太平洋戦争は日本が勝者であった! | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
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 朝鮮・中国から始まる日本人の自虐史観を刺激する根拠は、実はアメリカだったのです。『朝鮮人よ、日本人に土下座せよ!』が終われば次に「アメリカ人よ、日本人に土下座せよ!」ということになるのです。このことをみなよくわかっていないのです。

 なぜ戦争を辞めたのか、なぜ敗戦国だと思ったのか? 日本人は「悪いのは日本です」と深く思い込んでいます。「パールハーバーの攻撃を行い、残虐非道なことをやり、世界中を戦争に巻き込んだ張本人は日本だ」ということになっているのです。

 ちょっと待ってください。実は戦争に勝ったのは日本なのです。これは元自衛隊空将の佐藤守さんが「1950年のベトナムのサイゴンの陥落で米軍が撤退した日をもって大東亜戦争は終わった」と言っています。

 それまで日本は戦い抜いたのです。「インドネシアを独立させ、フィリピンを独立させ、インドを独立させ、サイゴンを陥落してベトナムを独立させ勝利したここまでが大東亜戦争で我々が勝利したと佐藤守さんは言っています。

 なぜかというと日本は戦争末期、陸軍中野学校で残置諜者を養成していました。残置諜者は現地に行き、現地人になりきり死ぬまで戦うという目的で約800名が養成されました。昭和19年、戦争に負けるとわかった時に、全員が散ったのです。北朝鮮、ベトナムなどアジアの諸国に散ったのです。

 残置諜者の教えは「現地人になりきること」です。小野田寛郎少尉がその内の一人です。だから小野田さんは「すべて知っていた」と言っていました。戦争に負けたときにどうなっているのかすべて知っていたのです。それは1台のラジオをもっていたからです。ラジオをもっていたので、放送を聞いてすべてわかっていたのです。

 「戦争が終わったことを知らなかった」というのはウソで、とっくの昔に知っていたのです。弾丸を3千発、個人では銃を3丁もっていたのです。それだけの装備を日本軍がおいていったのです。

 フィリピンのマルコス大統領は「貴方は敗戦者ではない」というのです。戦後30年間もジャングルで戦って、敗戦していないのです。小野田さんはマルコス大統領に刀を差しだしたのです。するとマルコス大統領は刀を小野田少尉に返したのです。「小野田寛郎さんは敗戦ではない。勝者である」とマルコス大統領は言ったのです。

 小野田さんは刀を2本返してもらい日本に帰国するときに刀をもってきたのです。1刀を靖国神社に奉納しようとしたら、国会議員の反対に遭い「こんな国にはおれない」と怒ってブラジルへ行ってしまったのです。

 よく考えてください。なぜ、日本は戦争をやめたのでしょうか。この辺がはっきりしていないのです。簡単です。ルール違反があったのです。リングに登り反則をやった方が負けです。ちゃんと原則があります。「金的をやってはいけない」「ケリをやってはいけない」という原則があります。やった方が負けるのです。当然のことです。

 太平洋戦争というリングで戦ったならば、アメリカ軍は大量の無別殺人をやりだしたのです。東京大空襲・横浜大空襲・名古屋大空襲・大阪大空襲・九州大空襲と、武器をもたない市民をかたっぱしから何十万人と殺しだしたのです。これは、ルール違反です。ヘーグ国際法違反では「武器を持たない、制服を着ていない庶民を殺してはならない」という規則があるのです。そのルールにのっとって戦争をしているので日本軍は一つもルール違反はないのです。

 アメリカ軍がやりだした無差別殺人はヘーグ国際条約違反です。その他原子爆弾を2発も落としたのですから、これはアメリカの反則負けなのです。アメリカが反則負けをしたということは日本が勝ったということです。

 日本が本当の太平洋戦争の勝者です。アメリカは、日本があまりにも強いので皆殺し作戦という卑怯な手に出たのです。日本は強かったので、戦後独自の経済発展をしてきたのです。

 日本の技術はすごいものです。戦艦ヤマトを造り、航空母艦を10艦もっていたのです。今だって航空母艦などアメリカ以外はできません。日本はそれをやってきたのです。世界に冠たるゼロ戦を造り、原子爆弾も日本でできていたのです。何でもあったのです。

 しかし、限度があってやってはいけないことはやらなかったのです。原爆も理研の仁科博士がつくったのです。「そんなものを日本が使ったならば、後々までも言われるから原子爆弾はつくってはいけない」と天皇陛下に言われたのです。

 そこで「そうは言ってもつくらないと大変なことになる」と思って軍部は北朝鮮に行ったのです。残置諜者が北朝鮮に行って原爆をつくることに決めたのです。日本は原爆を使われて負けたのですから「今度の戦争は必ず原爆戦から始まるから原爆をもたなければいけない」と思い北朝鮮に行ったのです。500名くらい行ったのだと思います。

 その中心者が畑中 理(おさむ)さんと言い朝鮮名は金策です。もう日本人だと言わないのです。残置諜者の教えでは「日本人だと言わない。やがて日本に帰ろうなどとするな。現地で骨を埋める」という任務に基づいて金日成を助けて「国家の親」と言われたのが、畑中 理さんです。徹底的に金王朝をつくってきたのです。

 この間、軍関係者が殺されたのもこの流れです。日本軍と朝鮮人が争っているのです。本当の朝鮮人が日本人によって粛清されているともいえるのです。そいつらは面白くないのです。日本人がつくったと知っているのです。金策は国葬です。それだけ北朝鮮のために尽くしたのです。「金策」という名前の船もあるのです。「金策市」もあるのです。それだけ尽くしたのです。

 北朝鮮の原爆も日本人のおかげでできたのに違いないのです。ですから、北朝鮮の原爆は絶対に日本に向いてきません。このような流れがあるのです。日本人は自信をつかまなければいけません。

 あの戦争で勝ったのは日本です。アメリカはあんな汚い手を使わない限りは勝てなかったのです。苦肉の策で日本の市民の皆殺しをやったのです。アメリカは後々までその罪を問われることになります。

 インチキ東京裁判をやりましたが、本当に悪いのはアメリカです。どうしてこれに気が付かないのでしょう。みなわかっているのです。今は仲良くやっているのでいわないという面もありますが、これは日本人が忘れてはならないことです。大東亜戦争は日本が勝ったのです。




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