三島由紀夫と川端康成 ② | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

三島由紀夫は、自衛隊に「魂ふり」をしたのです。「この国を変えるのは自衛隊員しかいない」というのが、三島由紀夫の結論です。

 

三島由紀夫は、「生と死」という大テーマから、だんだんと仏教に入っていったのです。仏教が、一番生と死について深く研究しているのですから、当然仏教の研究に入ります。

仏教に入ったついでに、ウパニシャッド哲学にも入ったのです。仏教の研究も最終的には、法相宗の唯識論で止まったと僕は見ています。法相宗の唯識論が三島由紀夫の体得された境涯です。法相の唯識論とは、易しく言うと「この世は、バーチャルリアリティーだ」ということです。

この世は全てバーチャルリアリティーなのです。みんながそれぞれの夢を見ているのです。何処にも現実はありません。三島由紀夫は、そこに到達したのです。「そうか、この世はバーチャルリアリティーか、何も現実は無いのだな」ということです。

最初は、このように考えたのです。「仏教は輪廻転生を説きます。それと同時に無我を説きます。それはおかしくないのか? 輪廻転生とは、我(が)が生まれて、生まれ変わっていくことです。その輪廻する主体の我(が)を仏教は無我だと説いているのだから、おかしいのではないのか? 何が輪廻転生するのか?」ということが書いてあるのです。

三島由紀夫はしばらく考えたのですが、結論は出なかったのです。出ないのです。ただ、法相宗の唯識論の教えを『豊饒の海』四部作の「暁の寺」で、累々と述べているだけで、結論については述べていません。

 「この世は、バーチャルリアリティーである」ということは、わかりやすく僕が言っている言葉ですが、だいたいそのようなことです。もうちょっと進んでもらいたかったのです。

 進まなければいけません。そうすれば、もっと違うものが見えてきたのです。仏教では、「我(が)はない。無我である」と説きます。無我なのに何が輪廻転生していくのでしょうか? 

 これにきちんと答えられないと、「仏教を理解した」とは言えません。これが文学者の限界です。それはそれでよいのです。読み物としては非常に面白いと思います。

 三島由紀夫には、様々な面があります。一つではありません。まず、言われているのは、「ホモだ」ということです。それから、「マゾだ」ということです。ホモでマゾです。そのように三島由紀夫を見ている人は大勢います。

 このような面も確かに存在するのです。三島由紀夫の最初に訳した小説が、『聖セバススチャンの殉教』です。それは、十字架に縛り付けられたセバスチャンというお坊さんにみんなが矢を放つのです。すると、ブスブスブスと矢が刺さるのです。そのようなことを読んで、「興奮した」と言うのです。

 そんなものを想像して興奮するとうことは、マゾっけがあるのです。普通は「とんでもない、刺さったら痛い」と思います。それを読んで「矢が刺さっている人間は、どんな心境なのか?」と考えるのは、マゾなのです。

 マゾだから多少その気があるのでしょう。切腹などというものも、マゾだからできるのです。普通はなかなかできません。

 それから、三島由紀夫は美輪明宏を追い求めたのです。「何をしようというのでしょう」美輪明宏はそのように言っていたのです。三島由紀夫は美輪明宏に本当に惚れきっていたのです。まあ、確かに美輪明宏は美しかったのです。そのようなことを見ても、多少のホモっけもあったのです。その程度にとどめておけばよいのです。

 「マゾ、ホモから三島由紀夫を解く」というのは、邪道です。性癖はどんな人間でもあります。そんなもので、偉大な文学はできません。もっと大きな衝動がないとできません。

 三島由紀夫の大きな衝動とは、「愛国とは何か?」ということです。要するに特攻隊の少年たちは愛国心をもって死ねたのです。「最高に幸せだ」と言うのです。それでは、「愛国心とは何であるのか?」と考えていくと、これは僕と一致しているのです。天皇陛下を崇拝して、我が国の2800年の歴史を大事に思う」と言うのです。僕と同じことを言っています。

 これが三島由紀夫の言う愛国者です。この2つがない愛国者などいないのです。「天皇を尊敬して我が国の歴史を尊敬する」ということが、「愛国」ということです。そのために「死ぬ」ということは、天皇のために死ぬということであり、我が国の歴史に準じることでもあります。

 「そのようなものを持てた特攻隊の青年たちは羨ましいのだ。今は、そんなことはできない」と言っていたのです。特攻隊の青年たちは、まともに信じ込んで「天皇陛下万歳!」と言って、特攻機で敵艦隊に突っ込んだのです。

一杯飲んでみんなニコニコ笑って、「明日は靖国神社で会おう」と言っているのですから、それはもう生死を超越してしまっているのです。そのような生き方もあるのです。

 「自分は何に命を懸けたらよいのか?」と考えて、「自分は憲法改正に命を懸ける」と思ったのです。この占領軍に押し付けられた憲法では、日本を守ることはできません。「これに命をぶつけて死ぬのだ」と考えたのです。

