天皇をめぐる黒い影 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
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 今から2~3年前に飛鳥昭雄がこのようなことを言っていました。「沖縄は独立させます」と自信をもって堂々と言っていました。沖縄は経済的にも充分やっていけるのです。この時に中国の話はでませんでしたが、もう一つ飛鳥昭雄が預言していることがあります。

 「天皇は今上天皇で最後です。あとの天皇はありません」と堂々と言っていました。飛鳥昭雄は基本的にはモルモン教です。モルモン教に入信しているのです。モルモン教から様々な情報が入ってきてそれを発言しているのです。

 モルモン教で有名人はケント・ギルバードです。ケント・ギルバードは宣教師までやった熱心なモルモン教徒です。

 キリスト教徒たちの預言は困るのです。キリスト教徒たちの預言は、「言葉を預ける」というのです。「その通りになりますよ」というのではなく、「その言葉を預かった通り実現しなさい」というのです。ヨハネの黙示録もそうです。宇野正美さんもヨハネの黙示録にはまっています。「聖書はみんな正しい。3500年前から言われていることだから、みんな正しい。僕は聖書から目が離せません」という割には一つも当たっていません。

最近の状況を見ていると、天皇の周りに黒い霧があるように思えてなりません。まず、天皇譲位の問題があります。天皇が軽く言った言葉なのに、いつの間にか譲位が決まってしまったのです。

 学習院のご学友は「そんなことは全然思っていませんよ」と言っていたのです。いつの間にか法案ができてしまい、いつの間にか年号まで決まってしまい、かってにどんどん進んでいるのです。もう退位されることになっているのです。おかしな話です。

 このような問題が一つです。それから女性宮家の問題があります。しつこく女性宮家の問題が出てくるのです。女性宮家の創設は、小泉純一郎のときに一旦途切れていました。悠仁さまが生まれてこの話はなくなったのですが、また女性宮家の創設の話が出てきています。

 「天皇・皇太子・秋篠宮さま・悠仁さままでで、後が続かない」という話をしているのです。ウソなのです。我々が知っているだけでも120名くらい天皇の皇位継承者はいます。12の廃止になった宮家を入れれば、天皇と血のつながった者は120名もいるのです。そのうち男子が120名いて、竹田恒泰さんは107位くらいの皇位継承者らしいのです。

 なんだか、矢継ぎ早です。天皇譲位から始まって、「女性宮家を創設しろ」「女性天皇でいいじゃないか」と識者に議論させて流れがきているのです。それで今度は眞子様の問題です。小室圭はどこの馬の骨なのでしょう。みんなよくわかりません。

 タクシー代もない奴が皇女をいただくなど大それたことを考えたものです。目と目を見つめ合ってうなずき合って、なんなのでしょう。もうできてしまっているのでしょうか? ゆゆしき一大事です。小室圭は何者だかわかりません。

 こんな一銭もない奴に眞子様も恋愛などしてしまったのでしょうか? ここで問題点が絞られてくるのです。この話は絶対にあってはならないことです。秋篠宮さまは「自由放任できた。好きな人を選べばよい」などと言っているのです。これは間違っています。

 天皇は国民の一番大事な玉(ぎょく)です。その皇室の皇女に「誰でもよいから好きな奴を選べ」という考えは通用しません。では、乞食を選べばよいのでしょうか? 「在日朝鮮人でもよい」ということになってしまいます。

 皇女は「誰でもいいから好きな人と結婚すればいいじゃないか」というわけにはいきません。秋篠宮さまは、天皇になるご自覚が足らないから、このようなことになってしまうのです。竹田恒泰さんは「小室圭は皇室を軽く見ているのか!」と怒っていました。このようなことになってしまうのです。

 だいたい皇室は皇女を基督教大学などに入れてはいけません。基督教大学は、クリスチャンがつくった学校です。何の為につくったのでしょう。布教するためにつくったのです。GHQから三鷹の広大な土地を与えられて、基督教大学を創ったのです。

 何故、キリスト教の学校に皇女を行かせるのでしょう。皇室がいくところは学習院と決まっています。こんなところに入れたから変な虫がついたのです。

 庶民の大学に皇女を入れてはいけないのです。しかも、クリスチャンの学校です。皇室の全員がキリスト教などを信じるようになったら日本の天皇は終わりです。それを飛鳥昭雄は言っているのかもしれません。女官たちはほとんどクリスチャンらしいのです。

 周りがすべてクリスチャンになったらどうするのでしょう。ここでしっかりと教えておかなければいけません。天皇は神という自覚がなければなりません。天皇は象徴ではありません。これをしっかりと頭に置いてください。

 象徴とはGHQが言ったのです。GHQが押し付けた憲法は、基本的に僕は認めません。天皇は神であることに変わりはありません。皇室が基督教大学に行って、キリスト教を習うなど、如何にふざけた考えかわかるのです。そんな大学に入れてはいけないのです。

 学習院を卒業してから、「もっと深く専門の学問を習いたい」と言うならば、英国の大学に行くのはわかります。基本的には学習院を出ればよいのです。皇室とは全ての活動が公務です。私事はありませんから、「好きな男を選んでよい」ということはありません。好きな男は私事です。

 皇女の位にあった者を選ばなければいけません。まして、小室圭などどこの浮浪者なのでしょう。タクシー代の1万円もないのでしょうか? そんな奴のところへ皇女をお嫁に出すのでしょうか?

