年経っていたのです。そのように時が違うのです。時の進み方は、一定ではありません。

ということは、時という絶対的な時間は存在しません。そのことをアインシュタインは、少し言ったのです。時はありません。仏教では、瞬間を刹那(せつな)と言ったのです。瞬間即永遠です。瞬間とは、短い時間です。実は、瞬間と長い時間は区別がありません。

ということは、瞬間を極めると永遠の生命がわかってくるのです。それは、時が無いからです。瞬間という時があり、永遠の生命の時があるのでしょうか? そんなものはありません。仏法では昔から言っています。刹那即瞬間、永遠即瞬間です。瞬間しかありません。瞬間を問題にする人にとって時はありません。

座禅を組むということは、時を感じなくするためです。座禅を組むと、昔のことが思いだされてくるのです。「こうすればよかった」「ああすればよかった」ということが思いだされてくるのです。

すると、「雑念が湧いているな。そんなことはダメだよ」と肩をパシッと警策(きょうさく)で叩かれるのです。時はありません。何万年過ぎようと、時はありません。それを体験することが、座禅の一つの目的でもあります。凡夫は「時がある」と思っているのです。だから、「過去を反省します」となるのです。

今、貴方が30分座っていても、1時間座っていても、それは一瞬だったのです。貴方には、30分や、1時間という時間に思えたのです。それは、思い出になって「足が痛かったな」などと思うから、時が流れているように錯覚するのです。

「少年時代は楽しくて、今はオジサンになって管理職になった」と比べてみるから、「昔はよかったな」と思うのです。時があるとそのように思うのです。

ところが違うのです。「貴方はここに黙って座りなさい。座禅を組んで座りなさい」と言って座らせます。座禅を組んで座っていると、時間が流れているように思うのですが、時間は流れてなどいません。同じものなのです。

本当は、瞬間しかありません。永遠の生命と言うけれども、実は瞬間の生命です。その瞬間の生命を極めていくと、宇宙の正体であるところの永遠の生命がわかってくるのです。それが仏道修行です。瞬間即永遠です。我々は、瞬間即永遠と思えません。思えないから仏道修行をしていくのです。時間は瞬間しかありません。(40に続く)

 

 

『妙法蓮華経化城喩品第七』

仏の所化を蒙らずして 常に悪道に堕つ
仏は世間の眼と為って 久遠に時に乃し出でたまえり

 

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