日本刀と三島由紀夫 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

 三島由紀夫先生は晩年、何処に行くにしても刀袋に日本刀入れて、日本刀を所持していたと言われています。リベラルなことを言っている石原慎太郎と対談したときも、「もし陛下に対して無礼があったらその場で斬り殺す!」と決めて、石原慎太郎と会ったのです。

 後でそれを知った石原慎太郎は「本気だったのだ」とブルッてしまったのです。それから石原慎太郎の人生観が変わってしまったのです。それからは三島先生の霊に怯えて人格が変わってしまったのです。少しはまともな人間になってきたのです。

 「ノーと言える日本」など偉そうに言えるようになったのは、それが原因です。そのように三島先生は、晩年は非常に日本刀を愛されていたのです。東大全共闘に乗り込んで、学生たちの対話をした時も懐の中には短刀を持っていたのです。「もし、辱められた場合は刺し殺すという気持ちを持って臨んだ」と言っています。

 三島先生が死んで初めてそのようなことがわかったのです。三島先生は本気だったのです。そのくらい三島先生は日本刀を大事にしていたのです。楯の会の主なメンバーには、日本刀を贈っています。軍刀拵えや普通の刀もありますが、5本くらい贈っています。

 もらった人は宝物のように大事にして今でも持っているはずです。ちなみに、三島先生が自衛隊に乗り込んで斬った刀は関孫六です。相当好きな刀でみんなに自慢していたのです。その刀は「無礼があったら、お前を斬るためにあるのだ」とは言いませんでした。

 今でもイエメンでは、男は短剣を持っています。腹巻に縦に差しています。15歳くらいになると全員が持つのです。短剣が自慢の一つです。殺し合いの喧嘩はありません。喧嘩になるとすぐに短剣です。殴ってボコボコになどできません。短剣一本あればやられてしまいます。

 日本政府は国民全員に帯刀令を出すべきです。帯刀令は「刀を持て」ということです。「日本男児は15歳以上になったら刀を差して歩くべし」(笑い)そのような帯刀令があってもいいじゃないかと思います。

戦うものがないと人間は臆病になってしまうのです。北朝鮮が日本に上陸して機関銃を撃ちまくったら、日本人は何もできません。武器がないので逃げ回るだけです。逃げ回るところを撃たれるのは、屠殺というのです。

 屠殺される運命ならば、人間は勇気など出ません。機関銃に素手で向かうのでしょうか? そんなことはできません。やはりそのためには国民に武器を持たせておいて、「いざというときには戦える!」という気概がないと国家の独立性はありません。

 今はどうでしょう。5.5センチ以上のナイフを所持してはいけないというのです。しかも、それも「正当な理由がなければ」と言うのです。正当な理由などどうにでもつけられます。「これを仕事に使うのです」と言っても「それは正当ではないだろう」と言われてしまいます。日本ではナイフ一つ持てません。

 戦後はしばらく、神奈川県の野毛山に荒物屋があり、そこでは短刀を売っていたのです。白鞘の短刀が誰でも買えたのです。登山ナイフなどもあり、今でも買えるのですが、持って歩けないのです。

 やはり国民に武器を持たせないと国民は勇気がなくなります。アメリカ国民は全員が銃を持っています。3憶3千万人の人口に対して、銃が5億丁くらい出回っています。一人二丁は持っていることになります。

 家庭の主婦でも枕元には銃を持っています。それで初めて人のいないところに行けたり、生活できるのです。山に行って熊が出てきたら何もできないのでは熊に食べられてしまいます。やはり武器をもつべきです。日本でも猟銃の許可を受ければ銃は持てます。

 三島先生は「日本刀という武士の魂、これを持たない限りダメだ。日本人一人一人が日本刀を所持するべきである」と言っています。そのように思って僕もボウズPさんに日本刀を一本贈呈しましたが、やはり人格が変わります。しかも、許可書付きです。日本刀を一本持つとものの考え方が変わってきます。

三島先生は、神風連の乱を研究されたのです。

神風連の乱(しんぷうれんのらん)は、1876年に熊本市で起こった、明治政府に対する士族の反乱です。敬神党の乱ともいいます。旧肥後藩の士族太田黒伴雄(おおたぐろともお)加屋霽堅(かやはるかた)斎藤求三郎ら約170名によって結成された「敬神党」により、廃刀令に反対して起こされた反乱です。敬神党は、旧肥後藩士族の三大派閥の一つであった、勤皇党の一派です。

日本刀を持って明治政府に抵抗した乱です。日本刀以外の武器は使わない。そこに三島先生は注目したのです。敵の明治政府は鉄砲も大砲も持っています。そのようなものに対して日本刀だけで戦ったのです。これが神風連の乱です。精神を重要視した乱ですから、三島先生は研究していたのです。

 楯の会も本当は日本刀を持ちたかったのです。しかし、法律上持てないのです。短剣も持てないのでガードマンが持っている警棒のようなものを持ったのです。そんなものはカッコがつきません。やはり剣を持ってこそ、軍隊と言えるのです。

