朴 槿惠に教える日本と韓国の真実の歴史 7 | 中杉 弘の徒然日記

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韓国人という言い方があります。しかし、『三国史記』の記述によれば、「韓人」と呼ばれる人は、どうやら大和民族らしいという事が分ってきました。

 韓国では、3~5世紀頃の前方後円墳が大量にみつかっています。驚くべきことに、完璧な前方後円墳です。これが、ソウルから南にまんべんなく前方後円墳が広がっています。

 この前方後円墳から埴輪も見つかっているのです。びっくりしました。仁徳天皇陵とそっくりな古墳もあるのです。まさに、この時の前方後円墳を見ると「朝鮮半島は日本か?」と思うくらいです。

 実はその通りだったのです。韓国南部と、38度線のちょっと北くらいまでは、倭人が国を造ってきたことが分かってきたのです。百済の国も新羅の国も三韓(馬韓・弁韓・辰韓)も、倭人が造った国家だと言われています。朴槿惠さん、これを知っているのでしょうか?

 貴方達は、韓国から前方後円墳が出ると都合が悪いので、ブルドーザーで壊してしまうのです。それでも、前方後円墳がしっかり写真に撮られているのです。現在、残っているだけでも70基あります。

 「なんだ、朝鮮半島には倭人の国があったのか。朝鮮人などというものは、いなかったのだ」ということが分ります。

 倭人がいたところに、大量のエベンキ人が高麗の国におしかけてきて略奪をはじめたのです。エベンキ人とは、世界一残酷で汚い民族で、「衛生観念が全くない」と言われている野蛮人です。

 これが、何しろおしっこと飲料水の区別をしません。ウンコから酒をつくる、どうしようもない民族です。真ん中にトイレを置いて、その周りにテントをはり、ドロ水の中で寝るような生活です。衛生観念は全くないのです。

 驚いた事に現代の朝鮮人と同じです。日韓併合前の韓国を見ると、町の真ん中に川が流れていて、その中に小便・大便をして、米を研いで、洗濯をして、これ以上汚い民族はいません。イギリス人の女性旅行家であるイザベラ・バードが「世界一汚い民族だ」と言っています。

 この汚い民族性はどこから生まれたのかというと、これはエベンキ人が持ってきたものです。エベンキ人は、トーテムポールを造るのです。今ではロシアなどに少数民族として存在しますが、6万人くらいのエベンキ人がいます。

 エベンキ人は木の上に鳥のトーテムポールをつくるのです。トーテムポールは村の入り口と出口につくり「天下大将軍、地下女将軍」と書かれていて、これが日本の高麗駅にもあります。これが、エベンキの風俗と同じです。まだまだ類似点はあります。「アリラン」もそうです。「アリラン」とは、エベンキ語で「よくいらっしゃいました」という意味です。

 この「アリラン」という歌の意味を韓国人は理解できないのですが、エベンキ人は理解できるのです。トーテムポールの風習、汚いという風習、アリランの歌や言語など、非常に類似していて、要するに「エベンキ人は韓国人のルーツである」と言ってもよいのです。

 どのようにして韓国人のルーツになったのかというと、高麗の国に大量にエベンキ人が押し寄せて、高麗にいた高麗人達は、日本に逃げ出したのです。それが、埼玉県日高市の辺りに住んで「高麗王寂光」の一族になったのです。約1800人来たと言われています。

 エベンキ人だけではなく、女真族(満州族)、韃靼族(だったんぞく)、モンゴル族、様々な蛮族が来て、朝鮮半島を蹂躙(じゅうりん)してしまったのです。その度に前から居た民族は皆殺しにされて、女だけ残して子供を産ませて混血したのです。もともと人数が少ないので近親相姦になってしまい、それでどんどん人間が増えてきたのです。

 高麗以降の李氏朝鮮辺りから出来てきた民族が「朝鮮人」と言われるようになり、今の日本人とは全く関係のない民族です。日本人と朝鮮人の遺伝子は、全く違うのです。高麗人の遺伝子と日本人の遺伝子は、多分同じだろうと思います。言語も共通しているところがあったのです。百済の王様や、新羅の王様と話をする時は、ほとんど日本語で通じたのです。

 現代の朝鮮人は百済・新羅・高麗の一族でもないのです。エベンキ人が押し寄せてきて、片っ端から殺して、侵略してその民族に成り代わり、近親相姦をしてのさばったのが、世界最悪の民族と言われえるエベンキ人(朝鮮人)です。エベンキ人は孤立しているのです。この歴史をみると、韓国人の特性がよく分かるのです。

 高句麗は朱蒙(チュモン)がつくったのです。朱蒙は扶余族ですから、朝鮮人ではないのです。日本人は「韓国という国があった」と思っているのですが、実は何も無かったのです。

 倭人がいた所に、雑種が入って犯しできた国だから、朝鮮などという国はなかったのです。今の朝鮮民族を一言で言うと、倭人、漢人、エベンキ人、満州人、蒙古人の合作なのです。そこに朝鮮という国があったのではないのです。

 朝鮮半島で一番長かった国は高句麗(紀元前37年―668年)です。しかも、最後はエベンキ人がのっとったのです。「文化大恩の国、韓国」というと偉大な国がそこにあって栄えてきたように思いますが、何も無かったのです。これが現代の研究になって明らかになってきたことです。

 むしろ、そこに残った文化は、前方後円墳であり、これは日本独自の文化です。その前の地層からは縄文土器が出てくるのです。前方後円墳と縄文土器を合わせてみると、九州文化圏が朝鮮半島の南部に広がっていて、一帯の国があったと思ってよいのです。

 それが蛮族の侵入により打ち破られて、倭人は日本に戻ってきたのです。山口県の大内家は「百済の聖明王の第三皇子の子孫である」と言っています。これは、朝鮮人を意味しないのです。百済にいた聖明王は倭人ですから、国を造っていたけれども、蛮族が侵入してきて「帰ろう」と日本に帰ってきた人達です。だから、堂々と「百済の聖明王の第三皇子の子孫だ」と言えるのです。

 島津の殿様も「新羅三郎義光(しんらさぶろうよしみつ)が先祖だ」と言います。新羅(しんら)とは、新羅(しらぎ)の事で、倭人がつくった国だったのです。倭人の造った国をあきらめて「日本に帰ってきました」というのが新羅(しんら)と名乗る所以(ゆえん)であり、朝鮮人が日本に来たのではないのです。これを我々は、しっかりと知らなければいけません。

 朝鮮には国はなく、朝鮮人はいなかったのです。


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