 その決意で自衛隊に乗り込んだのです。「この憲法に命をぶつけようじゃないか」と言うと、自衛隊員はヤジを飛ばして、誰も聞く耳を持ちません。「これはダメだな」と思って、三島由紀夫は切腹をしたのです。

 すると自衛隊は翌日変わったのです。司馬遼太郎が毎日新聞の一面を使って書いていました。「三島由紀夫は革命の元基になろうとしたのだ。これは絶対に真似をしてはいけない」と書いたのです。

 司馬遼太郎は、吉田松陰を例に出して書いていたのです。もっとも三島由紀夫の自決の日は、吉田松陰の命日です。吉田松陰の命日(11月21日)を選んだのです。それが革命の元基になっていったのです。三島由紀夫は、その日を選んだのです。(実際は、11月25日です。多少のずれはあります)

 三島由紀夫は、革命の元基になったのでしょうか? 見事になったのです。今、自衛隊を見て御覧なさい。見事に変わってしまったのです。40年かかったのですが、見事に変わってしまったのです。

 三島由紀夫は、自衛隊に「魂ふり」をしたのです。「この国を変えるのは自衛隊員しかいない」というのが、三島由紀夫の結論です。民主主義などで国家は変わりません。日本を元に返す力を持っているのは、自衛隊だけです。そのような事件です。

 要するに「民主政治などはインチキだから、そんなもので世の中は何も変わりはしない」と思っていたのです。三島由紀夫の愛国心は見事に一貫していたのです。そんなことを川端康成がわかるはずがありません。川端康成は三島由紀夫の25歳年上だったというけれども、明治生まれですが、大正デモクラシーが染みこんでいたのです。

 「デカダンス」または、耽美主義といいます。美しいものを称える文学です。「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」という文章は上手いのです。真っ暗なトンネルを抜けると、そこは真っ白な雪国ですから、文章は上手いと思います。

 パッと雪国の景色が思い浮かびます。そこに芸者駒子がいるのです。そのような話です。風景も美しいし、『伊豆の踊子』にしても、実に文章は上手いのです。耽美主義です。三島由紀夫の道を求めていく求道心の生き方とは全然違います。

 耽美主義の連中には、道を求める気持ちはありません。自分が今見て美しいと思うものを追い求めていくのです。全然違う感覚です。

 川端康成は三島由紀夫に、「ノーベル賞は俺がもらう。俺のほうが25歳年上だから、俺にもらわせてくれないか」と言ったらしいのです。三島由紀夫もノーベル賞が欲しかったのです。何故、ノーベル賞が欲しかったのかというと、理由があります。

 日本の文学などというものは、西洋人に全く相手にされていません。世界の大文学は英語だったり、ロシア語です。「日本の文学は世界では認められていないのだ。俺の文学は認められる必要があるのだ。そのためには、ノーベル賞が欲しい」と言っていたのです。

 三島由紀夫は、「ノーベル賞がもらえれば、中身が世界に広がっていく。そのために俺はノーベル賞が欲しい。熱烈に欲しい」と家では言っていたらしいのです。ところが、川端康成は大先輩です。「三島君、ノーベル賞は俺にもらわせてくれないか」などと言われたら、仕方ありません。

 結果的には耽美主義の川端康成がノーベル賞をもらったのです。もらった後に川端康成は気が付いたのです。「これは、俺がもらうべきものではなかった。日本人として三島君がもらうべきだった」と思ったのです。

 川端康成は自分の姿勢を恥じたのです。「ノーベル賞は俺がもらいたいなど、何と言う俗物か。恥ずかしくてこれ以上生きてはいられない」と思ってガス自殺したのです。その前から睡眠薬を飲んで階段から落ちたのです。

 二階の部屋に泊まっていて、階段から落ちたのです。川端康成は、睡眠薬を2種類もっていたのです。恥じたのはそれです。「三島君、悪かったな」と恥じて死んだのに違いありません。それ以外、死ぬ理由などありません。

 このような2人の文豪がいたのです。三島由紀夫は愛国者であり、真実を追及する文学者であり、もう一人は耽美主義の美を探求した川端康成です。2人が対照的に論じられていたので、「三島由紀夫×川端康成 運命の物語」は、面白い番組でした。

 特にその中で、瀬戸内寂聴がわけのわからないことを言っていました。「三島先生は変な目つきをしていた。あれは野獣の目つきだ」と変なことを言っていたのです。そのようにして、人を貶めているのです。

 「野獣の目だ」などと言われて、知らない人が聞いたら「三島先生は野獣なのか」と思ってしまいます。瀬戸内寂聴はよくないババアです。95歳になっても朝から肉を食っている瀬戸内寂聴こそ、老いた雌獣に違いありません。

 

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