 退治するものは巨大な政府の近代的な軍隊です。そのような者に対して「日本刀でよいのだ」と言ったのです。武器を上へ求めたら原爆まで行ってしまいます。そのような精神性がないのがオウムです。サリンやタブンを造り、原爆の製造も考えていたのです。

 そんなものは入りません。日本刀でよいのです。ということは、「精神を持って戦う」ということを意味しているのです。巨大なアメリカ軍に対してどのように戦うのでしょう。それは日本刀でよいのです。三島先生は、それを証明して見せたのです。

 堂々と軍刀を吊って、市ヶ谷駐屯地に乗りこんだのです。守衛に「三島先生、お腰のものは何ですか?」と聞かれて「これは君、指揮刀だよ」と言われて、守衛は通してしまったのです。ところがそれには関孫六が入っていたのです。

 ズカズカズカと総監室に入って益田総監を縄で縛ったのです。椅子に座らせて刀を見せて「よい刀でしょう」と言ったのです。総監もブルッてしまいます。

 三島事件は世界的な事件です。この事件は日本刀一本です。それは神風連の乱に学んでいたのです。「日本刀だけで戦ったのだ。たいしたものだ」と思って、三島先生は日本刀一本で日本の国をどのように変えるのか」ということを考えて計画したのです。

 それが自衛隊乱入事件の真相です。そのくらい日本刀はすごいのです。たった一本で全世界がワーと湧いて、「三島事件はすごいな!」と注目したのです。あんなことは普通はできません。三島先生だからできたのです。普通の人間が真似をしてもできません。

 隅々まで日本刀の精神、即ち日本精神が行き渡っていないとダメなのです。僕が今やっていることはそうです。日本刀の精神をもって、日本人に精神を吹き込んでいこうとしているのです。日本刀でよいのです。

 このブログを読んでいる皆さま方には日本刀を持ってもらいたい。模造刀ではダメです。模造刀は玩具ですから、いくら日本刀に似ていても何の役にも立ちません。日本刀は打ち振れば首は吹っ飛び、打ち振れば体は真っ二つになり、脳天が砕け首が落ちます。それこそ日本刀ですから、斬れない模造刀を持ってもダメなのです。本物を持ちなさい。今は結構安く買えます。それをお勧めします。日本刀を持つと精神が変わります。

 日本刀を持つと賊が侵入してきたら、「少なくとも一人は殺せる」と思えます。5人~6人が拳銃を持って侵入してきても一人は殺せます。それが大事です。日本刀がないと「助けてくれ、お母ちゃん!」と逃げ回るだけです。

 僕もできるだけ傍に日本刀を置いて、いつでも眺めています。確かにボウズPさんは人格が良い方向に変わりました。みんなも持ってもらいたいと思います。今は20万円くらいで買えます。良い物でではありませんが、それでも日本刀です。これを持つようにしましょう。三島先生は「日本刀一本で世界を変える」と言いました。それができるのです。我々もその日本精神を持てば、北朝鮮との問題も、アメリカの問題も、ユダヤの陰謀との戦いも日本刀一本でよいのです。

 西郷隆盛のように命もいらず名もいらず官位も金もいらぬというに人間はどうすることもできません。一人一人がこのような人間になればよいのです。問答無用である薩摩っぽのように「義を言うな!」と思えばよいのです。

薩摩人は義を言いません。義とは理屈です。理屈を言わないのです。行動あるのみです。その行動がいいか、悪いかなど考えません。彼らの持っている示現流はそのような剣法です。考えないで行動するところに陽明学の極意があるのです。

「やられた。よし、家に帰って着替えて復讐に行こう」などと言っていたら間に合いません。今やられたら、「ただちに相手を殺す」これが示現流の極意です。外国人が殿さまの前を横切ったら、すっ飛んでいき「無礼者!」と斬り殺したのです。「こんなことをしたら切腹になるな」など考えません。自分が今「無礼だ」と思ったら、ただちに行動するのです。これが薩摩人の恐ろしさと強さです。西郷さんはその通りの人です。計算などしません。

 吉田松陰もそうです。曲がった道を真っ直ぐ歩くのです。「俺はこう決めたけど、世間体を憚ってもっと上手く政治取引をしたほうがよい」など、そんな考えはありません。「これはよくない」と思ったら一気に行動するのです。その結果、自分が被るものもあります。捕まるかもしれないし、殺されるかもしれません。「それでもよいのだ」と言うのですから誰にも止められません。

 これが本来の日本人です。安倍さんもそのようなことを見習わないといけません。朝鮮宗教にたぶらかされて、日本人もどきになっているのです。やっていることは日本人ではありません。

 そして気が付くのです。日本人には戦士の血が流れています。小林パチノリも戦争論で散々言ってきたのです。今は流れていません。左翼の思想になってしまったのです。今は、日本人は眠っていますが、先祖伝来日本人は戦士であったのです。戦争を怖がらないのです。それを自覚して「何があっても怖くないぞ、やるならやってみろ。叩き斬るぞ!」この精神を持って世の中を渡らないとダメです。

 

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