アビガンをつくれ! ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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要するに天才というのは、人が「できない」と言っていることをやるのです。「小田原城の傍にお城を造ろう」と思ったら何年もかかります。秀吉が言ったことは、「一晩で造れ!」と言ったのです。(石垣山一夜城跡)

 

 大変な騒ぎになってきました。4月7日に日本政府より緊急事態宣言が出てから、コロナウイルスの感染者が多数でています。

 トランプ大統領は、「何もしなければ死者は国内で200万人から300万人出る。手を打っても10万人くらい死者が出る」と言っています。そのような演説をおこなっています。コロナウイルスのせいで上へ下への大騒ぎです。

 何か見失っていませんか? 僕はいつも思うのです。中心点がずれているのです。「何が一番大事なのか?」ということを考えない方向にもっていっているのです。

 この問題は前から僕が言っていますが、アビガンを完全につくるということが大事です。それができない限り、この問題は終息しません。収まったと思ったら、またコロナウイルスが出てくるのです。

 「終息する」とは、どのような方法なのかというと、コロナウイルスのワクチンができたということです。今はコロナウイルスに効くワクチンがないので、栄養剤などの薬を飲むのです。他に効くものがありませんから、体力をつけて栄養剤を飲むしかありません。

 それから痛み止めや、よく眠れるように睡眠薬を飲むのです。そのような治療をしていくのですが、肝心なウイルスをやっつけるという治療法はまだありません。何故かというと、ウイルスをやっつける薬はまだありません。回りのことをやっているだけではダメなのです。

 このような場合は全力をあげて日本全国の英知を結集させなさい! 日本にはすごい秀才がいます。黄熱病のワクチンを開発した野口英世の「仕事とは何か?」というと、1日何万件という実験をするのです。いわゆる肉体労働です。

 それも泊まり込みで実験結果を見ていたので、実験が朝までかかります。ヘトヘトになるまでやるのです。家へ帰らないで実験の毎日ですから、もちろん床で寝たのでしょう。そんな生活をやって、「病原菌には何が効くのか?」ということは実験です。頭の中からは出てきません。

 やることは、「この細菌は、何を投入したら死ぬのだろうか?」という実験だけです。思いつく限りの実験をして、「これとこれはだめだった。今度はこれを試してみよう」と何千回も実験を行うのです。

 そのうち、「黄熱病にはこれが効く!」というものが見つかるのです。このアビガンもそうです。完成度が60%くらいなのでしょう。後の40%が足りないのです。60%までつくったのは、富山化学工業という中小企業です。富山大学の白木公康教授が監修したインフルエンザの治療薬です。

実験の仕方はあらゆるものをぶつけるのです。コロナウイルスにいろんなものをぶつけていくのです。コロナウイルスがなければ実験はできません。コロナウイルスが何で死ぬのかわかりません。まず、コロナウイルスを手に入れるのです。それで、培養して増やして、いろんなものをぶつけていくのです。

 「アルコールでどうだ」「メタノールでどうだ」と、自分が知っている薬を全部ぶつけていくのです。それで、「ある薬を投入するとコロナウイルスがヘタヘタになった。これだ!」ということを、おそらく富山化学工業も散々やってきたはずです。

 でもアビガンの完成率はまだ60%です。だから、厚生省の認可がおりません。でも、厚生省はアビガンを200万個つくるのです。「本当にどんな薬も効かない恐ろしいウイルスが出てきたら、アビガンを使う」という意思表示があったのです。

 厚生省はアビガンをまだ使えないけれども、200万個買っておいたのです。それが役に立っているのです。

 中国がとぼけたことを言っているのは、アビガンの契約の特許が切れているのですが、それを盗んで薬をバンバン製造しているのです。ファビピラビルと名前を変えてどんどん飲ませているのです。

 中国人には副作用など関係ありません。「これを飲めばコロナウイルスが消える」と言って、どんどん飲ませているのでしょう。多分、今でも飲ませているのでしょう。だから、中国からコロナウイルスの感染者が少なくなったのです。

 「中国はコロナウイルスが終息した」と、この段階で言ったのでしょう。アビガンを飲ませれば、コロナウイルスの感染者が減っていくのが目に見えたのです。だから、「武漢は終息しました」と言っているのです。

 すると「中国はもう終息して病人はいなくなったから、余っている医者を派遣する。マスクや薬品も足らない国は配ってあげますよ」といっているのです。すると「中国さん、ありがとう」と言って、イタリアは泣いて喜んでいるのです。「一生涯、中国さんに足を向けては寝られない」というところまで行ってしまったのです。

 それはともかくとして、アビガンの完成率は60%でもよいのです。認証するためには、90%くらいの完成率を要求するのではないでしょうか? 後の足らない30%を日本全国の秀才を集めて、アビガンを完成させればよいのです。

 それなのに「ワクチンを完成させるのには、1年ないし3年くらいかかる」などと寝とぼけたことを言っているのです。もっと早くやりなさい! 秀吉の小田原の一夜城のように、やればできるのです。

 要するに天才というのは、人が「できない」と言っていることをやるのです。「小田原城の傍にお城を造ろう」と思ったら何年もかかります。秀吉が言ったことは、「一晩で造れ!」と言ったのです。

 みんな「ご冗談でしょう」と思ったのです。何故かというと、山の上から木材を切り出して、それを川上から流していくのです。その木材が下流についたら、今度は加工をするのです。とでもではないけれども、一晩ではできません。

 それを秀吉は「やれ!」と言ったのです。これが有名な小田原の一夜城です。今でも一夜城跡は残っています。人間は何でも「やろう」と思ったらできるのです。(②に続く)

 

 

石垣山一夜城 

石垣山は、本来「笠懸山」と呼ばれていましたが、天正18(1590)豊臣秀吉が小田原北条氏を水陸15万の大群を率いて包囲し、その本陣として総石垣の城を築いたことから「石垣山」と呼ばれるようになりました。

この城が、世に石垣山一夜城または太閤一夜城と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり、山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採し、それを見た小田原城中の将兵が驚き士気を失ったためと言われています。しかし、実際にはのべ4万人が動員され、天正184月から6月まで約80日間が費やされました。

秀吉は、この城に淀君ら側室や千利休、能役者を呼び茶会を開いたり、天皇の勅使を迎えたりしました。

この城は、関東で最初に造られた総石垣の城で、石積みは近江の穴太衆による野面積みといい、長期戦に備えた本格的な総構えであったといわれ、度重なる大地震にも耐え、今日まで当時の面影が大変よく残されています。

この地は国立公園区域及び国指定史跡に指定されています。


面積 約5.8ha
富士箱根伊豆国立公園 昭和1121日指定
国指定史跡石垣山 昭和34513日指定

 

http://www.city.odawara.kanagawa.jp/public-i/park/ishigaki-p.html

 

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