人食いの歴史 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

 中国人が人食い土人であることは有名です。中国では毎年、何千人という女性が死刑になります。その理由は簡単です。「聖書をもっていた」など、そんな理由です。中国では、聖書をもっていただけで死刑になってしまうのです。

 か弱い美しい女の子を連れていって、座らせて後ろから後頭部に銃弾を撃ち込むのです。すると、コロッと死んでしまいます。表には救急車が待っています。今、殺したばかりの人間を解剖して、救急車の中にある臓器箱に臓器を入れて、すぐにドナーとして病院にまわされるのです。ドナーが欲しいから殺すのか、社会になじまない分子だから殺すのか、どちらだかわかりません。

 そのドナーは高官の臓器移植に使われるのです。まさに、人食いの最たる行為です。臓器を取るために殺すのです。恐ろしい民族です。これもまだよいほうです。

 あの有名な孔子様は、醤(ジャン)が大好きだったのです。ジャンとは、人間を殺して1センチ角に斬って、それを塩でつけるのです。場合によっては麹を入れて、1年間くらい寝かせるのです。すると発酵してきて、よい味になるらしいのです。豚肉の塩漬けなどがありますが、同じようなものです。孔子はジャンが大好きで、それをいつもご飯の上に乗せて、食べていたのです。ジャンが大好物だったのです。

 ある時、孔子にジャンが送られてきて、それを孔子は「美味しい!」と食べていたら、「それは誰のジャンだかわかりますか? 貴方の弟子の顔回のジャンですよ」と言われて、さすがの孔子もそれ以来、ジャンが食べられなくなったのです。そのように書いてあるのです。これもシナ人の人肉食いの例です。

 ひどい民族です。人間を切り刻んで食べる、生きたまま削いで食べるなど、するのです。ある将軍は兵隊を並べて、兵隊の目玉に手を突っ込んで目玉をくりぬいてパクッと食べてしまうのです。

 ともかく、シナでは人間の肉のこと双脚羊(にそくよう・二本足の羊)」といって、日常茶飯事で売られていたのです。有る時は、国と国が戦うと、人間を食ってしまうので、人口が半数以下になってしまったのです。

 日本にも人肉の歴史があります。戦で城に籠城して、食い物がなくなると人肉に手を出したのです。豊臣秀吉が高松城を攻めたときに、城内で人肉食いが始まったのです。すると、「城主が切腹すれば許す」ということになるのです。

 東北の大飢饉でも、子供が死ぬと自分の子供は食べられないので、持っていったのです。「どうぞ、これを食べてくらっせ。その代わりここで誰か死んだらわしらにくだっせ」という取り決めをして人肉を食べたのです。飢饉で、食べ物がなくなってしまったのです。

 今でも中国で売られていますが、「人肉まんじゅう」という食べ方もあります。もちろん、人肉ステーキもあります。シナ人は人肉を見ても何とも思いません。食料を見て「気持ち悪い」とは思いません。シナ人は人間を見ると「美味そう」と思うのです。日本人と全然感覚が違います。

 ジンギスカンも遠征して相手が逆らうと、捕まえて大釜に生きたまま放り込んだのです。するとグツグツと人間が煮えます。それをみんなで食ってしまうのです。インカもそうです。まず、心臓をえぐって、皮を剥いで、残った肉を大釜で煮て、みんなで食うのです。

 古来から、人間はそのような残酷なことをやってきたのです。私の知り合いにも朝鮮人がいました。横浜市生麦町で、ある人が列車に引かれて死にました。列車に引かれて死んだ人のことを「マグロ」といいます。

 手足がちぎれて、マグロを解体したときのようになってしまうのです。それを見にいったら、今は有名なある歌手の親父が豚を飼って、ドブロクをつくっていたのですが、その親父が足を一本ヒョイと担いでいこうとしたのです。すると警官に止められて、「お前、何をするのだ!」と言われて、「いやあ、あまりにも美味そうなので、これを食おうと思ってね」と言ったのです。

