(1)の続き
メモ帳には二日目以降の山行の記載はなく、コースタイムのみとなっている。
アルバムにはコメントがついていないため、そのときのことを思い出せない写真も多い。
>7/27
涸沢テン場 6:50
翌日は朝から良い天気だった。早速、ザイテングラートに取りつく。夏のトップシーズンなので登山者も多い。
休憩 7:50 8:00
途中で六十代くらいの老夫婦を追い抜いていったが、自分はいつものごとくオーバーペースだった。その先で息を切らして休んでいる脇を彼らがひょうひょうと抜き返していく。その姿は一見、のんびり歩いているようだったが、休まず一定のペースで歩く方が結果的には早いということを教えられた気がした。
ザイテングラートの岩場に差し掛かり鎖場が現れる。狭い登山道のすれ違いに時間がかかる。
>穂高岳山荘 8:50 9:30?
白出のコルには二時間ほどで着く。穂高山荘の前で一息ついたあと、いよいよ奥穂の岩場を登る。
のっけから急な岩場を登っていく。少し登ったところで狭い登山道のへりから二、三十メートル真下に穂高山荘の赤い屋根を見下ろすようで足がすくむ。
こんなところはさっさと通過したいと思ったが、よりによって行き違いの渋滞でなかなか先に進めない。帰りもここを下るのかと思うとちょっと不安になる。
>奥穂高岳 10:45? 11:20
それでも山頂には無事到着した。「北岳より二メートル低かったことを残念に思った今田重太郎が石を積んで三メートル高くした」ケルンの上で記念写真を撮る。
山頂から三百六十度のパノラマを満喫したはずだが、肝心なそのときのアルバムが見当たらない。(二冊あるうちの初めの一冊)なので、そのときの眺望に関しては後日あらためて書き加えることになると思う。
二冊目の最初にパノラマ版の一枚だけ入っていた。北の方向を向いて撮ったもので、左から黒部五郎岳、その奥に北ノ俣岳、手前には三俣蓮華から双六岳、その右の奥へ鷲羽岳、水晶岳とその先の裏銀座の山々、その左奥に剣岳、立山、手前の涸沢岳から続く稜線と樅沢岳から続く西鎌尾根が合流した槍ヶ岳が写っている。
眺望を楽しんだ後で、不安のあった下山もなんとかクリアしてコルに戻る。
>穂高岳山荘 12:00 12:50
そこで一休みしてから反対側の涸沢岳にも登ることにした。登山道の脇がテン場になっていて、それほど広いスペースではなかったように思う。
こちらはとくに危ないところはなく、難なく山頂に着く。
>涸沢岳 13:15 13:20
けれど、その先に目をやると様相が一変する。北穂との間の岩稜は険しく、急な崖に登山者がアリがへばりつくように登っているのを見ただけで、これは自分には無理だと臆病風に吹かれてしまう。
そのときはあわよくば北穂まで足を伸ばそうとも思っていたかもしれないが、すごすごと引き返すことになった。
>穂高岳山荘 13:35 13:45
ザイテングラート 14:45
再びコルに戻り、ザイテングラートを下った。見下ろすとカールの中にはまだ残雪がたくさんあった。
>涸沢テン場 15:30?
テントに戻って一休みしたか。
夕方、晩飯の準備でテントの外に出ると、遠くに夕日に照らされた入道雲が見えた。
けれど、その晩も雨が降ることは無かった。
>7/27
涸沢テン場 8:10
本谷橋 9:15 9:25
横尾山荘 10:30 10:50
徳沢園 11:40 11:50
明神館 12:40 13:00
上高地バスターミナル 13:50
翌朝下山した。上高地には十四時頃に戻ってきているようだ。
その日のうちに帰京することもできたが小梨平キャンプ場にさらに一泊していった。
仕事をしていたときは限られた日程で忙しかったので、フリーで時間がある時にのんびりしておこうと思った。
上記のコースタイムでは、キャンプ場に入る前にバスターミナルに寄っているようだが、バスの時刻の確認かトイレで用を足しにでも行ったか。
夏休みなのでキャンプ場の利用者は多かった。夜になると、焚火をしているグループなどもいた。
ときおり周囲からシカなのか獣の鳴き声がしたが、暗がりの中にその姿は見えなかった。
>7/28
上高地バスターミナル 9:00
最終日の朝は帰る前に上高地温泉ホテルで入浴してきたように思う。
>新島々 10:20 10:40
松本 11:10 12:20
松本からは交通費節約のため高速バスで帰京している。