教育の目的 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

子供の自殺がテレビで報道されますが、なぜ自殺するのでしょう。「校長が悪い」「先生が悪い」と言いますが、そんなことは当たり前です。

 僕は中学生の頃ゲジゲジのように先生に嫌われました。何にも悪いことはしていません。僕の書いているブログを読めば、「悪い奴であるはずがない」とわかると思います。それがゲジゲジのように先生に嫌われたということを覚えています。

 僕は嫌われていたから、先生に内申書は変なことを書かれました。そんなことは常識です。先生が間違えて「窃盗歴がある」と書かれて自殺する子供もいましたが、なんと情けない精神でしょう。学校の教師とは社会で一番レベルの低い人間です。

 ただし、「大人社会の中で」と言わなければいけません。人間といえば、人足もいれば、土方もいます。ばくち打ちもいれば、ホームレスもいます。その中で一番下と言っているわけではありまえん。

 所謂、管理社会の大人の中で学校の先生は最もレベルの低い人なのです。何故ならば相手は子供です。大人は大人と戦っています。先生が相手にしている相手は常に子供です。未成年です。これを相手にしているのだから、大人を相手に戦っている人から見ると、学校の先生は非情に単純で何も知りません。

 大人の中の一番最下位にいるのが先生です。その上に手ごわい奴が大勢いるのです。その先生ごときにやられて、怨んで自殺するなどとんでもありません。確かに間違えたほうも悪いのですが、親はまずそれを教えるべきです。学校の先生など最下層の人間です。

 「学校の先生は偉い」と考えて先生に信頼されている子供は小人物でダメなのです。学校の先生は子供を社会に送り出す役割です。普通の社会の型の中に押し込んで仕上げていくのです。「会社員になれるように」「公務員になれるように」と仕上げていくのです。

 そこからはじき出された人間はゲジゲジにように毛嫌いするのです。僕なんかもゲジゲジのうちです。何の悪いこともしていないのにゲジゲジにように嫌われたのです。1分遅刻すれば怒鳴られて殴られました。掃除の仕方が悪いと言われて「歯を食いしばって両足を開いて手を後ろにして立て!」と言われて、バンバンバンバンと殴られたのです。そのようなことは日常茶飯事です。僕は毎日学校の先生にやられていました。こんな真面目な青年を捕まえて先生は殴ったのです。ひどいと思うでしょう。

 そんな風に親は教えていかないとダメです。学校の先輩など、何も恐ろしいことはないのです。そんな連中はひっぱたいてやればよいのです。僕は1年生のときに、竹竿を持っていき、3年生の連中の教室に乗り込んでなぎ倒してやったのです。

 同じクラスの子が「いじめられた」と言うので、「どの野郎だ!」と滅茶苦茶に殴ってきたのです。そのせいか先生には、「大変な危険人物である」と言われて、ますます嫌われました。ずっと「危険人物」というレッテルを貼られてきたのです。

 それがどうしたというのでしょう。僕は先生などある面で馬鹿にしていたのです。尊敬など絶対にしていません。敵対関係です。先生が僕を見ると「この子は社会に出たときに、当てはまらない人間だ」と思うのです。

 当てはまらない人間だからどうしていいかわからないのです。そのような子供は毛嫌いするのです。僕が子供ころも自殺などありました。馬鹿なことをやっているものではありません。歯向かえばよいのです。

 歯向かえと言っても暴力事件を起こすのではなく、先生などとうものは何もわからないのです。何がわからないのかというと、自分より偉大な人物は絶対にわかりません。自分の範疇に入らないので、枠を超えた大物を先生は理解できないのです。だからそれでよいのです。

 僕は嫌われてきましたが、僕の方が大きいのだから仕方ありません。大きいものが自分の下にいたら気持ち悪いと思うのです。「得体のしれない奴がいる」と思うと気持ち悪いのです。だから嫌がれるのです。

 僕は嫌われないように一生懸命やっているつもりなのですが、それでも嫌われてしまうのです。どういうわけだか、はみ出してしまうのです。会社に入ってもはみ出してしまいます。学校に入っても学校の規則に従わないからはみ出してしまうのです。

 従わないわけではありませんが、「こんなムダなことをやっているのか」と思っているからダメなのです。

 それが今では役に立っていています。「全仏法の破壊をやる!」「全宗教の破壊をしよう」と考えているのですから、そんな人間は嫌われます。

 だいたい今の人は良い子になりすぎるのです。「100万人いけども我いかん」という心構えがないとダメです。それをと言うのです。今の連中はあっちに気兼ねして、こっちに気兼ねして、「仲良くしなければならない」と言っています。

 韓国問題もそうです。「中国・韓国に嫌われてはならない」「言いたいことを言ってはいけない」と言い、やられっぱなしです。こちらが正しいと思ったことは言えばよいのです。何を恐れているのでしょう。

 先生が間違えて「万引きをした」などと内申書に書いたら、「いつ俺が万引きしたんだよ!」と、怒鳴り込んでいけばよいのです。ところが中学、高校にも悪い奴が生徒の中にいるのです。

 どのような悪い人間かというと、外部の暴力団とつるむ奴です。これは悪いのです。外部の暴力団とつるんで「俺は●●組を知っているぜ」と相手を威圧するのです。そのような奴は必ず恐喝をします。「お金をもっていないか。ちょっとこい!」と言ってボカボカに殴ったりするのです。

 そのような奴は高校1年でクビになるのです。それが悪です。そんなことをしていない正義感に燃えた青年をゲジゲジ嫌いするとは何事でしょう。先生に言いたいことなど、山ほどあります。まあ、そのようなものです。

 小さい者は大きい者のことがわかりません。自分より大きいのですから、気持ち悪がるのです。「誰よりも僕は大きい」ということが最近わかってきました。誰よりも器が大きいのです。

 そのようなことは子供に教えていくのです。「いい子になろう」と思っていて、それが「ドロボウした」と書かれたから自殺するなど、そんな奴は何の役にも立ちません。もっと図太い人間にしていかないといけません。

 人間社会は争いが絶えません。そのような中でたくましく育っていかなければいけません。不良に囲まれる場合もあります。朝鮮人に脅かされる場合もあれば、巨大な悪と戦う場合もあれば、警察と戦う場合もあります。警察も悪です。「みんな敵である」という大きな自覚を持った人間に育てなければいけません。教育の真の目的は、実はそこにあるのです。


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