暑い夏になると歴史論争に火がついてくる! ① | 中杉 弘の徒然日記

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※沙也可とは、左衛門尉(さえもんのじょう)なのか?」と日本名を当てはめていたのですが、和歌山の雑賀衆が沙也可になったのだと言われています。

 

暑い夏になると歴史論争に火がついてくる! ①

 

 今年も歴史の旅に行こうと思っています。まだ、日にちは決めていませんが、ブログを早仕舞いして、歴史の旅に行こうと思っています。

 歴史問題とは何でしょうか? 江戸時代の歴史もあれば、中世の歴史もあります。歴史で面白いのは、やはり古代史です。古代史は、日本人のルーツを求めての旅ですから、非常にロマンがあります。

 江戸時代は、約300年の歴史はわかっていることですから、面白くはありません。そこで、我々の歴史観は何処から教わったのかというと、司馬遼太郎です。僕の心の中にも司馬遼太郎史観が相当深く入っていたのです。

 「司馬遼太郎史観とは何か?」というと、簡単なことです。それは、「朝鮮人も日本人もない」ということです。「韓国で育てば、日本人でも朝鮮人になり、日本で育てば朝鮮人でも日本人になるのだ。その土地が人間をつくっていくのだから、民族は皆同じだ」というのが、司馬遼太郎の歴史観です。

 今でもそのように思っている人が多いのです。血の流れを言う人は、まずいません。血の流れというのも、一つの事実です。偉大な人が出る家系は、ご先祖様に偉大な人がいるのです。それを繰り返していくのです。これが血の流れです。

 天皇家が尊ばれているのは、血の流れです。天皇は儀式によって天皇になるのです。選挙で選ばれるわけではありません。天皇は最初から天皇です。これは、血の流れです。

 天皇の血の流れは誰も壊すことはできません。将軍といっても、壊すことはできません。天下の織田信長でも壊すことはできなかったのです。天皇陛下がおでましになると、「はっはー」と言ってしまうのです。

 江戸時代までは、京都の御所に天皇はお住まいになり、天皇に謁見する時には、御簾を挟んで会ったのです。天皇陛下と対面で会うわけではありません。天皇陛下の御顔は見ることはできません。御簾で隔たれた、一段高い所に天皇はいらっしゃるのです。万が一、顔を見てしまったら、無礼にあたるのです。

 従って、あの天下の信長でさえも天皇陛下に謁見したら、顔をあげることはできません。だからこそ、天皇は「信長、何か用か?」と言えるのです。天皇のほうから、ご機嫌伺いなどはしません。

 何故、そのような権力が維持できてきたのでしょうか? おじゃる麿の公家の陰謀や策謀はもちろんあったのですが、大事なことは血の流れです。「天皇は神とつながっているのだ」というところが、日本のオリジナルです。

 そんな家は、ありはしません。3千年も続いている家がどこにあるのでしょうか? 絶対にありません。だから、天皇は尊いのです。3千年続いている天皇を日本人は、守っていかなければいけません。

 そこに朝鮮人である鬼子さんが、しゃしゃり出てきて、「A宮をひっかけてやったわよ」と自慢していたのです。A宮はまんまと引っかかって、鬼子さんと結婚したのです。鬼子さんは、平民だから、天皇の血の流れとは全く関係のないことをやるのです。

 鬼子さんは、火差人さんを天皇にしようとしているのです。血の流れがないのですから、天皇にはなれません。これは、必ず証明されます。

 マスコミは、血の流れを言わないで、「火差人さまが、A宮の次の天皇だ」と言っているのです。ふざけるものではありません!

 皇統の血がつながっていなければ、何も尊いものはありません。A宮の行動を見れば、「血が違う」ということがわかるのです。

司馬遼太郎は基本的には左翼です。「朝鮮人も日本人もない。みんな平等だ。北海道には、オホーツク人がいるのだ」というのです。事実、オホーツク人はいたのですが、それはアイヌになったのです。

 和歌山には、雑賀衆(さいがしゅう)がいたのです。これは、鉄砲をつくっていて、鉄砲の名人が集まっていたのです。それが、豊臣秀吉の朝鮮出兵で朝鮮半島に行ったのです。朝鮮人は武器が何もありません。すぐに鉄砲で撃ち殺されてしまうのです。

 雑賀衆は、朝鮮人を気の毒に思い、「俺達は朝鮮軍に味方をしよう」と言って裏切って、鉄砲のつくりかたを朝鮮人に教えたのです。この行為は、李氏朝鮮の王様から称えられたのです。「雑賀衆は立派な人達だ」と称えられて両班になったのです。

 雑賀衆は、「沙也可(サヤカ)」になって、村全体が両班になったのです。それは、朝鮮軍に寝返って、秀吉軍と戦った功績によってです。今でも、沙也可は一族全員が両班です。そこに司馬遼太郎が訪ねていくのです。

