(1)の続き

 夕食までの間、寝床に潜っていたが、寒気がして今晩は毛布一、二枚ではとても眠れないのではと不安になる。
 少しうとうとしていると夕食の時間になる。単独行で小屋泊まりすると食事時がやや気が重い。

 単独行の人とであれば話もしやすいが、数名のグループが固まっている中に入ってまうとそこで出来上がっている雰囲気に入りづらいのだ。

 残ったところに座ればいいと思い、列の最後の方について配膳を受けてから空席を探す。

 ところが、どのテーブルにも数名のグループがいて、その中の空いているところに入り込むが、やはりグループの会話には入りづらく居心地が悪い。
 さきほど酒を飲んで気分が悪かったのがいつの間にか回復していて食欲旺盛だった。茶碗が小さかったこともあるが三杯飯を食う。
 おかずは鶏肉を醤油かなにかで煮付けたものがメインで、キャベツの千切り、ニンジンのサラダ、ワカメの和え物等、山小屋らしく質素なもの。
 先日の涸沢ヒュッテの食事は山小屋とは思えないほど豪華だった。宿泊料金が千円以上差があったこともあるが、自分としてはここのくらいで十分な気がした。
 満腹になり寝床に戻って横になる。鼻が詰まる。点鼻薬を忘れたことを後悔する。タオルをあてがってみる。しばらく息が苦しかったが、徐々に楽になりいつの間にか寝入ってしまう。
 目が覚めると、消灯時刻(二十時)の十分前くらいだった。トイレに行って用を足す。すっきりしてよく眠れそうだと思った。

 ところが、消灯すると今度は眼が冴えてしまい寝付けない。夕方は寒気がしてどうしようもなかったのに、夕食後は身体がポカポカしてきて暑いくらいだ。最初は三枚掛けていた毛布を二枚、一枚と減らしていった。

 二十一時頃、気晴らしに外に出てみるが、相変わらずガスが立ち込めている。

 寝床に戻ってウォークマン(当時はカセットテープ)を聴いたりしたが、なかなか眠れない。

 やっと眠りについたのは、二十二時過ぎたあたりだろうか。

>6/16
 眠れない、眠れないと思っているうちに、身体の火照りが治まって、いつの間にか心地よく眠りについていた。
 気がつくと、周りでゴソゴソと人が動き出している。窓から薄明の光が差し込んできていた。
 まだ薄暗かったが時計の文字盤は読めた。4:05頃だ。
 起きて外に出てみる。まだあたりはそれほど明るくない。日の出まで三十分近くある。二、三枚写真を撮って、寝床に戻る。
 4:25頃に再び起き出す。東の空が紅く染まって日の出も間近。山頂へ行き、ご来光を待つ。
 低いところに雲があり、日の出時刻の4:30より少し遅れて、ぼんやりと丸い橙色の日が昇ってくる。
 風は冷たかったが、それほど寒くない。ニ十分ほど山頂にいた。
 小屋に戻り帰り支度をした後、寝床で横になる。
 朝食のコールの前に食堂に行く。昨夕は、数名のグループの中にポツンと一人と座らさられて居心地が悪かったので、今度は早めに配膳を受けさっさと席を陣取ってしまう。
 朝から結構食欲があって二杯白飯を食べ、その後で食休みで寝床に横になる。
 6:25に起き上がってみると、部屋に残っているのは自分一人だけだった。
 外に出る。日が昇って明るくなっている。風はまだ少し冷たい。
 山頂直下の岩場の手前で身支度してから下降を始める。膝が少し痛む。ブランクのせいだと思う。
 お揃いの黒いカッターシャツを着たワンゲルの学生が十名ほど登ってくるのに出会う。昨日の
(往きで追い抜いてきた?)信大のワンゲルか。
 初めは膝の具合が思わしくなく、阿弥陀岳に登るのはやめようかと思ったが、中岳に登ってみると阿弥陀岳がそれほど高くも感じられず、せっかくだからと寄っていくことにした。
 ほとんどの登山者は阿弥陀岳はピストンにするようだ。登山道はかなり急な斜面についており登ったはいいが下りも手ごわい。できればピストンはしたくないと思った。登り口の手前のコルで、中年二人組に美濃戸口に下る御小屋尾根の道のことを聞いてみたが要領を得ない答えだった。
 とりあえず登ってみるが、急な崖を岩登りするのような感じで、やはりここは下りたくはない。
 山頂に着き休憩する。ここまでだいたい一緒に歩いてきた初老の男性が、頂上小屋の主人から阿弥陀岳から尾根道を下るのは勧められないと言われたそうだ。
 少し弱気になるが、空身でどんな感じか少し下ってみる。

