日本の参謀と言われた男 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

ちょっと年配の人ならば、瀬島龍三の名前を知らない人はいません。伊藤忠会長、前身は大本営参謀、陸軍中佐、すべての戦争の指揮をとった男です。天才の中の天才です。陸軍士官学校を第二番で卒業して、陸軍大学を一番で卒業している天下の秀才です。

 しかし、ガダルカナル作戦にしても、陸軍が逃げ回った作戦のほとんどを瀬島龍三が立てたのです。この人は終戦時にどういうわけだか満州にいたのです。満州にいて、数人の参謀と共にソ連の捕虜になるのです。

 瀬島龍三は、60万人と言われた日本の軍人をシベリアに連れていったのです。大変だったと思います。11年間、シベリアに抑留されていたのです。軍隊は捕虜になっても将校は労働をしなくてよいことになっているのです。

 瀬島龍三は「労働した」と言っていたのです。「大本営の左官が、左官屋になった」と、ジョークを言っていましたが、実際は労働などしてはいないのです。この人にはおかしな話があるのです。

 終戦11年目に日本に帰ってくるのですが、「スパイではないのか」と、徹底的に米軍が調べたのです。1週間にわたって縛り上げたのですが、ボロは出てこなかったのです。有名な佐々淳行(さっさあつゆき)さんをはじめとする警視庁外事課の連中は、瀬島龍三に目をつけていたのです。

 何故かと言うと、瀬島龍三を尾行していると神社や仏閣で夜、密会をしていたのです。誰かと会い、ヒソヒソやっているのです。そのときの課長が佐々淳行さんだったのです。この動きを見て「怪しい」とわかるのです。

 佐々さんが当時の官房長官の後藤田正晴に「逮捕しましょう」と言うのです。しかし、証拠がないのです。後藤田さんは瀬島龍三がスパイだとは、あまり信じていなかったのです。

 瀬島龍三は交換条件を出していたのです。ソ連に60万人の日本兵を出します。「その代りこうしてくれ」と交換条件を出して、取引をしたと言われています。10年間日本人を売りつけて働かせて、その代りの条件を出したのです。瀬島龍三はそのようなことをやったのです。

 2年間、瀬島龍三が何をやっているのかわからない時期があるのです。モンゴルに2年間いなくなる時期があるのです。「モンゴル時代に何をやっていたのですか?」と聞くと、瀬島龍三は死ぬまでに一切その話はしなかったのです。その間にスパイの教育を徹底的に受けたのだと言われています。

 命令されて日本に帰ってきた連中は残置諜者のようなもので、「反ソ活動をやれ」と言われてきたのです。「ソ連万歳!」ではないのです。「ソ連くらい悪いものはない」と、反ソ活動をやるのです。「ソ連は最低だと言って1歩も譲るな、右翼の真似をしろ、政権の中枢に入りこめ、お前なら入り込めるだろう」というスパイ教育です。

瀬島龍三は大日本帝国の参謀だったのです。大日本帝国の参謀とは、日本の中で一番頭がよいということです。陸軍大学を出ているので、瀬島龍三はどこの会社にでも入れたのです。伊藤忠に入ったのは、1社員として入社したのです。

 ところが中曽根康弘が瀬島龍三を引き上げていって、どんどん偉くなり、遂には会長になってしまったのです。瀬島龍三は愛国者だと思って、瀬島龍三のことを信じ込んでいたのです。

 それが「スリーパー」と言われる人間の役割です。「出世するまでスパイは眠っている」ということです。一番肝心のときに手を抜くのです。遂に瀬島龍三はやったのです。何をやったのかというと、貿易を禁じられていたソ連に潜水艦のスクリューを売り渡したのです。これは協定違反です。

 1987年に発覚した「東芝機械ココム違反事件」です。「東芝機械と伊藤忠商事は和光交易の仲介の下、1982年から84年にかけて、ソ連に東芝機械製のスクリュー加工用の高性能工作機械と数値制御装置やソフトウェア類を輸出した。これは対共産圏輸出統制委員会(ココム)の協定に違反していた。

 この工作機械によってソ連の原子力潜水艦のスクリュー音が静粛になり、米海軍に大きな脅威をもたらしたとして、日米間の政治問題に発展したのが、瀬島氏にとってはスターリン勲章ものの大仕事だったはずだ。」(佐々淳行著「インテリジェンスのない国家は亡びる」)

 瀬島龍三は捕まらなかったのですが、これによりソ連の潜水艦はすべて蘇ってしまったのです。スクリューを造る機械を売ったことにより、ソ連の潜水艦が静かにになり、米軍が探査しても、どこにいるかわからないのです。恐ろしい国益を害したのです。

 瀬島龍三は、そのようなことをやったのです。偉くならないとそのようなことはできません。ソ連の悪口を言い、愛国者ぶって活動ができるようにして、中曽根さんを取り言って、伊藤忠の最高の地位まで上り詰めたのです。政府の要職も10くらい関与していたのです。このような人間です。

 瀬島龍三の聞き込み調査をすると、ソ連につかまっていたときには、毎日演説をして、「天皇制打倒、日本共産党万歳!」と、毎日演説をしていたのです。「瀬島龍三がそのように言っていました」という人が出てきたのです。

 瀬島龍三は、そのようなことを言って日本に帰ってきて、「天皇陛下の悪口は許さん」などと言っていましたが、共産党員だったのです。帝国陸軍の出身者は共産主義が多いのです。2.26事件も共産主義者が起こしたようなものです。軍人は「資本家が悪い」と思うのです。

 資本家だけがお金儲けをして悪いというのです。当時、一般庶民は貧乏です。「一般庶民も計画的にやったほうがよい」というのは共産主義の思想です。

 日本は天皇がいるから純粋な共産主義にはなれなかったのです。三島由紀夫は「共産党は平等にするのだからいいぞ。ただし、天皇がいない共産主義はダメだ」と言ったのです。三島由紀夫は「共産党が天皇を頂いて、天皇を崇拝すると言えば、僕はすぐに共産党に入党するよ」と冗談交じりに言ったくらい、戦前の軍人には共産主義者が多いのです。

 瀬島龍三は、このような人間です。未だに瀬島龍三の評価はわかれていますが、佐々さんは命を賭けて、瀬島龍三を追いかけたのです。上の方が「違うのではないか」と言っていたのです。警視庁の連中は瀬島龍三がスパイだとみんな知っています。知らないのは後藤田正晴さんぐらいです。それを中曽根が取り上げて、瀬島龍三を偉くしてきたのです。

 「中曽根さんは瀬島龍三がソ連のスパイだと知らなかったのか?」というと、知っていたのです。中曽根さんは与太者ではありません。知っていたのです。アメリカから「原発を造れ」と言われて、どうなるかも知っていたのです。「これを逃したら日本は永久に原爆をつくることができないから、原爆のプルトニウムをつくるためには多少の危険があってもやる」と決意して中曽根さんが日本の原発を造ったのです。

 中曽根さんは、スパイをうまく使いソ連の情報をうまく引き出そうと思い、瀬島龍三を使っていったのです。中曽根さんは、それだけの男です。そのおかげで日本は今、核武装しているのです。「原発に使うのです」と言いながらプルトニウムを貯めていって、時がきたらいつでも原爆は造れるのです。中曽根さんの腹から言うとそうなのです。

 大本営参謀・瀬島龍三に騙されないようにしましょう。瀬島龍三は本当の愛国者ではありません。


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