日本刀と運命 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

※国宝 小太刀 銘 来国俊

(日本刀はため息がでるくらい美しいのです。日本刀は貴方を守護し、国の宝になるのです。日本人は刀とともに生きてきた民族です。守護神になる日本刀を日本人には持ってもらいたいと思います。)

 

 日本刀は人を殺す道具である。そのように考える人もいます。こんなことを考えるのは、少数の人間だと思います。

 日本刀の美しさに実際にふれてみた時に、「これは人を殺す凶器なのか?」という目で見る人間はまずいません。素直な心で日本刀に対面すると、まず何思うかというと「この日本刀の刀匠は、何を考えてこの日本刀を作ったのだろうか? よく斬れる刀を作ったのだろうか? そうではありません。「この刀を買ってくれる人に対して、敬意を表して、その人を守るための守護神になる」という気持ちで日本刀を作ったのではないかと思います。

 日本刀は、人を斬るためのもの道具ではありません。その人を守るためのものです。様々な災難からその人を守る、守り刀を作ろうと思って、刀匠は真剣に刀を作ったのに違いありません。

 炭をおこして、薪をくべ、火を焚き、鉄を打って、打って、打ち抜いて、「この刀を持ってくれる人の身を守りたい」そのような一心で作ったのに違いありません。

 だから、日本刀は素晴らしいものです。それを感じとらなければいけません。「この刀はよく斬れそうだ」と刀を見ている人がいますが、そんなことはどうでもよいのです。

 刀匠は「この刀は、貴方を守るために作るのです」という思いで作っているのです。だから、日本刀を持っている人の猟奇事件は起きないのです。そんな事件が起きたら、おかしな話であって日本刀はその人を守るのです。

 素晴らしいでしょう。だから、「日本刀を一振り持ちなさい」と僕は言っているのです。「そうか、この日本刀は私を守ってくれるのだ」というものです。日本刀は振り回すものではありません。

 日本刀を振りまわして、「人の命を奪おう」というものではありません。この日本刀を守護しているだけで、神様が自分を守ってくれるのです。刀匠はそのような気持ちで日本刀を作っているはずなのです。だから、刀が守護神になるのです。

 ヤクザ者は、刀を持っていません。ヤクザ者は持っているのは、「ドス」というのです。長脇差しのことを「ドス」というのです。「ドス」というものはいい加減なものなので、人々を脅す道具なのです。

 昔は百姓の鎌(カマ)や鍬(クワ)を作っている人が刀を作ったのです。野鍛冶というのです。刀鍛冶ではありません。それが刀に似せて作ったのです。全然精神が入っていません。大部分のヤクザは、そのようなドスを持っていたのです。

 刀とドスは違うのです。ヤクザでもよい刀を持っていた者もいます。国定忠治や、清水の次郎長などは、結構良い刀を持っていたのです。その人たちは立派な人です。あとのヤクザ者は旅烏とか、鯉名の銀平は、野鍛冶が作った数打ち物の刀を持っていたのです。

 そんなものは見る影もありません。刀が大事なのです。よく、匕首(あいくち)と称して、短い刀(一尺一寸)を持っている人がいますが、そんなものは野鍛冶がつくった刀です。終戦当時は、みんな刀を持っていたのです。

 昔は横浜の野毛へ行くと、ナイフや短刀が売られていたのです。そこに、ドスも並べて売っていたのです。そんな刀はロクな物ではありません。刀を見るべきものが何もありません。

 終戦当時はそのような白鞘(しろさや)の刀を買ってみんな持っていたのです。本当の刀というものは、短刀を作らせても一本5百万円はします。鉄の材料を選ぶ時から魂を入れて、炭の一つ一つから魂を入れて、火入れで魂を入れて、1か月間ぐらいかけて作り上げるのが日本刀です。それはやはり美しいものです。

 精神を入れられた日本刀は、どこから見ても迫力が違います。人間でもそうです。鍛え打てば剣となるのです。鉄を鍛えないで刀を作れば、刀の形ができますが、中身はなまくらです。ドスになってしまうのです。

 ドスとは、脅す道具です。これと比較されるのが朝鮮の刀です。あれは、薪割りと同じです。普段はその辺にほっておいて、錆だらけです。薪割りは、薪を割るので役に立つけれども、錆びた刀は役に立ちません。

 朝鮮の刀は、その辺に転がしておくので雨が降って、刀の鞘の中に露が入って刀が錆びてしまうのです。朝鮮人はそれを見ても何とも思わないのです。「いざ戦争だ!」という時には、その錆びた刀を担いで持っていくのです。

 担いで刀を持っていくのですが、刀が錆びていて鞘に入らないのです。だから、朝鮮人は鞘など持っていません。鞘を捨てて、刀を担いで戦争に行ったのです。

 要するに、朝鮮人にとって刀は人を殺す道具ですから汚れたものなのです。台所に転がしておくのは、当然かもしれません。道具だったらそうなるのです。

 しかし、日本刀だけは違うのです。刀匠は、「この人守りたい。この刀が守護神になる」という思いで作っているのです。刀を持った人は、「俺に守護神が来た。素晴らしい刀だ。これは俺の命だと思って大事にしていこう。絶対に錆びさせない。」と思うのです。

 刀を錆びさせる人は、刀を持っている資格がありません。今、日本には何百万本という刀があります。それは大事にされてきたから、錆びてなどいないのです。それはすごいものです。

 ヤクザの持っている刀は、ドスです。人々を脅す道具です。それはやはり大事にはしません。だから、ヤクザ者の使った刀などは一本も残っていません。

 今、残っている刀はみんな立派です。江戸時代に作った刀でも、150年~200年は経っているのです。江戸時代から現代までの長い間に大事に保存されてきた日本刀です。刀を保存するのは大変です。

 まず、火事にあってはいけません。火事に遭うと刀も一緒に焼けてしまうのです。焼けてしまった刀の価値はもうありません。焼けた刀は元に戻りません。

 戦乱にも負けず、火事にも負けず、現代までずっと保存されてきた日本刀は、みんな立派な日本刀だと僕は思います。そのような立派な刀を50万円か100万円で買えたら、素晴らしいと思わなければいけません。

 日本刀を買う時にはやはり「守護神をいただく」という気持ちが大事です。「刀を買ったから人を斬る」という気持ちが起きなくなって当たり前です。守護神になる日本刀を日本人には持ってもらいたいと思います。

 日本人は刀とともに生きてきた民族です。それもズバズバと人を斬り殺して暴れまくる刀ではなくて、守護神としての日本刀のです。だから、皇室の行事には必ず刀を使います。

 天皇の即位式には、秋篠宮さまが刀を帯刀していました。天皇陛下は高御座に登られた時は帯刀していませんでした。侍従も刀を帯刀していました。これが本来の日本人の姿です。刀は宝である。日本人の魂である。

 どんな駄物の刀でも、長い間大事にされてきたのです。刀一本作るのには一月以上かかります。師匠が一人、弟子が二人で一振りの日本刀を作ったらいくらになるのでしょうか? 100万円くらいになってしまいます。

 それが古刀は、50万円ぐらいで買えます。そのような意味でいうと、日本刀は安いのです。今作ったら、100万円ぐらいかかる刀が、50万円ぐらいで買えます。江戸時代から伝わってきている刀というものは、もっと良いものです。それが50万円ぐらいで買えるのです。ぜひお金をためて日本刀を買うことをお勧めします。日本刀は神である。神を持つから、その人も神になっていくのです。

 

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