世界に誇る、日本の快男児!(2)樋口季一郎中将 ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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※轟沈

 

   ソ連を撃滅する!

 

     池田末男連隊長のおかげで三千台の戦車を使えなくした。

 

       占守島(しゅむしゅとう)の戦いは、日本の大勝利だった!

 

          そのおかげで北海道の侵攻はできなくなったのだ!

 

 

 まず、二番目にあげるのは、樋口季一郎中将です。この人は兵庫県淡路島の生まれで、9人兄弟の長男です。

 陸軍士官学校卒ですから、非常に頭のよかった人です。陸軍大学にも進学しています。陸軍大学へ行く人は、参謀コースですから、偉さが違うのです。大本営参謀というのです。伊藤忠の会長になった瀬島隆三が大本営参謀です。頭が良いということは、桁外れです。伊藤忠の事業も見事に復活させたのです。

 瀬島隆三は、シベリア抑留から帰ってくると、伊藤忠商事に引き抜かれたのです。「是非、うちの会社へ来てください」と言われたのです。悪い噂もありましたが、伊藤忠の事業を建て直したのです。

 樋口中将も有名な陸軍士官学校を出ているのです。こんな偉い人はいません。樋口中将は、3つのよいことをしたのです。アラスカ準州のアリューシャン列島内にキスカ島という島があります。陸軍が6千名の日本兵を入れてしまって、自分達は転戦したので、6千名の日本兵を置き去りにしてしまったのです。

 「そんな連中を助けている時間はない。我々は、転戦しなければいけない」というので、キスカ島に6千名の日本兵を置き去りにしたのです。樋口中将は、その日本兵全員を助けたのです。

 樋口中将は、「武器を全て捨てろ」と言ったのです。援軍は来ません。「武器を捨てて裸になれ」と言ったのです。輸送船で全員を脱出させたのです。

 樋口中将が最も有名になったのは、ユダヤ人の救出です。当時、ドイツにいたユダヤ人はナチスドイツから逃れるために、ポーランドや、ウクライナに逃げたのです。ソ連は絶対にユダヤ人を入れなかったのです。

 2万人のユダヤ人が逃げてきたのです。ナチスドイツに捕まるとユダヤ人は全員、アウシュビッツ収容所に入れられて殺されてしまうのです。逃げてきたユダヤ人は、零下60度の寒空の下、ソ連領オトポールまで逃げてきたのです。

 ユダヤ人たちは、「満州国に入れてもらいたい」と考えたのです。日本とドイツは、日独伊の三国同盟がありました。日本はドイツに逆らうことはしたくありません。ドイツがユダヤ人を追いかけていたのです。「助けてくれ」と言って、ユダヤ人が日本に逃げてくるわけにもいきません。それで樋口中将は、「満州国ならば、よいのではないか」と考えたのです。

 満州国は日本の属国でもなく、五族協和で造られた国です。それで、ユダヤ人は満州国を目指して来たのです。その数、約2万人です。ところが、満州国の役人がビザを降ろさなかったのです。

 何故かというと、日本とドイツは条約を結んでいます。満州国は独立していると言っても、日本国のようなものです。ヒトラーに逆らうことになるので、ビザを降ろさなかったのです。

 樋口中将は、ハルピン特務機関長もやっていたので、「ユダヤ人にビザを降ろせ」と強引にやったのです。それで2万人のユダヤ人を救ったのです。凄い人ですが、そのことで東条英機と対立したのです。東條英機は、「ドイツと日本は条約を結んでいるのに、どうしてそのようなことをやるのか?」と樋口中将を問い詰めたので、クビ寸前までいってしまうのです。樋口中将は、東条英機に直談判をして、堂々と正論を述べたのです。「人命が第一だ。人種差別もないだろう。困っている人がいたら助けるのだ」と言ったのです。

 樋口中将は、2万人のユダヤ人を助けたのです。アメリカに逃れたユダヤ人の子孫が感謝をして、銅像まで建てたのです。ユダヤ人の恩人という立場にいるのです。お孫さんは、明治学院大学の名誉教授をやられています。

 そのような立派な人です。それから、終戦時に、大本営は「武器を置いてくれ」と言ってきたのです。ところが、読みが違うのです。樋口中将は、「必ず、ロシアがやってくる」と思ったのです。

 ここが大事です。「ソ連は、戦争が終わってから、北海道に攻めてくる」と、樋口中将は、思っていたのです。ソ連のことをよく研究していたので、「ソ連は必ず来る」と思っていたのです。

 だから、武器は置けません。「北海道にいる我々は、それを見届けるまで武器を置くことはできない」と言ったのです。当時の日本は、戦争が終わっていたのです。それでも、「北海道を守る」と言って、北海道で待機していたのです。

 当時、ルーズベルトとスターリンが2人で話し合いをして、「ソ連が日本を攻めてきてくれ。そうしたら、北海道から東北の岩手県まであげるよ」と言ったのです。このような密約を結んだのです。

 戦争が終わってから、スターリンは日本との条約を破って「日本を盗ってしまえ」ということをやろうとしたのです。それを樋口中将、一人が見抜いていたのです。問題は、いつソ連が来るのか?」ということです。

 ソ連は、とうとう占守島(しゅむしゅとう)にやってきたのです。やはり、ソ連は侵攻してきたのです。ソ連の計画では、「岩手県まで盗ってしまおう」という計画だったのです。

 日本軍は、武器を捨てないで取っておいたのです。戦車も処分したのですが、大部分は残してあったのです。その時の連隊長が池田末男大佐です。この人達が「戦争が終わったのだから、新しい日本をつくるのだ。乾杯」とやっていたのです。

 酒を飲みすぎて、ガーと寝ていた時に、いきなり砲弾がダーーーーンと飛んできたのです。「なんだ、これは、どこの国だ? アメリカかな?」と思ったら違ったのです。霧でよく見えなかったのです。

 宵闇で霧がかかっています。「どこの戦車だ?」と音を聞いてわかったのです。ソ連の戦車だったのです。丘の上に陣取って、音を聞くと「こっちにいるぞ、あっちにもいるぞ」とわかったのです。高台の砲台から、ダンダンダンと撃って、ソ連軍の戦車を撃滅したのです。

 池田大佐は滅茶苦茶な人で、ふんどし一丁で戦車の上に乗っかり、指揮をとったのです。もちろん、戦死したのです。凄い戦いが千島列島東端の占守島(しゅむしゅとう)で行われたのです。その時の戦死者は約300名だったのですが、後でソ連の資料を見ると3千名くらい死んでいたのです。(②に続く)

 

樋口 季一郎(ひぐち きいちろう、1888年明治21年)8月20日 - 1970年昭和45年)10月11日)は、日本陸軍軍人。最終階級陸軍中将[1]兵庫県淡路島出身。歩兵第41連隊長、第3師団参謀長ハルピン特務機関長、第9師団等を経て、第5方面軍司令官兼北部軍管区司令官。

第二次世界大戦前夜、ドイツによるユダヤ人迫害を逃れた避難民に満州国通過を認め[2]、「ヒグチ・ルート」と呼ばれた脱出路が有名。大戦中はアッツ島の戦いキスカ島撤退作戦ソ連対日参戦に対する防衛戦闘(占守島の戦いなど)を指揮した[2]

 

 

 

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