人間の洞察 ② | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
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張 献忠(ちょう けんちゅう)は、明末の農民反乱軍の指導者で、黄色い顔色をして虎のような人相で黄虎(こうこ)と呼ばれた将軍です。張 献忠(ちょう けんちゅう)は、一日たりとも人を殺さなかった日はなかったのです。少なからず、子供が食われ、婦女の纏足(てんそく)が収集されたのです。昔、中国では女性に纏足(てんそく)を履かせて足を小さくしたのです。その纏足を収集して、紐につるして「でんぽう」と名付けたのです。
 

 中国人の兵隊は食料もたないで戦争に行くのです。「ほら、食糧はそこにあるだろう。殺した兵隊を食ってしまえよ」というのです。死んだ兵隊にかぶりついて食べてしてしまうのです。こいつらは、人間ではありません。

 これがシナ人の哲学です。そんな連中がアメリカを超えて、世界第一の経済大国になると、中国が隠蔽している、チベットやウイグルの悲惨な状況に行き着くのです。少しでも中国に逆らったものはぶっ殺すのです。

 北朝鮮の金正恩もそうです。少しでも逆らったものはぶち殺すのです。すぐに殺してしまうのです。中国の習近平は、日本を占領しようと考えているのです。その時に、「天皇陛下は生かすか、殺すか?」ということを考えているのです。習近平は、そのために天皇陛下に会うのです。

 「こいつは生かしたほうがよいのか、殺したほうがよいのか?」ということを見極めるために来るのです。中国共産党が支配するのに、「日本はどうなればよいのか?」ということです。そして、「どのくらいの人間を殺せばよいのか? 1千万人の人間を殺せばよいのか? 500万人を殺せばよいのか?」ということを計算しているのです。「こうすれば、この国は我々の国になる」ということも考えているのです。

 シナ人は、義理もなければ、人間の情もありません。約束もなければ何もありません。そのような、本当の野蛮国が中国です。その中国人に、一番あっている哲学が、共産主義です。

 共産主義のマルクス・エンゲルスの基本的な考え方は、「人間は物質である」という考え方です。彼らは深く進化論を信じているのです。無生物から生物ができて、生物がいろんな環境に適合することによって淘汰されて、あるいは発展してきて、様々な動物ができてきたのです。

 動物は機械と同じで都合が悪くなってしまえば切ってしまえばよいのです。殺して踏みつぶせばよいのです。「全体を10とするならば、そのうちの1割を殺してもよい。後の9割は残るのだ」。このような計算なのです。場合によっては、5割殺してもかまいません。あとの5割が残ればよいのです。

 共産主義は、全体主義になるのです。個人の生命や霊の存在は認めません。共産主義には、そんなものはありません。あるのは政治権力だけなのです。「何割を殺すか」という権力をにぎった政治権力者だけが尊ばれるのです。昔からそうなのです。

 中国共産党以前からの中国人の考え方がそうなのです。だから彼らは共産主義を受け入れたのです。共産党は支配者です。国民は奴隷ですから、共産党員の思うがままです。支配者である共産党員が「あそこにいる1千万人の人口は人肉にしてしまおう」と言えば、そうなってしまうのです。「あそこにいる連中は腐った思想をもっているから全員虐殺だ。ぶち殺せ。あの連中は生きていても意味がないのだ。腐っているのだから、親はみんな殺せ。子供が殺せばよいのだ」。そのような思想です。共産主義は殺しの思想です。

 共産主義は、人を憎みヘイトスピーチをする思想なのです。全体主義ですから、中国国民の1割や2割は死んでもよいのです。このような考え方です。共産主義は、基本的に神様はいないのです。霊はいないのです。神様にあたるものは、政治権力を持った時の権力者です。

 こんなことを考えている連中が、世界の指導者になったならば、世界は不幸になります。ヒトラーも、何百万人というユダヤ人を殺したといわれています。ユダヤ人をアウシュビッツに入れてガス室で、皆殺しにしたのです。何故、そのようなことをするのでしょうか? 結果的には、共産主義者は唯物論者なのです。

それと同時に、人間は「人を不幸にして喜ぶ」という悪魔的な性質を持っているのです。小泉元首相は、郵政民営化で郵貯をぶちこわして、「助けてくれ」という国民の悲鳴が聞こえると思うと、夜中にうれしくて無精してしまうというのです。

 「みんなが苦しんでいるな。うっひっひっひ、・・・・、うれしいな」という感じです。国民が苦しんでいると思うと「もっと、もっと苦しめてやるぞ!」と喜びが込み上げてくるのです。

 小泉元首相は、芸者こはんの首を絞めて殺したと言われています。「人の苦しみを見ると興奮してくる」という性格があるのです。サドマゾがあるのですから、そのような性格の人もいるのです。

 過去の歴史を見てみても、権力を持った者はみんな殺人を好むのです。ロシアのイワン大帝にしても、ローマのカリギュラにしても殺人を楽しんでしまうのです。イワン大帝は、昼間は普通に過ごしているのですが、夜になるとお楽しみの時間が始まるのです。