 山頂直下は赤土の道でかなり悪そうだが、下れないことはなさそうだ。

 強行することにする。頂上部の梯子や鎖が少し●だったが、それほどのことはない。は判読できなかった)
 それでも直下の下りは思いのほか苦戦した。雨水で削られた土の道でスタンスがほとんど無い。後ろ向きに四つん這いになって必死に下る。
 その後は、多少足元が不安定なものの、特に難は無かった。
 樹林帯に入って急坂を下った後で不動清水と呼ばれる水場で喉を潤す。
 あまり人が通らない道のようだが、一人だけ登ってくる人に出会う。昨日は小川山で岩登りをやっていたという。今日はガイドコーチしてもらうつもりだったが、他のメンバーがキャンセルしてしまい、マンツーマンで岩をやってもしようがないので一人ハイキングのつもりで水場まで登ってきたとのことだった。
 水場から少し下ると、そこからは緩やかな樹林の中の快適な尾根歩きが続く。今日は視界もそれほど効かず、展望はイマイチだったが、ゆったりと歩けて良かった。こんな気持ちのいい道なのに人の往来の無いのが不思議なくらいだ。
 御小屋山の分岐を右に急降下した後、再び緩やかな下りが続く。下山口で登山道からアスファルトの車道に続いていた。
 車道はややきつい下り坂で、脚力の衰えた自分には辛かった。

 しばらく下りが続いたが、路面が平らな分、つま先が下を向くため太ももに大きな負担がかかり筋肉疲労が一気にきた。下り切る前に太ももが筋肉痛になったことを覚えている。

 それでもニ十分程で美濃戸口の八ヶ岳山荘に着く。バス停には下山者がたくさんいるだろうと思ったが、女性の二人組だけだった。
 山荘で風呂に入って行こうと受付に行くと若い男性のスタッフが二人いて、そのうちの一人に昨日の登山者の入山状況や下山時のことなど聞かれた。今日はまだ下山者が少ないのでどうしたのかと思っていたそうだ。
 風呂に入り汗を流していく。その時はシャワーがどういうわけか使えなかった。風呂から上がりビールを飲む。
 バスに乗り込む。疲れとともに酔いの心地良さからか茅野駅の手前まで眠り込む。
 降車時に切符が見当たらず、仕方なく現金で運賃(九百円)を支払った。
 けれど、降りてから財布の中を見たら奥の方に切符が入っていた。無駄なことをした。
 電車に乗ろうと駅に向かう途中でふと、高速バスを使うと安いことを思い出した。

 当時は無収入だったので節約するに越したことはなかった。おそらく帰りも特急に乗らず普通列車で帰るつもりだったので、それなら高速バスの方が快適なのではないかと考えたのかもしれない。
 バスターミナルの切符売場に寄って、新宿行の空席を確認して15:19発に乗ることにした。
 ただ、バス停は中央高速道にあり、駅から徒歩でニ十分ほどかかると説明され案内図を渡された。

 夏の日差しが照りつける中を案内図をたよりに歩いて行った。
 昼食はまだだったが、バス停に行く途中で飲食店に寄っていけばいいだろうと歩き始めたが、駅から遠ざかるにしたがってそれらしい店はなくなり、心細く思っていたところでラーメン屋と寿司屋を見つけた。
 寿司屋は混んでいたいたので、比較的空いていたラーメン屋にした。暑いのでラーメンは食べたくなかった。チャーハンと餃子のセットにでもしようと思っていたら、ご飯物はやっていなかった。しかたなく冷やし中華にする。

 少し物足りない腹具合のまま店を出てバス停に向かう。
 高速道の下のバス停の入り口の階段のところが日陰になっていて、そこで中年女性三人がお喋りしていた。階段を昇って待合室に入るが風も通らず暑くてどうしようもなかったので、外で風に当たる。
 高速バスのバス停がどんなものか、この時まで知らなかった。何か売店でもあるだろうくらいに考えていたが、それは間違いだった。高速道の脇にバス停があるだけだった。しかも、発車時刻まで三十分もある。
 荷物を置いて、階段を降りて下の道をブラブラしてみる。高速道の下の通路が思ったより涼しく静かだった。
 何しろ時間が余っていたが、やることもなくバス停に戻る。その頃にはバス待ちの人も十名くらいになっていた。
 定刻に少し遅れてバスが到着した。
 車内アナウンスでその先のバス停の説明の後で「当バスは増発便のためトイレ、飲み物等の設備はありません」と言うのに動揺する。ノドが渇いていたし、やや尿意も感じていた。
 これは困ったことになったなと思うが、途中の双葉サービスエリアに寄ると聞いて胸をなでおろした。

 双葉サービスエリアでは西日が強く差し込んでいたことを覚えている。