歴史の話 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

 一番大事なことは、「日本人よ、誇りを持ちなさい!」ということです。日本の歴書を研究していく中で誇りがなかったら意味がないのです。ここのところがすごく大事です

我々の先祖は「神」といいます。昔の人ほど優れているものの見方をするのです。

 現代的に言うと「昔の人は馬鹿で、現代人の方が賢い」、「昔の人は無智だった」という見方であり、「昔の人は馬鹿で、努力して利口になった」という見方ですが、これは西洋人の見方なのです。

 西洋人はそれでいいのです。なぜかというと進化論があるのです。人間の先祖をたどっていくとサルになってしまうのです。サルの前はネズミだったのです。どんどん生命が進化してサルから人間が生まれたという考えです。登っていく考えですから「人間が一番偉い」と言うのです。

 過去を見ると「アメーバーだった」というのです。日本以外の先祖は動物だから尊敬するものではありません。そのような考え方なのです。

 日本人は両親がいて生まれたのですが、両親をたどっていくと4人の御先祖様がいて、それをずっとたどっていくと、我々は「神」になるのです。高天原の神々の国から、この地上に天照大神が生まれられて人間界を照らすようになったのです。その何代か後に神武天皇が生まれられて、この国を治められて神が人間となって、人間の世が出現したのです。

 人間の世の前は神々の世界です。神々の世界が人間になったのです。昔の人間は神で神の子孫が人間で今の人間は末流ですからだんだん馬鹿になったのです。それが日本人の見方でなければいけません。

 例えば朝鮮人の先祖をたどるとクマです。クマと女が交わってできたのが朝鮮人です。先祖はクマなのです。世界中の国は先祖をたどると動物になってしまうのです。日本人だけが神から生まれた神の子孫なのです。

 これをそのまま信じるようにしていかないと神様の智慧はいただけないのです。高天原があり、そこから神々は降臨されたのですから、我々は高天原とつながっているのです。これを五次元世界と言っているのです。

 その代表が天皇です。天皇は半分は神で半分は人間です。ですから「現人神(あらひとがみ)」と言うのです。神とつながる一番近いところにいる人間という意味です。我々も現人神の子孫であるから、様々な神通力がわいてくるのです。そのような違いがあるのです。

 それと同時に「歴史をどのように見るのか?」ということが大事です。「人類の歴史はくだらない殺戮の歴史だ」と見れば、そう見えます。「侵略・侵略の歴史なのだ」そのようにも見えるのです。

 だから、日本人は自国の歴史に対して誇りを持つことが一番大事です。何を言われても「日本の歴史は微動だにしない」という強い信念を持たなければ歴史を勉強しても意味がないのです。

 例えばこの信念が現れたものが「邪馬台国論争」です。『三国志』の「魏志倭人伝」として卑弥呼の話がでてきます。日本人はこの話を江戸時代から追っかけているのです。「邪馬台国はどこか?」という論争を江戸時代からやっているのです。なぜやっているのでしょう。それは見つからないからです。どこを探してもこの女王卑弥呼の墓はありません。女王卑弥呼の墓は「計100歩」と書かれていて、歩いて100歩の円形を描き、それくらい大きい墓をもっていたのです。女王卑弥呼には千人の下女が使えていたのです。

 100余国の連合体が女王に使えていたと書いてあるのです。弟が一人いて、女王は誰にも会いません。女王は弟しか会わないのです。そして卑弥呼は鬼道を使うと書いてあるのです。ところが、どこに行ってもその国はないのです。女王卑弥呼が魏の国の王様に朝貢したというので、銅鏡100枚と金印を与えたのです。

 ところが金印はでてきません。卑弥呼は銅鏡を100枚もらったのですが、それもどこを探してもでてきません。墓もみつからないのですから、「なかった」とおもうべきなのです。僕ならそう思います。女王卑弥呼の墓はなかったのです。

 そこで日本が712年に国内向けに書いたものが『古事記』ですから、漢字とかたかなで表記されています。それから8年経って720年につくられたのが『日本書紀』です。『日本書紀』はすべて漢文です。外国向きに書いたのが、『日本書紀』です。