 男が嫁をもらうならばまだよいのですが、その浮浪者のような男の元に眞子様が嫁ぐのです。そんなことはあり得ません。小室圭には伝統もなければ格式もありません。何もないのです。単なるヒモです。仕事からタクシー代まで全て世話してもらうなど、何をやっているのでしょう。

 小室圭は学校で「俺は皇室を手に入れた」と自慢していたのです。こんな男です。眞子様と付き合う前には大会社の令嬢と付き合っていた女たらしです。「もっといい女がいる」と思って探したら同級生にたまたま眞子様がいたのです。「乗り換えだ!」そんなことではないのでしょうか? 

 小室圭は「眞子様を愛している」などとふざけたことを言う者ではありません。皇室を愛するなどあり得ません。皇室はただご尊敬申し上げるだけです。愛人関係などあり得ません。「天皇は神である」という御自覚が、我が国の歴史そのものです。

 天皇に「私」はありません。すべてが公務です。そのような尊い家柄に生まれているのですから、勝手なことを言わせるものではありません。チャタレ夫人ではありませんが、チャタレ夫人のようになりたいのでしょうか? 

 チャタレ夫人は貴族の奥さんですが、肉体労働者の庭師と恋をするという話です。違うでしょう。まして眞子様は皇族です。皇族たる者が庭師の男に手を出してはダメなのです。それが教養というものです。御姫様が庭師とくっついたのです。チャタレ夫人になりたいのでしょうか? そんなことは考えられません。これはよく考えてもらいたいと思います。

 民進党は「女性宮家を憲法論議と同時に進行させてくれ」と言っています。絶対にダメです。三浦瑠璃も女性天皇は賛成です。小林パチノリも賛成です。何を考えているのでしょう。小林パチノリもわけのわかったことを言っていると思ったら、全然わかっていません。天皇はそのような軽い存在ではありません。

 僕の考察では538年の仏教の伝来以来、天皇の権威はどんどん失われてきたのです。天皇が上皇になると頭をまるめて出家するなど、わけのわからないことになって仏教化してきたのです。

 今上天皇は「死後は火葬にしてお墓に入りたい」と言っているのです。何を言っているのでしょう。天皇がお亡くなりになると、陵(みささぎ)に入るのに決まっています。何故、仏教で火葬されたいのでしょう。

 仏教伝来により天皇が様々な難を受けているのです。これは仏教導入に原因があるのです。天皇は全ての宗教から切り離さなければいけません。何故かというと天皇自体が神なのです。我が国の伝統はそうです。天皇自体が神なのです。神と言っても目に見える神です。

 精霊の神は目に見えません。天皇は目に見える神ですから、現人神というのです。精霊は見えません。精霊が見える人間となって現れたのが天皇です。だから現人神です。死んだらまた精霊に帰るのです。生きているものと死んでいるものの中間の橋渡しをしていくのが天皇の役割です。

 天皇は神と言わなければなりません。それは絶対に崩してはいけません。そうでないと先の大戦で死んだ300万人の英霊は何処に行ってしまうのでしょう。天皇は神だと思うからこそ、命を天皇に捧げたのです。その代表が靖国神社です。どうして天皇は靖国神社に行かないのでしょう。

 自分を神と信じて戦ってくれた人達です。その人達を敬わないなどあってよいのでしょうか? 考え方が狂っているのです。それを「悪い」という刷り込みがされてしまったのです。「先の大戦は悪くない」とハッキリ言いなさい! これも三浦瑠璃と同じで「戦争は悪い」と思いこまされているのです。「韓国を植民地にして蹂躙した」などと馬鹿なことを言っているのです。

 あの戦争は聖戦だったのです。やらざるを得ないように仕組まれた戦争だったのです。だから国民も賛成したのです。「ここまでやられたのでは仕方ない」と思ったのです。アメリカは日本の資産を凍結したのです。鉄鉱石も石油も売らなくなったのです。

 日本が黙っていたらどんどん首が閉まってきます。ガソリンが来ないだけで限界です。鉄鉱石を売らない、日本の財産が下せない。そこまでいったら限界です。一か八かやらざるを得なかったのです。

 「我々は死ぬのを覚悟して、この一戦を乗り越えようではないか!」とみんなが思ったのです。だからあのような戦争になったのです。それをきちんと抑えておかなければいけません。悪いことなど何一つしていません。大日本帝国は、大東亜の解放を行ったのです。多くの犠牲をはらいながら、見事にそれは成功しました。

 これが日本の歴史です。天皇と共に日本の歴史はあるのです。「天皇だけが悪くて国民は正しかった」などという話は通りません。「国民が悪くて天皇だけが正しい」という話も通りません。天皇と国民は一体です。国民が悪ければ、天皇も悪いのです。天皇がよければ国民もよいのです。このような尊い伝統と格式をもった日本の天皇を論じるときに、「好きな人と一緒になりなさい」などと馬鹿なことを言うものではありません。

 小室圭は乞食でしょうか? この結婚は間違っています。僕はそのように思うし、矢継ぎ早に女性天皇を目指して進んでいます。皇室典範の改正、女性宮家の創設、眞子様が平民とくっつく、これは一連の流れであると僕は見ています。

 そして、天皇陛下が9月20日に高麗神社を参拝しました。これには深い意味があります。それはこう解釈したほうがよいでしょう。国民のためを思ってあらぶる高句麗(北朝鮮)に対する鎮魂(たましずめ)だと思います。

 原爆を振り回している北朝鮮に対して、天皇は独自の視点で鎮魂(たましずめ)を行い「お鎮まり~」と言うために高麗神社へ行かれたのだと思います。そんなことは言いませんが、これはよいことだと思います。

 韓国人に未練があっていったなど、とんでもありません。そんな気持ちは一切ありません。このようなことをますます明瞭にしていく必要があります。

 

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