 そのお楽しみとは、お酒とお肉と殺人です。イワン大帝は、お酒を飲みながら肉を食べて、目の前で拷問を見るのが唯一の楽しみだったのです。「ギャアアアーーー」と叫び声を聞きながら、お酒を飲んで食事をして楽しんでいたのです。

 それと同じようなことをジンギスカンが言っています。「人生最大の楽しみは、国を征服して男を皆殺しにして、その目の前で女を犯すことである。そのくらいの楽しみは世の中にはない」といったのです。イワン大帝の発想と同じです。

 人間にはそのような魔性があるのです。そのような魔性の研究も、人間性の研究でしっかりやっておかないと人間学として成り立ちません。「人間は良いものか、悪いものか? 人間はどのようなことやってきたのか?」そのようなことを見ていかなければいけません。

 そのようなことを見ていくと、「人間は良い人だ」という人は少なくて、「ほとんどの人間が悪魔である」ということがわかるのです。

 地政学や政治学を教えるよりも、まず人間を見ていかなければいけません。「人間というものは野獣である。一皮むけば、手もつけられない野獣となるものなのだ」。それを日本国民みんなが知る必要があります。

 人間とは野獣なのです。どこにも「平和を愛する諸国民」などはいません。一皮むくとみんな「相手を食ってやろう」と思っているのです。「女は犯してやろう」と思っているのです。それが人間です。

 人間は恐ろしい生き物です。「人間は野獣である」ということを知っていれば、田中角栄が中国に援助するこということはなかったのです。天安門事件の時には、世界中が中国を非難したのです。3万人も自国民を戦車でひき殺した残酷な中国人には援助をしない」といって経済制裁をしたのです。

 その時に、ノコノコと中国に出かけていったのは日本です。「日本は中国に対して経済制裁をしません。中国を援助します」ということやったのです。これは、経済界の欲目なのです。

 「中国にうまく取り入れて、労働力を安く提供させていけば日本のためになる。世界で中国に対して経済制裁をしている間に、このすきに日本が出かけて行って中国さまに取り入れば、安価な労働力を独占できる」と思ったのです。

 そのおかげで、中国はさらに発展したのです。日本のせいなのです。これは悪いでしょう。人間学の基本である「人間とは、どのようなものか?」ということを知らないから、日本政府はそのような愚かなことをしたのです。

 今回も日本政府はまた、愚かなことをやろうとしているのです。習近平を国賓として呼んで、天皇陛下がお会いするのです。なぜそのような愚かなことをやるのでしょうか? チベットとウイグルの弾圧を見たら、とても習近平を国賓として呼ぶことなどできません。

 人間を殺して臓器売買をして、あまった人肉は食べてしまうのです。そんな恐ろしい人間を日本が認めてしまうということになると、よくありません。百田直樹さんは「もし、習近平を国賓として呼ぶなら私は、反安倍に回る!」といっています。

 「安倍さんはなぜそのような、愚かなことをやるのか?」というと、経済界の後押しなのです。経済界は中国の市場が欲しいのです。だから、「習近平を国賓として呼べ」と言っているのです。経団連の会長は朝鮮人です。だから、そのようなことを一時しのぎで考えるのです。人間について、まるでわかっていません。

 悪人を援助すると、必ず自分に返ってくるのです。このような人間学が一番大事なのです。それをわからないといけません。

 

 

■中国人の人肉食い

 

『資治通鑑(しじつがん)』という歴史書があります。有名な歴史書ですが、この中で隋末唐初の朱粲(しゅ さん)という将軍がいて、指揮を鼓舞するためにしばしば部下に激励しました。「よいか、この世で一番うまいものは人肉じゃ。しかも、どこへ行ってもいたるところにあふれておる。飢えてひもじいなど気に病む必要はないぞ。どこにでもいくらでもあるぞ!」という事を言ったのです。
実際に戦いがあると婦女・子供をとらえて釜ゆでにして兵士達に分け与えたのです。食料がなくなると自分達の領民を連れてきてぶっ殺して食べたのです。『資治通鑑(しじつがん)』にはそのような事が書いてあるのです。
 それから、張 献忠(ちょう けんちゅう)は、明末の農民反乱軍の指導者で、黄色い顔色をして虎のような人相で黄虎(こうこ)と呼ばれた将軍です。彼の軍勢は連戦連勝です。四川地方に入ると重慶を破り、成都で大西皇帝を称し、大順に改元して成都を西京としまた。『明會要』巻五十によれば、
1578年に人口3102073人だった四川は、嘉慶『四川道志』巻十七によれば、1685年には人口18090人に減少したと言います。
張 献忠(ちょう けんちゅう)は、一日たりとも人を殺さなかった日はなかったのです。少なからず、子供が食われ、婦女の纏足(てんそく)が収集されたのです。

昔、中国では女性に纏足(てんそく)を履かせて足を小さくしたのです。その纏足を収集して、紐につるして「でんぽう」と名付けたのです。四川地方で殺害された人間は男子60万人、女子40万人の100万人にのぼりました。殺した人間は全て食べてしまったのです。ですから、戦争に行く場合、食料はいらないのです。人間を食べてしまうからです。

 

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