かつて三島由紀夫がこのように言っていた! | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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※柔道は体の小さな者が体の大きな者を投げ飛ばすのです。三船久蔵十段の体のさばきを見てください。どんな大男がかかってきても瞬時に投げ飛ばしてしまうのです。

 

 

 どんな巨人も急所を突けばひっくり返るのです。「俺にはスキがないぞ」と言っても、男の場合は金蹴りをやられたらおしまいです。金蹴りをやられたらマッチョであっても関係ありません。一発で終わりです。

 目玉を突かれたら終わりです。体力は関係ありません。特攻隊帰りの竹田日惠さんは「俺のことは心配いらないよ。鉛筆一本あればみんな殺してやる」と言っていました。この人は相模工業大学の学長になった人です。

 上手に使えば鉛筆1本で人間は死んでしまいます。目は鍛えようがありません。剣術の一派では頸動脈に刃を当てます。頸動脈は首にも手にも足にもあります。その頸動脈をサーとかすったら、最初は血が噴き出しますが、抑えている間に目が回って倒れてしまうのです。これが極意です。

 北辰一刀の親指切りは、剣を構えて親指を狙うのです。親指を切られてしまうと刀は握れません。

 どんな人間にもどんな達人にも欠点があります。力道山もヤクザに一突きされて終わりです。それと同じで国を見た場合、アメリカのような巨大大国と言っても、北朝鮮の核と言っても必ずスキがあります。

 「どこを叩けば相手が倒れるか?」これを研究しなければいけません。これは軍人が考えると同時に政府でも研究しなければいけません。相手の国に対して「ここを突けばひっくり返る」という研究を常にしていかなければいけません。

 中国は巨大な図体で身動きができませんから、意外と損なのです。図体が大きいと鉄砲の弾が当たる確率も大きいのです。体が小さい人は鉄砲の弾は当たりません。大きい中国も急所にねじ込んでいけば一発で倒れます。急所を研究していけば、そのようなことができるのです。

 問題はそのようなことを常に意識して研究しているかどうかです。「この国はこのような欠点がある」「ここを突けば倒れる」ということを常に研究しなければいけません。軍学者の兵頭二十八さんは「シナ海域に機雷をまけ」と言っています。機雷を解除するのが掃海艇です。

 日本の掃海艇部隊は世界一です。機雷をまいても回収できますが、シナは掃海艇をもっていません。シナの海に面したところに機雷をまかれたら、中国海軍はお終いです。身動きできません。

 北朝鮮にも欠点があり、石油を止めれば終わりです。もうすでにそうなって、ガソリンスタンドに車の列が出来ているそうです。食料を止めるなど、いろんな方法があります。アメリカもひっくり返る方法がいくらでもあるのです。アメリカは力で様々なことを言ってきます。柔道は体の小さな者が体の大きな者を投げ飛ばすのです。三船久蔵十段の体のさばきを見てください。どんな大男がかかってきても瞬時に投げ飛ばしてしまうのです。

 合気道の植芝盛平もそうです。どんなキン肉マンでも10人同時にはかかれないのです。必ず一人ずつという体制になってしまいます。一人のお爺ちゃんが10人のマッチョを投げ飛ばすということになる、真に不思議な現象がおきてくるのです。

 これは日本の得意技です。柔道・合気道・剣術、小さい体のものが大きい体の者を投げ飛ばすことができるのです。だから小国と言っても侮ってはいけません。今、北朝鮮は核の技をかけてきたのです。

 超大国アメリカに対して吹けば飛ぶような北朝鮮。人口は2千万人。アメリカは3憶4千万人います。この巨大な国に対して北朝鮮は仕掛けてきたのです。成功すれば金正恩は名将ということになります。

 そのように思うと楽になるのです。どんな人間にでも欠点があります。どんなものでも武器になるのです。武器にならないものはないのです。「日本刀などもう古いよ」そんなこともありません。

 日本は戦争が終わるまで明治38年につくった三八式歩兵銃を使っていたのです。米軍はとっくに自動小銃です。ダダダダ・・・・、と撃ってくるのです。三八式歩兵銃は一発撃って、ガチャンと弾を入れて構えてから撃つのです。そんなことでは米軍の相手にはなりません。

 何故、日本は三八式歩兵銃を使い続けたのかというと、「これは最終的には兵器ではない」と考えていたのです。「いくら良いものをつくっても、キリがないからこれでいいのだ」という考えです。とてつもない古い銃ですが、兵士に持たせておけばやる気になるのです。本当にそうなのです。

 我々は北朝鮮が日本上陸して攻めてきたらどうするのでしょう。武器がないのですから、逃げるしかありません。武器がない人間の前に機関銃を持った人間が現れたならば、戦うことなどできません。これは逃げるしかありません。逃げるのが当たり前です。

 ところがそこに拳銃1丁でもよいのです。持たせれば途端に意識が変わってくるのです。拳銃1丁あれば相手を殺すことができるのです。「相手の弾が当たれば自分は死ぬけれども、相手に弾が当たれば相手は死ぬ」と思えば人間は勇気が出てきます。

 勇気の源泉は武器にもよるのです。本当にそうなのです。イエメンに行くと今でも男は腰にナイフをもっています。武器を持つと人間は途端に元気になって戦う気になるのです。武器がなければ僕でも逃げます。それは虐殺というのです。相手に武器がないのに銃で撃ち殺したらそれは虐殺です。戦闘ではありません。

 戦闘ができる国民、国を守る国民にするためには、まず国民に武器を持たせなければダメです。全然違います。

 家庭の奥さんでも家にライフル銃があれば、賊が侵入してきたら戦う気持ちになります。武器がなければ逃げるしかありません。

 そして、相手を倒す研究をしなければいけません。どんなものでも武器になるのです。武器にならないものはありません。マッチ一本、ライター一つ、洗剤一つ、シャンプー一つでも武器になるのです。洗剤を顔にぶっかければ戦闘になりません。

 洗剤をバシャと顔にぶっかければ目が見えません。トイレ洗剤のサンポールを顔にピュッピュッとぶっかければもう終わりです。寝る前に飛び道具は枕元に置いておかなければいけません。

 常に考えておかないと武器は使えません。大東亜戦争の末期には日本の女性は竹やりで戦おうとしたのです。竹やり一本でも武器を持てばやる気になるのです。素手ではダメです。実際は戦えるわけがありませんが、竹やり一本もって死ねば本望です。虐殺では勇気はでません。

 そのように考えると大国を倒す一番肝心なことは「負けないぞ。どこまででもやってやるぞ!」という根性を示すことと、徒心(とごころ)を磨いていくことです。そうでないと侵略されてしまうのです。

 昔は武士の妻は懐剣をもっていました。短刀を胸に入れていたのです。もし辱めを受けた場合は相手を殺して自分も死ぬのです。懐剣はそのような決意の表れです。そのような決意を持った人間に簡単にちょっかいは出せません。

 「あんたも殺して私も死ぬ!」と思っている人間には手が出せません。一応、参考までに言っておきますが、人間が簡単に自殺ができる場所は頸動脈を斬ることです。喉を短剣でついたら呼吸困難でものすごく苦しみます。

 喉ではなく頸動脈を切るのです。切腹をする場合は、腹に刃を当ててスッと腹を斬りますが、あとは首の頸動脈をスッと斬るのです。すると血が噴き出してオネンネできるのです。そのようなことも知っておく必要があります。

 

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