首里城の守礼の門 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

※(左)李氏朝鮮時代の迎恩門(不格好です)

 (右)沖縄の守礼の門(こんな美しい門はシナ人にも、朝鮮人にできません。首里城の焼失は、世界的な損失です。

 

 沖縄には首里城に守礼の門があります。それから、韓国には、迎恩門(げいおんもん)があります。この2つの門は、象徴です。この2つの門を通るのは、中国皇帝の家来です。家来というところに注目です。王様が来るわけではありません。李氏朝鮮は、冊封国であったので皇帝の家来が来て、朝鮮王は、はいつくばって迎えたのです。

 沖縄の守礼の門は「礼を尽くす」という意味です。礼とは何かというと、「中国から来る御一行様に対して、徹底的な礼を尽くす」という意味で、守礼の門というのです。もし、それを怠ったりすると沖縄の存在は消えてしまうのです。

 だいたい、シナの皇帝の家来は、千人くらいで来たのです。それで、1ヶ月、毎晩宴会が続いたのです。そして、多くのお土産物をもって、中国に帰っていくという習わしがあったのです。

 沖縄の場合は、薩摩藩が入ってくるので、薩摩藩に対しても守礼を行ったのです。たまったものではありません。あっちへ向いても「お金を持って来い」と言われて、こっちを向いても「お金を持って来い」と言われるのです。

 このようなものを冊封体制というのです。朝鮮においてはもっとひどいのです。シナの皇帝の使者に対して、頭を地面に9回打ちつけて、土下座をするのです。これを、三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)といいます。少しでも対等にはしないということです。

 毎日、毎晩、美女をはべらせて酒席が続いたのです。シナの皇帝の家来は、マッコリを飲んで、美味しい物を食べていたのです。シナの皇帝の家来に対して無礼なことをすると、ちゃぶ台返しです。「こんなものは食えるか!」とやられるので、ご機嫌を損ねないように丁重にもてなしたのです。

 また、シナの皇帝の家来が帰る時には、迎恩門まで送ったのです。これが朝貢です。シナの皇帝のために貢物を送り、臣下にしてもらうのです。シナの皇帝から見て、朝鮮王は第十番目くらいの家来です。朝鮮王が着る着物の色も決まっているのです。

 それはシナの官位です。それは日本には及びません。日本は最初からそんなものは受け付けていません。シナの官位の真似はしたのですが、中国皇帝から官位を授けられて「お前はこの色を着ろ」ということはなかったのです。

 日本は昔から独立しています。古来から日本は独立国です。海を渡って、日本を治めることなどできないのです。

 しかし、それにつけても大モンゴル帝国は凄いのです。もの凄いスピードで大陸を移動して国を治めてしまったのです。モンゴル人に治められた国は、王様をつくっておくのです。蒙古のやり方は残酷です。

 このスピードと、戦闘力を見ると、「やはりジンギスカンは源義経だったのではないか?」と僕は思います。そんな英雄は草原には現れません。草原にいきなり英雄が出てきてシナ大陸を統治することなどできません。

 シナ大陸のこと、中東のこと、東ヨーロッパのこと、カスピ海のことなど知っていないと征服などできません。やはりジンギスカンは知っていたのです。そのようなことを知っていくことを軍学というのです。

 普通のモンゴルの遊牧民は数十人単位で生活をしているのです。牧草がなくなったら、草原を移動するのです。そのような生活をしていた連中が、世界征服の野心など持つはずがありません。絶対に持ちません。

 遊牧民は「草はどこにあるのか?」ということを考えていればよいのです。それが、全世界を制覇したのです。蒙古人は面白いことに、全世界を制覇したのですが、何も持っていかなかったのです。「財宝を全て奪っていった」ということはありません。ジンギスカンの子孫が紫禁城から草原に引き上げていく時に、何も持っていかなかったのです。

 もって帰ってきたものは、昔ながらのテントとそこで行われる食事です。羊を殺して茹でて塩で食べるのです。昔の習慣に戻ったのです。あれだけ大きな紫禁城を造り、ハンガリーまで征服したのに、元の草原の民に戻ったのです。

 やはり、ジンギスカンは義経だったのだと僕は思います。ジンギスカンの代で、世界征服を成し遂げたわけではありません。義経は初代フビライ・ハンです。第六代目で滅びてしまうのです。真に不思議な雄大な物語です。

 雄大であり、残酷でもあります。何しろ、滅茶苦茶です。モンゴル軍に「降伏しない」という国は、城に籠城します。その城に大砲を向けて、人間の死体を城に撃ったのです。すると死体からバイキンが繁殖して、籠城している人々は参ってしまったのです。そんなことは平気です。

 「降伏しない」と言ったら、人間を捕まえて生きたまま大鍋に入れて、煮て食べてしまうのです。このやり方を見ると残酷です。

 草原に戻ったモンゴル人は羊を食べていたのです。それも岩塩しか使いません。変な香辛料は使いません。モンゴル人は中国料理も食べているのに、草原に戻ると中国の料理は取りいれていません。

 モンゴル人は塩茹でした羊の肉を上手そうに食べるのです。馬乳酒も美味しいのです。馬乳酒はアルコール度数がビールくらい低いのです。日本酒の度数が13~15度です。馬乳酒は4~5度です。ビールと同じ程度です。度数が弱いので、馬乳酒をガップン・ガップンと飲んでも酔わないのです。

 中国の冊封とジンギスカンの話をしてみましたが、冊封はひどいのです。日本は中国の冊封を受けていません。だからこそ日本人である源義経が大陸に渡りジンギスカンになって、大暴れをしたという説は、うなずける説です。

 義経は何よりも、戦争の名人です。鞍馬山で修行して、様々な兵法書を読んでいたので、戦争の仕方を知っているのです。兵法は剣術ではありません。兵法を知っているということです。今後、義経もますます注目されると思います。沖縄の琉球王の先祖は源氏です。

10月最後の日に、琉球王国の首里城に火災があったということは、「シナの冊封を受けないのならば、こんなものはいらない」というメッセージでしょう。とにかく、日本は冊封されないために中国人には気を付けましょう。

 

 

お読みいただきありがとうございます。
よろしかったらクリックしてください。

応援よろしくお願いします!

    ↓↓↓


人気ブログランキングへ

 

『中杉 弘のブログ』2006年より、好評連載中です!

     ↓↓↓ 

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137