戦争が起こる一つの原因 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

戦争が起こる一つの原因には、「約束を守らない」という理由がります。紛争原因の多くは約束違反から生まれてくることが多いのです。ロシアと日本も「日ソ不可侵条約」を結んでいたにもかかわらず、それを一方的にソ連が破って戦車を入れてきたのです。約束違反です。彼らは約束を守らないのです。

 尖閣列島もそうです。これは「日本の領土」と決まっています。それがいつの頃からか約束を破り、「中国の領土だ」と言い出すのです。そこから紛争はみな起きてくるのです。国境紛争もそうです。「ここまでは私の国、この先は貴方の領土」と言うと、「ちょっと国境は違うぞ。もっと中の方までこちらの領土だ」と言い出すのです。約束を守らないところから起きてくる戦争はものすごく多いと思います。

 個人でもそうです。「お金を返しますから貸してください」と言いますが、返したためしはないのです。何故かというと、お金がないからお金を借りるのです。お金がある人はお金を借りません。お金がないから借りるのです。無い人は返せません。このような約束は、まず破られると思ったほうがよいのです。人にお金を貸したときは「返してもらおう」と思わないことです。それならばよいのです。「返してもらおう」と思ってお金を貸すと、必ず紛争になってしまうのです。国家間も同じです。

 約束(Promiseということが如何に大事かということです。約束とは、どこからくるのかというと言葉からくるのです。動物は言葉がないから約束はありません。「猿と猿が約束した」など、あり得ません。言葉が約束するのです。

 従って言葉を持つ人間は言葉を大事にしないと、人間関係は成り立ちません。「ここまでは私の領土だ」と言うところを「違う!」と言い出すのです。約束を破るということは、言葉を破るということなのです。

 「言葉というものは神がつくったものだ」という自覚が大事です。「あらゆるものに記号をつけて、記号と記号を結び付けたものが言語である」と考えている人には、「約束する」ということは永久にわかりません。

言葉は便利な言語ですから、便利に使うということは、ウソでよいのです。言葉で「花」と言ったら、そこにはその言葉を裏付けする花があるのです。経済も同じです。「鉄」と言えば、そこに鉄があるのです。言葉と鉄は対応しています。ところが鉄がないのに、「鉄」と言うと、人間は錯覚を起こして、鉄があるように思ってしまいます。言葉は一人歩きして、とんちんかんな方向へ進んでいってしまうのです。

西洋社会はまがりなりにも、今日の文明を築いてきた大きな原因の一つは「約束を守る」ということです。最初に「約束」という概念を打ち立てたのが、4千年前のモーゼです。モーゼがユダヤ人として現れて、「神との契約」ということを言いだしたのです。

「神様と契約する」など、とても我々には理解できないことです。神はモーゼの前に表れて、言葉で語りかけられたのです。「ユダヤの民よ、お前たちは選民である。選ばれた民である。選ばれた民は、神と契約をしなければならない」と言われたのです。ユダヤ人は「契約の民」ともいいます。最初に神が出てきて「私と契約しろ。そうすればお前たちは世界を支配できる民族になる。私との契約を守らなければ奴隷になるぞ」このように言うのです。モーゼは「神と契約します」と言ったのです。

神との契約が十戒です。「我以外に神はなし。偶像を造ってはならない。神の名をみだりに呼ぶな。親を大切にしろ」など、意外と当たり前のことです。人間が猿から進歩したばかりですから、「人を殺して何が悪いのだ」、「人の物を奪って何が悪いのだ。物がAからBへ移っただけだろう」と考えているので反省心などありません。

「あいつがもっていようが、俺がもっていようが同じではないか。力づくで奪ってやる。俺によこせ!」という世界です。

神との契約すると「人の物を盗んではならない」、「人の奥さんと姦淫してはならない」と書いてあるのです。人間はそれをやりたいのです。ドロボウしたい、人の奥さんを犯したいのですが、神と契約をしてしまったのです。

その契約を守らないと、神は罰を与えるのです。「そんなことがあるか!」とユダヤ人たちも思っていたのです。神との約束を破り、暴れたユダヤ人も大勢いたのです。そのたびに神罰を受けて大変なことになったのです。異民族に攻められて、皆殺しに遭ったのです。それで、ユダヤ人たちは、神の神罰を恐れているのです。神の掟に背くと、必ず神罰が下るのです。それは震え上がっています。

ユダヤ人は言葉をもって神と契約を交わしたのです。だから、西洋人はギリシャ時代を経て、「言葉は神である」と言ったのです。約束を破ってはいけないのです。神と人間は契約が出来るのです。だから、人間と人間も契約ができるのです。

「契約を破るということは恐ろしいことなのです。何故なら、神との契約を破ることに匹敵するから契約というものは絶対に敗れないのだ」ということが体に染みついているのが西洋人です。

