朴 槿惠に教える日本と韓国の真実の歴史 6 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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韓国には何も無かったのです。これが、前回の結論です。韓国民族がそこにいて、それがずっと文化を守ってきたように考えているけれども、実はとんでもない事が分り、何も無かったのです。

 韓国人は、韓国ドラマをつくって年間30億かけてウソの歴史をつくっているらしいけれども、着ている物も全て捏造です。

 韓国に無かった代表的な3つの物があります。一つは、着物の色がありません。染料がないのです。二つ目に、車がありません。三つ目に、着物を縫う針がないのです。こんなものもできなかったのです。韓国には、恐ろしく何も無かったのです。

 針は中国から買っていたのです。非常に大事なものだったのです。針もできない、車もできない、何もできない、お金がない状況だったのです。これが李氏朝鮮の始まりです。大韓帝国の前は、李氏朝鮮で518年間の統治の間は何もなかったのです。1割の両班(ヤンパン)階級がのさばって、税金の決まりもなく、税金の取り放題だったのです。

 道路が無く、道がなく、染料もなく、針もなく、桶もなかったのです。桶は木を曲げてつくりますが朝鮮人はできなかったのです。日本酒を入れる樽が朝鮮人はできなかったのです。本当に何もなかったのです。

 これが、李氏朝鮮の実体です。庶民は作物をつくっても、両班が全て持っていくのです。女は両班の命令でおっぱいを丸出しで歩いていたのです。いい女がいると「ちょっと来い」と連れて行ってしまうのです。両班のための世界であり、常民・平民・白丁・奴隷という階級があっても、実際は両班のやりたい放題です。字が読めるのも両班だけです。

李氏朝鮮は明の属国でしたので、漢詩が読めないと困るので字は読めたのです。一般庶民は字が読めません。「一般庶民が字を学んではいけない」という考えですから、庶民が字を習っているなどバレたらぶん殴られてしまいます。本当にひどい目に遭うのです。

それから、両班は拷問のやりたい放題です。板に穴を5個くらいあけられて、そこに首を入れられている写真が何枚も残っています。これが、李氏朝鮮時代の実体です。庶民の側は、字が読めない、道路がない、水道もない、下水道もない、車もない、桶もない、針もない、何も無かったのです。

だから、明の皇帝に貢ぎ物を持っていったのです。何もないので、人間を持っていったのです。産業がないので、貢ぎ物は人間以外にないのです。女が3千人、男も3千人、これを貢ぎ物として明の皇帝に捧げたのです。

男は宦官(かんがん)です。男性器を切り取るのです。女は美女だけ集めておくるのです。そうなると、どうなるかというと朝鮮には若い男がいなくなり、若い女も明に持っていかれていないのです。

そこで、近親相姦が始まるのです。これが当たり前なのです。兄と妹、姉と弟、父と娘、母と息子、これが当たり前なのです。韓国にとって近親相姦は、全く普通の事なのです。普通にご飯を食べるようなもので、不思議な事だとも、何とも思わないのです。

そして近親相姦で子供が生まれます。近親相姦は血が濃いので、良い子供が生まれる場合もありますが、悪く出ると前頭葉がなく火病だったり、変な人間が生まれてくるのです。それが韓国の火病の源です。

李氏朝鮮の最初の頃には、朝鮮の陶工がいて、多少優れた人もいました。何故、日本より焼き物が発達したのかというと、日本には材料の粘土が無かったのです。陶器が中国でできたのは、分かってしましたが、日本国内では、その土がなかなか見つからないのです。土が無いと陶器はできないのです。

朝鮮は、陶器に使う土が取れたのです。だから、陶器の白磁や、青磁ができてきたのです。豊臣秀吉の時代に朝鮮から日本に連れてこられた陶工は、「ここで陶器をつくれ」と言われて土を探してもないのです。一生懸命に探しても土がでてこないのです。

司馬遼太郎の「故郷忘じがたく候」という小説では、その事をテーマに書いています。朝鮮人が一生懸命土を探して「あった!」と、鹿児島の苗代川で土を発見するのです。「これで、いけるぞ!」と喜んで朝鮮人がつくったのが薩摩焼だと言われています。

それが唯一、日本になくて、朝鮮にあったものです。日本はそれを発達させて有田焼や、様々な焼き物になっていったのです。陶器だけは、朝鮮の方が早かったのです。

日本の土器は5千年から1万年の歴史があるので、全く話になりません。陶器は一旦焼かなくてはいけません。焼いてガラス質のうわぐすりを塗って、表面をガラス状にして仕上げていくのです。

朝鮮は土器と陶器はあったのですが、庶民が水を運ぶ時は土甕(つちがめ)です。土甕(つちがめ)は重いのです。それを持つだけでも重いのに、酒や水を入れて人間が担いで運んだのです。

日本人は、昔から何万種類という美しい着物の柄があります。髪型も日本の女性は結い上げて美しいのです。

李氏朝鮮の末期の写真を見ると、女性が髪をあみあげていますが、あれは日本の真似だと言われています。その前に朝鮮を旅行した、イザベラ・バードによると、李氏朝鮮の第26代王・高宗の妃・閔妃(ミンぴ)に会ったけれども、真ん中分けで後ろに髪を束ねた質素なスタイルです。それが写真を見ると髪を結いあげているので、「あれは違う人間だろう」と言われています。あれも日本の真似です。

チマチョゴリも全く色がついていません。王様になると多少は色がついていると思いますが、白一色の着物です。道路は舗装されていないので、雨が降るとぬかってビチョビチョです。そこにウンチをするのです。ウンチと土がグチャグチャになってしまう、そのような世界です。

李氏朝鮮時代の庶民の家は、1階の建物しか建ててはいけないのです。1階の天井を藁でふくのです。草ぼうぼうの小屋という感じです。下は土間でそこに寝るのです。ひどいものです。それで、李氏朝鮮時代518年間を押し通してきたのです。

要するに文化などどこにもないのです。江戸末期につくられた江戸の町と朝鮮のソウルで撮られた写真を見ると天地雲泥の差です。犬小屋(ソウル)と御殿(江戸の町)の違いがあります。

李朝の王様は自分のことしか考えていないのです。何故、そのような状態でほったらかしにしたのかというと、「お前らが力をつけて道路をつくったりすると反乱する」「字を教えたりすると反乱する」ということなのです。庶民に反乱させないためなのです。

だから水道も下水道もつくらせないのです。おそらくトイレもなかったのです。モンゴル人は今でもトイレがないと言われています。チャイナ服を着ていて、さっとおしりをまくってどこでもやってしまうのです。

草原なので、トイレなどつくりません。草原なので、ウンチが乾燥してバラバラになり肥料となり、下に沈んでいくのです。そのような国なのです。

朝鮮もその血を引いているので、突然、トイレはなかったのだと思います。だから、皆その辺りでウンコをするので、「あそこにもウンチが落ちている」「ここにもウンチが落ちている」という、ウンチだらけの状況だったのです。

それは、朝鮮人にとって全く普通のことなのです。モンゴルでは、人が死んでも埋めません。大王くらいなら墓をつくるでしょうが、庶民は死んだ人間を馬に乗せて、馬に鞭を打つと馬が走り、死んだ人間がどこかで落ちるのです。それでいいのです。夜になると、野犬や狼が来て死体を食べるのです。食べてしまえば、何も残らないのです。

朝鮮はそれに近いのです。おそらくトイレはなかったのだと思います。トイレがないのですから、小便は川に流してしまいます。

そのような意味でいうと、それが韓国の本当の歴史であり、朴槿惠さん、ここのところをよく勉強しなさい。



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