権力の魔性 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

 「無理が通れば道理がひっこむ」という諺(ことわざ)があります。無理とは何かというと、権力です。道理とは「正しい理」の事であり、『理(り)』を求めたものです。権力というものには、正しい理はなく力づくです。「俺が右と言ったら右、左と言ったら左」、「戦争をやると言ったら、戦争をする!」ということです。

 権力には、「何のために?」とか、「正義」はないのです。正義というのは話し合いの結果、正しい結論をだそうとする考え方です。権力は無理なのです。無理ということは、正義はないのです。

 「私の思い通りにやれ!」と言うのですから、正義で行動をしている人は、びっくりしてしまうのです。「何だ、これは?」これが、今の安倍政権です。「力づくで、集団的自衛権を通すぞ!」「公明党、反対するならしてみろ。憲法解釈によって、ぶっ潰すぞ!」それは、権力なのです。

 民主党の海江田代表が党首討論で質問したら、安倍は笑ったのです。「変なネクタイしてるね。似合わないよ」という事を言ったのです。安倍は「ヘっヘへ・・・」と笑って「もう君は、相手ではないよ」と馬鹿にしているのです。

 「どうして集団的自衛権が必要なのか?」ということは、シャットアウトして、安倍は「何でもいいから通すのだ。反対するならお前も徴兵制で戦場にひっぱっていくぞ!」というような、恐ろしい権力者に豹変したのです。

 これは特殊な人間というよりも、人間は権力を持つとそうなるのです。例えば自分が千名の部下を持つ警察署の所長になったとします。すると正義で行動しようと思わなくなります。部下を命令で動かそうと思うのです。いちいち署員の意見など聞いていられませんから、「お前は交通課だよ」「お前は刑事課へ行け!」となるのです。署員を命令で「はい!」と言わせて従わせるのです。これが権力なのです。

 その人が偉いから従うわけではないのです。所長という権力を持っているから従わざるをえないのです。そのような事は、国家でも同じです。国家とは、物凄い権力です。安倍さんの立場で見ると、日本国全てが自分の物になった感じがするのです。

 日本は凄い国です。「23万人の自衛隊は全て掌握した。俺の命令で動く。全国の警察官も俺の命令で全部が動く」「あらゆる学校も、あらゆる官庁も、全て俺の命令で動くのだ」事実、そうなのです。総理大臣はそれだけ権限を持っているのです。凄い権力です。

 その権力をつかんでしまうと、最初はオタオタしてしまいますが、そのうちにだんだんと「俺には凄い力がついてきたのだな。天下無敵だな。権力は凄いものだ。死んでも権力は離さんぞ!」と豹変してしまうのです。

 ヒトラーも同じです。権力がない間は、ミュンヘン一揆で牢獄に入れられた浮浪者です。権力がだんだん身に付いてくると人間の命もムシケラのように思えてしまいます。「お前、死んで来い。どうせ、ムシケラだろう」そのように考えるようになってしまうのです。

 そのような世界には、人権の尊重などないのです。「お前、部隊に入って戦争に行ってこい。死んで来い!」となるのです。そして、「命令に従わないと死刑だぞ!」と国民を脅かすのです。凄い権力です。

 これが王様や、総理大臣の力なのです。そこには一つの大きな力があり、長く王朝を続けている国は、長年の経験で「このような権力は使ってはいけない」「これは抑えなければいけない」「これは相手の思想をとらなければいけない」という伝統が深く身に付いているのです。「ここまでやってはいいけれども、これはやってはいけない」というボーダーラインがあり、だから王朝が維持できているのです。

 天皇家は、最高の権力者です。戦前は特にそうです。全てが天皇のものなのです。その中の国民は赤子(せきし)と言ったのです。国民は、天皇の子供です。国民の生殺与奪権は天皇が握っているのです。死刑にするのも、島流しにするのも、天皇の一存でできるのです。

 しかし、その持てる力を無理に使うと「こうなる」ということを長年の伝統で支配者は知っているのです。うまく政治のバランスが保たれているのですが、安倍のような選挙でつい最近でてきた権力者は限界を知りません。だから、道理を無視した馬鹿みたいなことをバンバンやるのです。

 ガソリン代は6日間値上げ、消費税も値上げ、「なんだってできるぞ。俺にはそのような力がついているのだ。今度は徴兵制だ! 国民は戦争に行って来い。俺も凄い力がついたな」このようになってしまうのです。

 「ゆえに恐ろしきは権力なり」権力の暴走を止めるのは、正義しかないのです。「お前、それは正義ではないだろう。道理に外れているぞ」ということを主張していくのです。「無理が通れば道理がひっこむ」権力が横暴になると、道理はどんどん引っ込んでいかざるをえません。

 秦の始皇帝も最後は悲惨です。道理を説いた儒学者達を集めて「そんなものは燃してしまえ!」と書物を燃やしたのです。何故ならば、道理を説いているからです。「君主というものは、こうしなければならない」と書いた書物は、「そんなものはいらん。全て俺の命令の通り動くのだ!」と、儒学者500人に穴を掘らせて生き埋めにしてしまったのです。

 「俺が法律であるし、俺が神である」という傲慢な姿勢になってしまうのです。最後は天に見捨てられて死んでしまうのです。

 秀吉も最初は良い人で人殺しを嫌い人の命を助けてきたのです。信長が「殺せ!」と言った人間でも殺さないのです。隠しておいて信長の怒りがおさまった頃に、「あいつを殺したのは、失敗だったかもしれぬ」と信長が言うのです。「大丈夫でございます。かくまってございます」と秀吉が答えると、「ようでかしたな、サル!」と信長に言われたのです。

 それくらい人命を大事にしていたのです。高松城の水攻めの時もそうです。秀吉の戦争は土木工事です。川をせき止めて高松城を水浸しにして、城が湖の中に浮いた状態になってしまったのです。兵糧がいかないのでどんどん飢え死にしてきます。

 秀吉は「城主の清水宗治が切腹すればよい。後の家臣は助ける」と言って人命を大事にしたのです。ところが、出世して太閤になってくると、自分の甥の関白・秀次は切腹させてしまい、千利休も切腹させてしまい、ともかく滅茶苦茶に殺戮を好んで、子供までも殺してしまい、権力を誇示したのです。権力は恐ろしい。

 我々は、しっかりと権力を監視していかなければいけません。




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朝堂院大覚先生と中杉博士の対談「剣道と神道」

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【NET TV ニュース.報道】

朝堂院大覚 剣道と神道 2014 ・6・5


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