オカマの話 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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※若衆
BSの「江戸のススメ」でオカマの話をたっぷり1時間見ました。江戸時代はこんなにオカマが多かったのかと驚きました。

 少年の歌舞伎役者は「若衆方」と呼ばれ、彼らは、何より美しい容姿が重要視され、振袖を着て舞う姿はまるで女性のように艶やかだったといいます。それをごひいきにしたのが大名だったのです。地若衆を題材にした「縁先物語」などを描いた浮世絵師・鈴木春信などもいました。

 江戸時代はこの話によると、ほとんどがオカマです。特殊な人間だけがオカマをやっているというわけでもなく、年齢でやっていたのです。11歳から19歳の間にオカマにされてしまうのです。全く普通の状態でオカマが出来上がってしまうのです。

 若衆は盛りが短く、11歳~14歳は「蕾める花」、15歳~18歳は「盛りの花」、19歳~22歳は「散る花」と言われていました。若衆として稼ぐことができなくなった20歳をすぎた男たちは、役者として身を立てたり、身請けされる者もいました。しかし、それは極めて稀なケースで、多くは、奥女中や金持ちの後家など、女性相手に転向し、色を売っていたようです。

 11歳から19歳の間はオカマで、それを過ぎてしまうとヒゲも生えてきてしまうから相手にされないのです。それまでは女のしつけをされてオカマになってしまうのです。

 坊主のオカマもいて、歌舞伎役者と同じ格好をして歩いていたのです。子供だから前髪があるので、その前髪が「いろっぽい」と言ってオカマが大流行したのです。

 あまり流行りすぎて、「前髪を斬り落とせ」というお達しがあり、前髪を斬り落としたのです。それでもオカマはなくならなかったのです。頭巾をかぶりオカマは大繁盛だったのです。面白い話です。

 あちこちに待合所があり、オカマ専門のホテルもたくさんあったらしいのです。平賀源内がよく通っていた陰間茶屋は湯島にありました。金持ちになると自分の宴席に豪華にオカマを呼ぶのです。そのまま夜に突入するのです。オカマは20歳までですから、20歳過ぎたらオカマではなくなるのです。その後はどうするのでしょう。

 子供の頃は「可愛い」と言われて本人もその気になるのでしょうが、20歳を過ぎたらオカマはどうなってしまったのでしょう。

 傑作なのは、箱根にオカマ専門の温泉があるのです。何故、温泉に行くのかというと、痔になってしまうのです。それを治すのに温泉に行くのですがそれが「底倉温泉」とか、そんな名前がついているのです。

 確かにそんなことをやっていたら痔になってしまいます。江戸時代はいたるところにオカマがいたのです。江戸はほとんどがオカマだったのです。


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朝堂院大覚 剣道と神道 2014 ・6・5


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