 だから西洋人はギリシャ文明をつくり、ローマ帝国をつくり、繁栄してきたのです。これは、「約束を守る」ということからきているのです。その原型は神との契約です。契約を説いたものが、モーゼのファイブブックスです。

 西洋文明の中には契約という概念が浸透しているのです。結婚式も契約です。「私は貴方を妻として一生涯大事にします」これも契約です。契約は聖書の上に手を置いて行うのです。政府が発表することも、本当は契約です。「私はこのようなことを約束します」と言って、民衆と約束して政治は動いているのです。

ところが、契約という概念があるのは、西洋だけで中国にはないのです。中国人に神などいないのです。契約がなければ、「契約を破る」という概念もないのです。ここがコツです。

 契約という概念がないから、いくら紙に字を書いても、「それがどうしたの? あの時は書けというから書いたのです」と言うのです。証文をもって「お金を返せ!」と言っても、「それどういう意味?」このようになってしまうのです。「約束したことを守らなければいけない」という概念は、中国人にも朝鮮人にもないのです。

 契約ということすらわかりません。契約という概念がもしあるとすれば、力をもった者が下の者に「お前達、このようにしろ!」ということはあります。「従わなければ殺すぞ!」という脅迫文はあります。

 だから、中国人・朝鮮人とお互いに条約を結ぶことなどあり得ないのです。結んだ条約があったとしても、戦争になれば破るための条約にしかすぎません。条約は破るためにあるのです。中国人・朝鮮人の間には、約束など全く意味がないということがわかります。

 日本人はどういうわけだか契約の民です。聖書との契約はありませんが、日本人は言葉を非常に大事にする民族です。言葉のことを「言(こと)の葉」と言ったのです。「言の葉」とは、「言葉は神である」という意味です。

 「忌まわしいことを言うな。忌まわしいことを口に出して言うと、悪魔がくるぞ。良い言葉を言っていると良い神がくるぞ」と考えてきたのです。「言葉そのものが神」という伝統があるのです。その言葉を通して表れてきたのが万葉集です。

 万葉集は「言葉は神」としてつくっているのです。日本人は西洋の神との契約はありませんが、言葉を非常に大事にして「言の葉」と言います。「言葉は神が与えるものであるから、いい加減な言葉を使ってはいけない」という外概念が日本人にはありますから、契約という概念もあるのです。これが大事な点です。

 ところが、西洋の言葉の約束は、見事に破られる世界ができてきたのです。これが新世界のアメリカです。アメリカ人は西洋人が多いので、「契約を大事にするだろう」と思いますが、そうではないのです。アメリカ人を支配しているのはユダヤ人です。ユダヤ人は、自分たちを隠しているのです。「ユダヤ人だ」と言わせないのです。アメリカの歴代大統領はユダヤ人です。それも知らせないようにしています。

 ユダヤ人は言葉を大事にしません。何故、大事にしないのでしょう。今、アメリカにいるユダ人は千年前にあったハザール帝国のハザール人でトルコ系の遊牧民です。このハザール人はある時、「ユダヤ教に改宗する」と言って、王様と国民がユダヤ教に改宗したのです。それから彼らは自分たちのことを「ユダヤ人」と言い出したのです。

 本当のユダヤ人の歴史は4千年ですから、今のユダヤ人とは全然違う民族です。今のユダヤ人たちをアシュケナジーユダヤ人といいます。アインシュタイン、オッペンハイマー、有名な学者はアシュケナジーユダヤ人です。この人たちは神と契約をしていません。

 アシケナジーユダヤ人は聖書を見たのですが、聖書はユダヤ人の血統の歴史です。ハザール人は今から千年前にユダヤ教に改宗したのです。聖書を読むと、一人たりとも自分たちの先祖の名前は出てこないのです。聖書はユダヤの歴史書です。ハザール人のことは書いてないのです。

 ハザール人は自分たちのことを「ユダヤ人」と言ったものですから、何と契約をしたのかというと、バビロニアタルムードと契約して彼らは聖書を読まないのです。これがアメリカを支配しているのです。聖書との約束など彼らは考えていないのです。アシュケナジーユダヤは、バビロニアタルムードで世界を運営しているのです。

だから今のアメリカ人には「約束を守る」という概念はないのです。約束は破るためにあるのです。自分たちに有利に持ち込むための契約書です。「お互いに約束を守っていこう」などということはないのです。

日米安全保障があっても、いざという時にはアメリカは日本を守りません。日本人は死んでも約束を守るのです。ところが、都合が悪くなったら「日本人は皆殺しだ」と言い兼ねないのです。事実、そうだろうと言われています。

 この約束という概念がないと、本当の意味で国は成立しません。これが世界の歴史です。我ら日本人は契約を守る民です。この誇りは大きいのです。


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