 日本人には死体を見て「美味そう」などと思いません。朝鮮人には、「美味そう」という感覚があるのです。人肉を見て「美味そう」と思うのです。日本でも猟奇事件がたくさんありますが、みんな朝鮮人の犯行です。

 世田谷一家殺人事件も朝鮮人の犯行です。人肉は食わなかったにしても、殺した場所に5~6時間もいたのです。その場所でアイスクリームを食ったりしているのです。普通の人間の神経では、とうていできません。

 座間市9人殺しの白石隆浩もそうです。あの事件は間違いなく人肉を食ったのです。管理人がいつ行っても「料理の匂いがする」と証言していたのです。冷蔵庫は3つくらい買ってあり、臓器を仕分けして、1週間に一体食っていたのです。

 だから、朝鮮人は犬を殺すことを何とも思いません。犬を見たら「美味そうだな」としか思いません。「可愛い」などと思いません。

 ジンギスカンは、遠征するときに食料をあまり持っていきません。ボルツというフットボールくらいの入れ物に欲し肉を入れて持っていったのです。天日で干して、カラカラになった干し肉をボルツの中に入れて突き固めるのです。

 たくさん干し肉を入れて、遠征のときにはそれをもっていくのです。夫人は「遠い遠征に行くのだな」とボルツの数でわかるのです。馬の鞍にボルツをぶらさげると、どのくらいの遠征かわかるのです。それをお湯にといて食べるのです。

 ところがボルツは非常食なので食べません。現地に行ったら、人間をぶっ殺して鍋に入れて食べてしまうのです。そうすれば食料はもっていかなくてよいのです。野蛮な民族です。もともと草原の民ですから、動物を殺して食っていたのです。

 生き物を見たら「殺して食ってしまおう」と思うのです。彼らは日常茶飯事で羊を殺して食べているのです。それが食料です。人間など見ても食料にしか思わないのです。

 「あそこで人間を殺して食料が腐ってしまったら、もったいないから早く食ってしまおうぜ」という感覚です。残念ですが、人間はこのような残酷な面をもっています。その中で最も残酷な民族が朝鮮人です。先祖は山葡萄原人です。人間も犬も食ってしまうのです。野蛮人ですね。こんなことをやっていたら人類は幸せにはなれません。

 

 

■シナ人の人肉食い

 

・『なぜ食べ続けてきたのか!? 「食人文化」で読み解く中国人の正体 』黄文雄著
・『資治通鑑(しじつがん)』という歴史書があります。有名な歴史書ですが、この中で隋末唐初の朱粲(しゅ さん)という将軍がいて、指揮を鼓舞するためにしばしば部下に激励しました。
「よいか、この世で一番うまいものは人肉じゃ。しかも、どこへ行ってもいたるところにあふれておる。飢えてひもじいなど気に病む必要はないぞ。どこにでもいくらでもあるぞ!」という事を言ったのです。
実際に戦いがあると婦女・子供をとらえて釜ゆでにして兵士達に分け与えたのです。食料がなくなると自分達の領民を連れてきてぶっ殺して食べたのです。『資治通鑑(しじつがん)』にはそのような事が書いてあります。
・張 献忠(ちょう けんちゅう)は、明末の農民反乱軍の指導者で、黄色い顔色をして虎のような人相で黄虎(こうこ)と呼ばれた将軍です。彼の軍勢は連戦連勝です。四川地方に入ると重慶を破り、成都で大西皇帝を称し、大順に改元して成都を西京としまた。『明會要』巻五十によれば、1578年に
人口3102073だった四川は、嘉慶『四川道志』巻十七によれば、1685年には人口18090に減少したと言います。
張 献忠(ちょう けんちゅう)は、一日たりとも人を殺さなかった日はなかったのです。少なからず、子供が食われ、婦女の纏足(てんそく)が収集されたのです。
昔、中国では女性に纏足(てんそく)を履かせて足を小さくしたのです。その纏足を収集して、紐につるして「でんぽう」と名付けたのです。
四川地方で殺害された人間は男子60万人、女子40万人の100万人にのぼりました。殺した人間は全て食べてしまったのです。ですから、戦争に行く場合、食料はいらないのです。人間を食べてしまうからです。

 

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