 『古事記』は日本人に伝えるものであり、どちらが本当のことが書いてあるのかというと『古事記』に書いてあるのです。

 シナの歴史書は王朝が変わるたびに書いているのですが、初めて倭人のことが書かれたのが『魏志倭人伝』です。

「帯方郡から倭国に至るには、水行で海岸を循って韓国を経て南へ、東へ、7000余里で〔倭の〕北岸の狗邪韓国(くやかんこく)に到着する。」と書かれています。

始めて海を1000余里渡ると、対馬国に至る。大官は卑狗(ひこ)、副官は卑奴母離(ひなもり)。絶島で400余里四方の広さ。1000余戸が有る。山は険しく、道は獣道のようで、林は深く、良い田畑がなく、海産物で自活。船で南北岸の市へいく。

(中略)南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る。官に伊支馬(いきま)、弥馬升(みましょう)、弥馬獲支(みまかくき)、奴佳鞮(なかてい)があり、推計7万余戸。」

女王卑弥呼の国は「狗邪韓国を出て船でて東に1千里行渡ると対馬に着きます。南に瀚海と呼ばれる海を1000余里渡ると一大国に至り、海を1000余里渡ると、末盧國に至り、東南へ500里陸行すると、伊都国に到着する。東南に100里進むと奴国に至り、東へ100里行くと、不弥国に至り、南に海で10日、陸を歩いて1月歩いたところに邪馬台国はある」と書かれているのです。

 どこへ行くのでしょう。対馬国まではいいのです。それからの経路をたどると沖縄の方向へ行ってしまうのです。あるいは太平洋のど真ん中に行ってしまうのです。それを論争して学者が「東の方向は西の間違えだ」と勝手に読み替えるのです。ある人は「四国にあった」と言い、或は「奈良県にあった」、「九州にあった」といい、一向に邪馬台国はでてこないのです。

 考古学者はお墓を掘って「何か見つからないか」と探しているのです。何を探しているのかというと、銅鏡千枚と金印です。それが見つかれば女王卑弥呼がもらった鏡だとわかるのですが、1枚も発見されていないのです。金印もみつかっていない、鏡もみつかっていない、場所は指定できない、ではなかったのではないですか。そのように思うべきなのです。

 ということは、それを書いた人が来ていないのです。妄想だけで書いたのです。過去のデーターを集めて勝手に解釈をしてつくったのです。ということは、女王卑弥呼はいなかったし、朝貢していなかったのです。僕ならそのように思うのです。

 しかし、一般の学者は「日本で書かれた『古事記』は信用おけないけれども、中国の歴史書は間違いなく真実が書いてある」と言うのです。冗談ではありません。シナはウソつきの国です。

 女王卑弥呼があったら大変なことになるのです。その時代に朝貢したということになります。魏の国へ行って年貢を納めていたということは、魏の国の属国となるのです。属国となるようなことを、なぜ血眼になって探すのでしょう。狂気の沙汰です。

 面白い話があるのです、テレビ番組で「卑弥呼」という字を書いて現代の中国人に読ませるのです。「これは何と読みますか?」と中国人に見せるのです。「ひみこ」などと読む中国人は一人もいません。中国人は「ペメーハ」と言うのです。

 「ペメーハ」という意味は「オマ○コ野郎」という意味です。「オマ○コ野郎」という名前を、日本人が女王の名前につけるはずがありません。倭人を貶めるために、「ペメーハ」=「オマ○コ野郎」の国があるのだということを魏が歴史書の中で言ったのです。それだけの話ですから、邪馬台国は永久に見つかりません。邪馬台国はなかったのです。

 そのように「日本の歴史書は信用できない。中国だから本当だろう」と馬鹿なことを言い、今でも論争をやっているのです。「九州にあった」という東京大学、「奈良にあった」という京都大学、こんな不毛な論争を永久に「ピーチクパーチク」と、一つも証拠がでないことをやっているのです。

 歴史とはある程度直感で「こうだ!」というものがあるから、僕は『謎の古代史』を書けたのです。そのように日本の国を疑ってはならないのです。「この素晴らしい国」という信念がないと本当の歴史はうまれてきません。

 なぜ外国人が見た日本の歴史が正しい歴史で、日本の歴史が正しくないのでしょうか。僕はこのように思っています。




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