 すると、暴走族がよくするウンチ座りをしているのです。顔も朝鮮人です。司馬遼太郎がお爺さんに「貴方がたの先祖は、日本人ですか? 異国で暮らしていることを、どのように思っていますか?」と聞くのです。

 すると、「我々は朝鮮人だ。日本から来たのは事実だけれども、今は完全な朝鮮人です。朝鮮の兵役もやってきているし、今でも両班なのだ。朝鮮人そのものだ」と言うのです。

 では、反対に朝鮮から日本に来た朝鮮人は、どうなるのでしょうか? それは、立派な日本人になっているのです。司馬遼太郎の『街道をゆく・韓のくに紀行』に書かれています。

 この「沙也可(サヤカ)」がわからないと何のことだかわかりません。「沙也可とは、左衛門尉(さえもんのじょう)なのか?」と日本名を当てはめていたのですが、和歌山の雑賀衆が沙也可になったのだと言われています。その村では、日本人が見事な朝鮮人になっています。その土地になじめば、そのようになってしまうのです。

 その反対に、秀吉の朝鮮出兵で連れてこられた朝鮮人が大勢いたのです。どのくらいいたのかというと、10万人の朝鮮人がいたのです。各藩の藩主が朝鮮人を連れてきてしまったのです。

 号令で朝鮮人を日本に連れてきたのではありません。武将は、各藩の殿さまであるから、独自に朝鮮人を連れてきたのです。それが、10万人もいたのです。10万人も半島から朝鮮人を連れてきてしまったのです。

 その主な人達が陶工です。それから、着物を織る人達を連れてきたのです。自分の村に住ませたのです。朝鮮村がたくさん出来てしまったのです。「連れていかれた朝鮮人を取り戻したい」というのが、朝鮮通信使です。

 「どのくらいの朝鮮人が半島から連れていかれたのか?」ということを調べて、「返してもらおう」ということで、九州から上陸して、江戸城までやってきたのです。5万人はわかって、「お前達、帰って来い」と言って、5万人は朝鮮半島に帰ったのです。残りの5万人は朝鮮半島には帰らなかったのです。その段階で5万人の朝鮮人が日本の中に紛れ込んだのです。

 これが鹿児島県の苗代川にいた沈 壽官の一族です。薩摩藩は面白い所で、沈 壽官の一族に武士の待遇を与えたのです。沈 壽官の一族は、陶工ですから朝鮮人の職人です。奴隷のように扱ったらとんでもありません。薩摩藩は、「朝鮮人として振る舞ってくれ」と言ったのです。

 村の入り口も朝鮮風にして、朝鮮の名前もそのまま残して、「この村の中で朝鮮人同士で結婚してくれ」と言ったのです。明治時代になると、中学校は鹿児島県に一つしかなかったのです。今の鹿児島大学のようなもので、旧制中学は鹿児島県に一つしかなかったのです。

 まだ大学はありません。旧制中学に通うと上級生に「この中に朝鮮人がおるど!」と言われたのです。まあ、鹿児島は野蛮な所です。上級生は、朝鮮人をボカボカに殴ったのです。「何をやったのか?」というと、何もやっていません。

 「朴」という苗字を見て、「この中に朝鮮人がおるど」と言われて、殴られたのです。それが続いたのです。朝鮮人だというだけで殴られたのです。これではたまりません。「朝鮮名を日本名に変えてくれ」と申し出たのです。

 「では、好きな名前を名乗ってよろしい」と言われて、「東郷」と名乗ったのです。薩摩藩の武士には、東郷平八郎元帥がいます。それとは違います。外務大臣の東郷重徳は、沈 壽官の一族の家系です。東郷元帥の家系ではありません。

司馬遼太郎が苗代川の沈 壽官に会うと、朝鮮風の家があり、「飲まんせい!」という立派な態度で焼酎をガブガブと豪快に飲んで歌を歌っていたのです。その歌は何かというと、関ヶ原の合戦です。

 島津家が負け戦になって、命からがら鹿児島まで逃げてきた、敗北の歌です。その歌をみんなで歌ったのです。関ヶ原の合戦の歌を歌い、踊り、酒を飲んだのです。まさに戦国時代、そのものです。

 司馬遼太郎はいたく感動したのです。「そうか、朝鮮人でも日本に来たら、日本人になってしまうのだな」と思ったのです。そのような話です。日本から朝鮮半島へ行った沙也可と、朝鮮半島から日本に来た沈 壽官の話を通して、そのように考えたのです。

 司馬遼太郎は、「そうか、民族などないのだな。結局、その土地に行ったら、その土地の民族と同化してしまうのだから、朝鮮人や日本人であるということはあり得ない」と思ったのです。(②に続く)

 

 

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