北朝鮮と小野田寛郎さんと残置諜者 ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

フィリピン・ルバング島で残置諜者として、30年間任務を続けた

  元陸軍少尉小野田 寛朗(おのだ ひろお)さん

  これが残置諜者です!

 

 元空将の佐藤守さんが旧軍関係者との親睦会があり、親睦会が終わって立ち上がったときに老紳士が来たのです。その人は旧陸軍の参謀だった人です。

 「佐藤君、北朝鮮のことをどのように考えるのかね。北朝鮮の金正日は日本人だよ。そして北朝鮮を造ったのは金策(キムテク)だよ。日本名は畑中理(おさむ)というのだよ。これを我らの呼び方では残置諜者と読んでいる」と教わるのです。

 それが初めて聞いた残置諜者の話です。びっくりしたのです。「残置諜者とは何か?」というと、小野田寛郎さんを見ればよいのです。小野田寛郎さんは陸軍中野学校二股分校の出身者です。陸軍中野学校は、中野学校と二股分校がありました。在籍者は約800名です。皆さんは陸軍中野学校は、スパイ養成学校だと思っていますが、本当は違います。残置諜者の養成を行っていたのです。戦後の映画の中でも、中野学校の残置諜者は、スパイとして描かれていますが、そうではなかったのです。

 陸軍中野学校とは、残置諜者の養成学校だったのです。残置諜者は日本を離れて現地へ行って、根を張り完全な現地人として生活をして「祖国のために役に立つ」という考え方です。小野田寛郎さんは、戦争が終わったことはもちろん知っていました。30年以上帰ってこなかったのは、使命が与えられたからです。

 「お前は残置諜者としてルパング島に残れ」という任務があったのです。小野田寛郎さんは弾が5千発、鉄砲が50丁、現金で当時のお金で5千万円くらいは持っていたのです。だから、みじめな敗残兵ではなかったということです。

 その前に生き残りの日本兵で横井庄一さんが出てきましたが、あの人は穴倉に入って逃げ回り、ヒゲもボウボウでまことに惨めな姿で出てきたのです。それとは全く違います。残置諜者は戦後も戦っていたのです。

 今でも残置諜者はいるかもしれません。残置諜者はわからないのが任務です。もう日本人であるとも思われないほうがよいのです。徹底的な外国語を学び、外国人の習慣を身につけて、日本人的なものを一切出しません。静かに復讐の機会を狙っていたのです。

 終戦末期に中野学校の教育が終わった約800名の連中が、全世界に散ったのです。これがまず第一番の驚きの事実です。残置諜者は実在したのです。その証拠が小野田寛郎さんです。「私は残置諜者でした」と言っているのです。本当だとわかったのです。

 この残置諜者の人達が、北朝鮮、中国、台湾、ベトナム、インドネシアなどに散ったのです。そして、現地の人間として生活をしたのです。「ビルマの竪琴」では、日本兵が日本に帰っていくときに、残置諜者と思われる人間は反対に現地の方へ向かっていくのです。同じ日本人なのに日本には帰らないで奥地へ向かっていったのです。

 当時の陸軍は戦争に負けることを知っていたのです。陸軍が考えた大東亜の戦争です。戦争の目的は大東亜の解放です。大東亜を白人たちから解放するという使命をもっていたのです。

 佐藤守さんによれば、太平洋戦争は海軍の敗戦で昭和20年に終わりましたが、大東亜戦争はまだ終わっていなかったのです。当時、約200万人の陸軍の兵隊が中国大陸にいたのです。それが粛々と引き上げてきたのです。引き上げてくるときには、必ず置き土産があるのです。それが残置諜者です。

 教育を受けた残置諜者もいますが、教育を受けなかった人もいたと思います。「俺は日本には帰らない」という連中が大勢いたことと思います。この人達は現地に残ってしまうのです。残置諜者はちゃんと教育を受けているから頭も良くて能力もあります。兵隊とは違います。この人達が残ったのです。

 では何をやったのかというと、白人からの独立戦争を起こしたのです。「日本は戦争に負けたからアメリカに占領される。占領されてアメリカ人の教育を受ける。そんな教育はいらない。我々はアジア人に独立の気概を持たせる」と決意して、現地に士官学校を造ったのです。東南アジアの諸国は、今まで植民地だったので軍隊はありません。ベトナム、インドネシア、フィリピンにも軍隊はありません。

 植民地を支配する側が軍隊を持っているのです。支配される側に軍隊などあるわけがありません。残置諜者は学校を造ったのです。それで士官教育を行ったのです。「日本人が現地人になって戦った」というと、現地で鉄砲をもって戦ったように思いますが、そんなことではありません。幹部の養成学校を造って、軍隊そのものを造ったのです。

 東南アジアの諸国民は、白人の植民地なので軍隊の作り方も知りません。残置諜者が軍隊をつくり、日本式の教育を行ったのです。インドネシア、ベトナムなど、あらゆるところに学校を造ったのです。ベトナムにしても号令は日本語です。軍歌も日本の軍歌です。あのベトコンでも塹壕を掘る方法も硫黄島の栗林中将に学んだことです。それをベトナムでもやったのです。

 残置諜者は、現地人となり最後まで戦って、白人をみな追い出したのです。オランダもフランスも追い出して、最後にアメリカをベトナムから追い出してサイゴンの陥落をもって大東亜戦争は終わったのです。どうなったのかというと、大東亜戦争は日本が勝利したのです。事実、そうなのです。戦争は目的が大事です。目的を貫通したのですから勝利です。

 東南アジアから欧米各国はいなくなったのです。みんな独立国になったのです。だから東南アジアの国々は日本に感謝をしているのです。そこへ行って日本の政治家が「日本は悪いことをしました」などと謝罪しているのです。「謝る必要などないじゃないか」と反対に言われているのです。

 大東亜戦争はサイゴンの陥落で米兵を追い出して終わったのです。しかも勝利で終わったのです。(続く)

 

読みいただきありがとうございます。
よろしかったらクリックしてください。

応援よろしくお願いします!

    ↓↓↓


人気ブログランキングへ

 

『中杉 弘のブログ』2006年より、好評連載中です!

     ↓↓↓ 

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137