お伊勢参り紀行 ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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※伊雑宮(元伊勢)伊雑宮のご祭神は、天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)です。お社の右ー黄金のオーブ出現、多数オーブが写っています。上空は光が差し込んでいます。特別に1週間だけ写真を公開しました。(当日は曇りです。正理会は神様に歓迎されている団体です!)

 

お伊勢参り紀行 ①

 

 正理会では、毎年、お伊勢参りをすることが恒例になっています。恒例行事の一貫として、5月20日金曜日に伊勢に向かって出発しました。

 東京の本部を朝5時に出発しました。車はS63 AMG 4マチックのメルセデスベンツです。正理会幹部3名で出発しました。

 天気が心配されたのですが、初日は問題ありませんでした。渋滞もなく予定通り、東名高速道路から、新東名高速道路に進み、浜名湖パーキングで、早めの昼食をとりました。便利になったものです。

 江戸時代は、お伊勢参りというと、歩いて行ったのです。20日くらいかかったのでしょう。旅館に泊まり、伊勢神宮を目指したのです。今でも外宮の周辺には、古い旅館が数件残っています。

 僕達も、古い旅館に宿泊予約をしてしまったことがあるのです。旅館の廊下を歩くと、ギシッ、ギシッと音がするのです。明治の初期に出来たような旅館です。写真を見ると旅館の外観はよかったのですが、実際に行ってみると、もの凄く古い旅館でした。とても「泊まりたい」と思うような旅館ではなかったので、参ったことがあります。

 部屋に通されると六畳一間で、薄暗い部屋だったのです。ふすまを開けると、布団が落ちてきたのです。布団をちゃんと積んでいなかったのです。詰め込んでいたので布団が落ちてきたのです。

 ふすまを開けると、湿った布団が落ちてきたのです。「ここには泊まれない。ここを出よう」と旅館を出ようとすると、「宿泊代金を半分はください」と言うので、料金を払って旅館から出た記憶があります。

 もちろん温泉もありません。部屋は六畳一間で、薄暗く、身の置き所がありません。昔の人はそのような木賃宿に泊まって、何日もかけてお伊勢さまに辿り着いたのです。

 伊勢に着いて、最初に参拝したのは伊雑宮(いぞうぐう)です。4時頃までに参拝を済ませたのです。伊雑宮に着くまでは雲り空だったのです。伊雑宮に参拝すると、青空が出てきたのです。伊雑宮では顔なので、神主さんが、「お帰りなさいませ」と言ってくれたので、非常にうれしい気持ちになりました。

 その時に僕はこのようなことを考えていたのです。日本人は生まれた地域に鎮守の森があります。そこを氏神様と言い、僕は横浜生まれですが、「貴方の氏神様は何処ですか?」と聞かれたら「伊勢神宮です」と答えるようにしようと思ったのです。

 カッコイイでしょう。伊勢神宮を背中に背負って、日本国を直していくのです。氏神様は伊雑宮です。伊雑宮は知らない人が多いと思いますが、最初、伊勢神宮は伊雑宮に建てられたのです。海が近くにあり、目の前は田んぼです。非常に小さな神社です。でも、式年遷宮をやっている神社です。

 20年ごとにお社を新しく造るので、右となりの土地は空いているのです。あんな小さな神社でも、式年遷宮をやっているのです。この辺りは、縄文遺跡が多数出土している神秘の場所です。

 3年前に来た時には、顔と同じくらいの大きさのオーブが写っていたのです。オーブが20体以上、写っていたのです。この写真を見たい人は、東京事務所にお越しください。間違いなくオーブが写っています。

 昨年、参拝した時にも、オーブは写っています。今年の参拝でも、間違いなくオーブが写っていると思います。肉眼では、オーブはわかりません。写真を撮って、しばらく経つとオーブが写っているのです。オーブは不思議です。信仰心の深い人には、オーブが現れてくれるのです。

 元伊勢とは、伊雑宮のことです。ほとんどの人は、そのことを知りません。伊雑宮から伊勢神宮は始まって、今の内宮と外宮の場所に移転したのです。だから、伊雑宮のことを「元伊勢」と言うのです。

 今上天皇は、皇太子殿下の時に伊雑宮の前にある宿舎にお泊りになられたのです。由緒深い神社です。天皇陛下が行くような神社ではないのですが、皇太子様がいかれた神社です。縄文遺跡が出てくるので、古くから縄文人が住んでいた場所だったのです。

 伊雑宮に参拝して、外宮に参拝して、内宮に参拝するのが正しい参拝の仕方だと思います。造化三神と言うのです。造化三神とは、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神です。神社には、造化三神の神がいなければなりません。

伊雑宮のご祭神は、天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)です。外宮は豊受大神です。この神様は、天照大神に食事を捧げる神様です。内宮を含めて伊勢神宮と称する場所は、60万坪もあるのです。

 お宮の数は、125社あります。その一体を伊勢神宮と言うのです。真に神聖な場所です。何が神聖なのかというと、国家が出来た場所です。普通の神様とは違うのです。伊勢神宮は日本国家の守り神です。神様から発生している所に意味があるのです。

 僕は伊勢神宮に行って感じた事は、「これが僕の本貫地で、氏神様がいらっしゃるところなのだ。これからは伊勢神宮が僕の本貫地である」と思うようにしたのです。もっとも僕の先祖は、伊勢新九郎長氏(北条早雲)ですから、不思議はありません。

 「何処にある氏神様か?」ということによって、人間は違ってくるのです。「俺の氏神様は●●村の氏神様だ」と言うと、頭の中はそれだけになってしまうのです。

「伊勢の大神宮が氏神様だ」と言えれば、発想が広がるのです。日本の国家の神様が伊勢神宮なのですから、「私の神は伊勢神宮しかない」と言ってよいのです。

 伊勢神宮へ帰る時には、「只今、帰りました」という気持ちで帰るのです。すると、そのような発想が湧いてきたのです。

 伊勢神宮に多くの人がお参りしているけれども、そのようなことを考えてお参りしている人はまずいないでしょう。「何故、伊勢神宮にお参りするのか?」というと、「欲望を叶えたい」ということで行くのです。

 「体を丈夫にしたい」「長生きしたい」「良い学校に入りたい」「良い会社に就職したい」などという願いを持って、伊勢神宮へ参拝に行くのです。そうではないでしょう。伊勢神宮へ行ったら、国家というものを感じ取っていかなければいけません。

国家というものは、人工物(Architecture)です。国家は自然に存在するものではありません。国家は人工物です。人間が国家を造るのですから、神様から始めていくのです。

 そのような思いで伊勢神宮に参拝するとよいのです。すると心も爽やかです。僕は国家以外のことは考えていません。

 今回の伊勢神宮参拝の目的があります。それは、「A宮家を滅ぼしてください。A宮を滅ぼさないと、日本国が滅びます」、ということです。そのような祈りを持って、伊勢神宮へ参拝に行ったのです。

 祈りはただ一つです。A宮家の廃絶です。ニセ皇族A宮の退散です。正理会幹部も僕と同じことを考えています。(②に続く)

 

 

■安西孝之さんとA宮は、瓜二つです!

 

  安西孝之さんは、美智子さんの妹の亭主です。

 

※M子ちゃんと、 矗昶(もり のぶてるも、瓜二つ。

 森 矗昶は、安西孝之さんの祖父です。

https://www.yoshiepen.net/entry/2021/03/01/224414

 

 

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