朴 槿惠に教える日本と韓国の真実の歴史 15―①日本の身分制度について | 中杉 弘の徒然日記

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日本にも身分制度はあります。士・農・工・商・穢多(えた)・非人(ひにん)です。一番上の身分は武士です。これは特権階級であり。武士とは支配者です。

 次に支配者を支えるお米を作る農民が、次に偉い階級だと言われています。工人とは、物をつくる鍛冶屋、土器を作る陶工、道具を作る人のことです。

 その下に自分で物をつくらずに、右から左へ物を流して売買するのが商人ですから、士・農・工・商の中で一番蔑まれたのです。これが士・農・工・商という身分です。

 武士階級は身分を象徴するために刀を二本差したのです。これを、二本差しというのです。ところが、江戸時代に刀を差すのは身分ですが、身分ではない人間もいたのです。例えば、町人が旅をする時には、道中差しという刀を差したのです。刀を差しているからと言って、身分を表したものではないのです。それからヤクザ者が持つ長ドスがあります。これも刀を差すのですが、それは身分を表さないのです。身分は、二本差すから表すのです。

 江戸時代、身分がなくなった浪人は、本来は武士ですから刀を二本差していたのですが、遠慮して刀を一本しか差さなかったと言われています。浪人だから二本差せるのですが、遠慮して一本を差したのです。

 これが江戸時代の身分制度で、厳密なものなのです。髪の形から全て違うのです。武士は髷(まげ)を結いますが、町人の髷、工人の髷、全て違うのです。同じではないのです。時代劇を注意してみていると「これは武士の髷だな」「これは町人の髷だな」と分かってきます。

 武士の月代(さかやき)は何のために剃るのかというと、色々な説があります。「兜で頭がムレてハゲになってしまった」そのような馬鹿な事を言う人間もいます。そんなことも分からないのです。あれは、斬り合いをやった時に髪の毛が長いと目にかかってくるのです。月代を剃っていないと髪の毛が目にかかってしまいます。すると目が見えなくなってしまいます。だから頭の上を剃るのです。もし、刀で切られてもパッと髪が落ちても目は見えます。それが本当の理由です。

 それを真似して百姓・町人も月代を剃るようになりました。大変な身分制度です。百姓もそうです。百姓はお米を治めなければいけません。百姓は四公六民が普通です。国家に差し出すお米は四割です。自分が食べるお米は六割ですから、結構身分はよいのです。ひどいところは八公二民というところもあるのです。

 ごくまれに飢饉になった時には、五公五民になったのです。その場合は特例があり、隠し田圃は税金が取られないのです。太閤検地で「ここは一反」と帳簿に乗っているのです。帳簿に乗っていない新田、森を開墾してつくった田圃はおめこぼしですから、税金は取られないのです。それから畑もおめこぼしです。だから百姓は結構豊だったということが分ります。六割で食べて、その他新田はおめこぼし、野菜をつくってもお目こぼしですから、上納の義務はないのです。非常にラクだったのです。

 ですから、村人がそろって一年に一回のお伊勢参りなどに行けたのです。行事に参加したり、旅もできたのです。恵まれていたのです。

 百姓の下には工人がきます。工人も恵まれていたのです。一番恵まれていたのは、刀鍛冶です。刀鍛冶は、朝廷から「○○の守」という名前をもらっているのです。「和泉守兼定」などがそうです。刀鍛冶は工人です。工人が「和泉守兼定」という「守(かみ)」の名前をもらっているのです。他にもあります。「武蔵国守」と名乗れたのです。

 そして、よい刀をつくれば、千両くらいの値段がつきます。ダ物をつくっても10両くらいにはなったのです。10両と言えば、今でいう100万円です。工人と言えども、身分は高いし、刀鍛冶は武士ではないのですが刀を差していたのです。

 それから相撲取りとは一体何かというと、武士でもない、百姓でも、工人でもありません。しかし、相撲取りは刀を差していたのです。今でも千秋楽に太刀持ちがいますが、あれはその名残です。相撲取りは長い刀を差して歩いていたのです。相撲取りが刀を差すことは許されていたのです。

 幕府から許されて「苗字帯刀(みょうじたいとう)、お構いなし」というものをもらうと、名前が「○○村の弥太郎」ではなく、「木村弥太郎」と名乗れたのです。

 「土方歳三は百姓だ」と言われていますが、百姓ではないのです。「土方」という苗字を持っているのです。苗字帯刀だったのに違いないのです。苗字帯刀ということは、庄屋の身分です。豪農です。百姓と言っても、自分の家に道場まであったのです。お金もたくさんあって、苗字帯刀を許されていたのです。

 商人もそうです。「紀伊国屋文左衛門」は、苗字ではありません。「○○屋」と「屋」がついているのは苗字ではありません。商人で苗字をもった人はあまりいません。「越後屋」と言って、苗字は名乗れなかったのです。それでも多額な金銭を寄付すると恩賞として苗字帯刀を許されたのです。

