司馬遼太郎は、大阪外国語学校・蒙古語学科を卒業しています。珍しい人です。当時はモンゴルも「日本領にしよう」という気持ちがあったから、モンゴル語も研究したのでしょうが、そのくらい司馬遼太郎はモンゴルが好きなのです。
『韃靼疾風録』という本を書いています。草原の中で王朝ができて、滅びる話を書いています。それはいいのですが、困った問題があります。司馬遼太郎の頭の中は、朝堂院大覚先生と同じで「ユーラシアの一員である」ということが、しっかりと頭に入っています。
「日本人は単独ではない。ユーラシアの一員である」と言っているのです。ということは、シナ人も、朝鮮人も、モンゴル人も、女真族も、頭の中でごちゃ混ぜになっているのです。「日本人はその中の一員である」と考えているのです。
司馬遼太郎は「地域が人間をつくる」と信じている人間です。「モンゴル人も、朝鮮人もない。日本で育てば日本人になって、朝鮮で育てば朝鮮人になるのだ」と言っていたのです。司馬遼太郎はDNAを知りません。その考えに頑固に執着していたのです。
司馬遼太郎は『街道をゆく』という紀行文を書いています。なかなか面白いのですが、この考えが抜けません。オホーツク海には「オホーツク人がいたのに違いない」と考えたのです。変なことを言うのです。
「朝鮮人も日本人も変わらない。言語が違うだけだ」と言うのです。僕はそうは思いません。今の遺伝学では、日本人はDNAが違うと言われています。みんな大陸から来たと思い込んでいるのです。
これに輪をかけたのが、江上波夫の『騎馬民族征服王朝説』です。これがまた害毒をなしているのです。江上波夫は東大の名誉教授です。「日本は5世紀の始め頃、朝鮮半島から騎馬民族が渡ってきて日本を占領した。それでつくったのが、今の皇室です」という考えです。
一時、何百万部とこの本は売れて騎馬民族征服説が頭の中に入ってしまったのです。小沢一郎もソウル大学へ行き、「日本は朝鮮人が造ったのだ。天皇にも君たちと同じ血が流れている。君たちの優秀な血をどんどん日本にいれてくれ」と、とくとくと演説したのです。その根本にあるものは、騎馬民族征服王朝説です。
この説は学会では破られています。何故かというと、馬に乗った大量の兵隊が日本にやってきた事績はありません。馬が乗る大量の船をつくる技術もなかったのです。騎馬民族は海洋の民ではありませんから船などできません。
日本の古墳からは騎馬民族がやってきた遺跡は出てきません。馬の骸骨などたまに出ますが、それが装飾用の馬です。戦闘用の馬ではありません。騎馬民族征服王朝説は間違いだということになっています。
日本にシナ人と朝鮮人のDNAはどのくらい入っているのかというと、20%くらいです。あとの80%は日本人独特のDNAです。日本人のDNAは、Y遺伝子D系統です。シナ人・朝鮮人のDNAは、Y遺伝子O系統です。遺伝子が全然違うのです。
古い学説を信じこんでいて、「天皇は朝鮮人だ」と言っているのです。司馬遼太郎も同じです。腹の中ではそのように思っていたのに違いありません。この影響を受けているので、「日本はユーラシアの一員である」と言っているのです。
それが司馬遼太郎の関心事です。同じ民族が行く先で変化を遂げていくのです。オホーツク海の方へ行けば、オホーツク人になり、北海道に行けばアイヌ人になります。その変化が「面白い」と考えたのです。「半島にわたれば朝鮮人になり、同じ人間がところどころで変化をしているのだ」という考えです。これは正しくありません。
この考えから日本人はとっくに抜け出しているのです。日本人のDNAは違います。朝鮮人とシナ人のDNAは日本に20%しか入っていません。日本人は独自の遺伝子です。だから、日本人にはなれないのです。
山葡萄原人はずっと山葡萄原人の遺伝子です。やっていることがすべておかしいのです。あれはやはり、火病です。あんなものが朝鮮半島に生まれたから朝鮮人になるわけではありません。
従って、天皇の中に朝鮮人の血は一滴も入っていません。純日本人です。司馬遼太郎はあれだけ歴史を勉強しているクセに、百済を造ったのも、新羅を造ったのも倭人だということすら知りません。
当時は日本人ではなく、倭人がいたのです。倭人が新羅・百済を造ったのです。朝鮮半島は誰もいなかったのです。5千年前の地層からは何も出てきません。日本は掘れば、10万カ所から土器や石器が出てきます。
朝鮮半島では何も出てきません。汚れた土地だから、人が住んでいなかったのです。そこに倭人が海を渡ってやってきたのです。朴とは瓢箪(ひょうたん)のことを言います。朝鮮半島では瓢箪はできません。日本では瓢箪ができるので、瓢箪をぶら下げて、船で渡ってきたのです。「誰もいないや」と開墾して、土地を造り、国を造ったのです。
百済も新羅も倭人が造ったのです。そこに後から漢人や、エベンキと混血した山葡萄原人が侵入してきたのです。
もう土地は耕してお米はできるようになっています。それを盗りに来たのです。残虐なことをやって倭人を殺したので、倭人は日本に引き上げてきたのです。朝鮮半島は倭人が造ったものです。これを忘れてはいけません。
北朝鮮の「金正恩は日本人だった」という説もありますが、それも不思議ではありません。朝鮮人に国が出来る能力はありません。戦争に負けて38度線に引いたのは、日本人です。ソ連軍の中尉だった金日成を首領にしたのですが、金日成はどのようにして国を造ってよいか何も知りません。
だから、日本人の畑中理さんが金策という名前で建国に力を貸したのです。金策がいなければ、北朝鮮は存在しません。日本人が造ったのです。不思議はありません。百済も新羅も倭人が造ったのです。
国を造って、できた頃になると、侵入者が出てきて国を盗りにくるのです。だから倭人は引き上げてしまうのです。朴という名字の意味は「瓢箪(ひょうたん)」です。瓢箪は日本しかできません。瓢箪をぶら下げているから倭人です。
そのような歴史です。調べれば調べるほど日本人と朝鮮人のマインドは違います。日本人、シナ人、朝鮮人、みんな違います。本当に違ってよかったと思います。韓国人は手も洗いません。韓国人の新聞記者が調べたのです。「何人がトイレに入って、何人がトイレを出て手を洗うのか?」と調べたら、60%の韓国人が手を洗いません。残りの40%はちょっと水を出して、指先をピュと濡らして、ピュッピュとしずくを落として終わりです。韓国人には「手を水で洗ってハンカチでふく」という習慣がありません。これでは、たっぷり大腸菌が手に付着して、伝染業が流行ります。韓国人は不衛生です。手を洗いません。ひどい民族です。
日本人がユーラシアの一員など、とんでもないことです。
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