時代劇は鬼平犯科帳が面白い | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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 今も『鬼平犯科帳』は、再放送で3本放送されています。中村吉右衛門、萬屋錦之介、松本幸四郎、丹波哲郎などが鬼平をやっています。

 やはり中村吉右衛門が一番いいのではないかと感心してみています。非常に面白いのです。面白いということは、肩がこらないということです。楽にみていられる「時代劇の楽しさ」というものがあるのです。

 まず、時代劇はストーリーをみるのですが、ストーリーだけ読んでもつまらないのです。推理小説ではないので、「こんなストーリーで話が終わったのか」では、あんまりおもしろくないのです。

 ストーリーから見る時代劇というものがありますが、僕の見方は違うのです。「鬼平はどんな着物を着ているのか」、「鬼平はどんなお茶碗でお茶を飲んでいるのか」、「鬼平はどのようなキセルを使っているのだろうか」、「鬼平はどのような立ち振る舞いをするのか」、「鬼平はいかなる刀をもっているのか」など、このようなことを細かく見るのです。

 「おっ、いい物をもっているな!」という感じです。お茶碗は黒いお茶碗です。キセルは銀のキセルです。刀は黒塗りの鞘(さや)です。だいたい鍔(つば)を見ればよい刀かどうかわかります。「いいな、僕も欲しいな」と思うのです。

 鬼平のもっているものを求めて東北道の羽生パーキングへ行くと、「鬼平江戸処」があり、そこに五鉄のしゃも鍋とか食べ物屋があるのですが、僕が欲しかったのは、食べ物ではなくて、黒塗りのお茶碗です。そこには銀のキセルも売っていないし、刀も売っていません。お土産用の白い湯飲み茶わんが売っているだけです。「鬼平が実際に使っているような物を売ればいいのに」と思うのです。ここの担当者は馬鹿だとわかるのです。

 売り物はこの辺です。「鬼平が使った黒塗りの茶碗ですよ!」と言われれば、「買いたいな」と思います。「鬼平さんが使っていた座布団ですよ!」と言われれば「これも買いたいな」と思います。火鉢や煙草盆も必ず使います。「これも買いたいな」となり、けっこう買うのです。

 それが何もないのです。ただ、食べ物屋だけがあるのです。「これをつくった奴は馬鹿だな」とわかるのです。教えてやろうと思っているのです。

 鬼平は小物にこっているので、僕はすみずみまで見るのです。もう一つの小物は男女のからみがあるのです。1時間の番組に中で必ず男女のからみがでてくるのです。これがまた色っぽいのです。ちょっとしかでないのですが、必ずこれが出るのです。それがよほどのエロ映画よりも雰囲気があって面白いのです。

 それから雨、これが実にうまいのです。必ず雨が使われています。雨の中、傘をさして歩くなど、京都の雨はいいね。それから庭に雨がサーと降り、縁側で鬼平が眺めているのです。雨の使い方が絶品です。

 雨だけではなく小道具がこっています。それを見るのが楽しみです。鬼平の衣装もカッコいいのです。深編み笠の浪人姿も決まっています。黒い着物の着流し姿もあります。普段、鬼平は浪人と名乗っています。浪人の格好をして歩いているので深編み笠で、着流しで刀を大小と差しているのです。

着流しは浪人の姿で、お城に行く人は袴をはくのです。鬼平の着流しの姿も実によいのです。大小のおとし差しをして「かっこいいな。僕も差したいな」と思うのです。

 それからちゃんと袴をつけて「盗賊改めの鬼平である!」という時の姿も格好よいのです。風俗がすごくよいのです。立ち回り、これはかならず出てくるシーンですが、実に上手いのです。「さすが歌舞伎の役者だな」と思うだけのものがあります。

 このようなものがいっぱい詰まっているのが、『鬼平犯科帳』です。ストーリーだけ見ているのではないのです。雨を見て、小物を見て、鬼平の姿を見て、食べ物を見ているのです。必ずおいしい食べ物がでてくるのです。その美味しい食べ物を見て。そばの食べ方を見て「うまそうだな。僕もあれを食べたいな」と思うのです。

 すべて満足して見ているのが『鬼平犯科帳』です。そのように皆さんも見てみると時代劇がとたんに面白くなります。時代劇のストーリーなど面白くないのです。昔、鞍馬天狗の撮影現場を見にいったことがありますが、刀は十把一絡げで箱に入っているのです。箱にガサと入っていて、撮影が始まるとかってに刀をもっていくのです。刀はみな同じです。

 最近は違います。そんなものを差している奴は誰もいません。全部個性豊かです。鬼平の刀は鍔(つば)もよいものを使っています。鞘(さや)もお城にのぼる時は黒塗の鞘ですが、個人でもっているときには模様が入っているのです。それもちゃんと模様が入っているのです。

 毎回、「おお、いい刀もっているな!」と、刀を見るのが楽しみです。萬屋金之介の鬼平もよい刀を選んでいます。一人一人刀が違うところが面白いのです。

 昔はみな同じ刀を使っていました。最近はこっているのです。中身も昔は竹光(たけみつ)です。竹光(たけみつ)は抜くとかっこ悪いのです。今は竹光ではなく、ほとんどが本身です。映画で使う本身はジェラルミンです。ジェラルミンにクロムメッキがしてあるのです。だからピカピカに光るのです。刀を出されても本物ソックリに見えるのです。アルミなので軽いのです。それを本身と言っているのです。

 立ち回りの時には、人に刺さってしまうのでそれは使えません。勝新太郎の息子の立ち回りで一人死んでしまったのです。刀を振り上げた時に後ろにいる人の首に刺さり死んでしまったのです。危なくてそれは使えないので、立ち回りのときには竹光を使うのです。

 近くにきて刀を見せるときには本身を使うのです。時代劇で使う本身は本当の刀ではありません。それをもって撮影するのです。そのようなことを知識としてもっていると時代劇が面白くなります。そして、鬼平は奉行旗本です。その下には同心がついているのです。『右門捕物帖』は同心です。同心の通常のスタイルは、着流しで黒の羽織を着るのですが、刀は一本差しだったと言われていますが、時代劇では二本差しています。

 そのようなことがわかっていくと時代劇は楽しいですよ。



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