 名字帯刀を許されたということは、準士分ということです。「士分ではないけれども、士分に準ずる」ということです。

 さて、そこまではよいのですが、その下の身分です。穢多(えた)というのは、今でいう部落民です。はげしく身分を蔑まれたのです。「穢多だからこれはしてはいけない」ということがあり、まず、住む場所は「お前達の住む場所はここだ」という所にしか住んでいけないのです。主にそれが河原で、村には住めなかったのです。

 村は村人だけであり、村人に属さない穢多は河原にいたのです。河原に乞食小屋を立ててそこに住んでいたのです。仕事は動物を殺したり、皮をはいだり、肉を食べたりしていたのです。殺生を嫌がられていた時代ですから、穢多がそれを請け負っていたのです。

 罪人を死刑にする場合に槍をついて処刑する人は、穢多がやっていたのです。非人がやる場合もありますが、人殺しをやるのは穢多・非人です。そのように差別されて、一般の人は口を聞いてもいけなかったのです。「口を聞くと自分も汚れてしまう」という物凄い差別があったのです。

 穢多の下に非人がいるのです。非人とは、悪い事をやって士・農・工・商の身分から落とされて、身分がなくなった人間が非人になるのです。非人は一番下ですが、品行方正に一生懸命やっていると身分が上がる場合もあったのです。士・農・工・商にもどる人もいたのです。

 穢多から身分が上がることはないのです。穢多は血の流れです。穢れているからさわってもいけないのです。

 この身分制度は明治5年に廃止されたのです。「市民平等だから、そんな事はいい加減にやめよう」ということです。ところが明治政府はしつこく、「穢多・非人は後々まで分かる苗字にしよう」ということで考えたのです。

 それにはまず穢多・非人は苗字がないので登録に来させたのです。それで、苗字がもう決まっていて動物の名前をつけたのです。「見目」「猪口」これは、穢多・非人です。それから「東・西・南・北」、「上・中・下」など穢多・非人につけた名前です。「神や仏(おさらぎ)」もそうです。

 穢多・非人は京都に多く、東北の方にはいないのです。明治政府が後の役人が見て後々までわかるようにしたのです。苗字を見て「あ、この人は穢多だな」と分かるようにつけたのです。明治政府も悪いですが、「なるほどな」ということです。うまいことを考えたのです。

 大阪の橋下知事は自分で「穢多」だと言っています。橋の下に住んでいた穢多なのです。だから橋下というのです。自分は「はしもと」と読ませて、弟は「はしした」と読ませているのです。お父さんは穢多のヤクザです。

 今でもこの身分制度は続いているのです。大企業は、穢多はとらないのです。履歴書が入ると調べるのです。穢多は水平社という運動をおこしたのです。全国水平社(ぜんこくすいへいしゃ)は、1922年(大正11年)3月に結成された、第二次世界大戦以前の日本の部落解放運動団体です。

島崎藤村は、穢多の出身です。島崎藤村は学校の先生になるのですが、自分が穢多だと分かるのです。差別があり、『夜明け前』という小説を書いたのです。「このような差別がなくならなければ、日本の夜明けはない」というのが小説の内容です。

 普通、穢多とは絶対に結婚させないのです。穢多は東京では、四谷に多くいたのです。「四つ」がいたから「四谷(よつや)」と言ったのです。

 明治政府は穢多に「西南戦争に行け。そうしたら穢多の身分はなくしてやる」と言い、穢多は西南戦争に行って西郷隆盛と戦ったのです。帰ってきて穢多ではなくなり、四谷が生まれたのです。後は東京の東村山にいます。これが東村山闘争です。あの辺りにいるのは、サンカです。

 奥多摩の奥の秩父の辺りにはサンカがいると子供の頃、聞いていました。これも部落民です。サンカは定住しないのです。穢多部落はありますが、サンカは定住しないのです。必ず移動するのです。そして、河原に移動するのです。鉄鍋一つをもっていて、それでご飯を炊くのです。

河原に穴を掘りビニールをはり、焼いた石をジュと入れるのです。それをお風呂にして入るのです。サンカは美人が多いのです。サンカの流れの人が芸能界にも大勢います。物凄く色が白くてかわいらしくて綺麗です。人に裸を見せることは何とも思っていません。裸で誰とでも寝てしまうのです。

 籠や竹細工、ほうきをつくり、お米と交換してもらったのです。作家の鬼塚英昭氏は、サンカです。竹細工は代々サンカの仕事です。そのような人々を穢多・非人と言ったのです。江戸時代の偉さは、穢多・非人の頭(かしら)をつくったのです。それが弾左衛門(だんざえもん)です。弾左衛門は、穢多頭で、待遇は武士です。

 首切り朝右衛門も武士ではないのです。罪人を斬るのは穢多・非人ですが、格式は武士と同じです。これが日本の身分制度です。今でも残っています。

(続く)



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