(出発日:1995年11月2日、入山日:1995年11月3日、下山日:1995年11月4日、帰宅日:1995年11月5日)
前月に前穂高岳に登って吊尾根に連なる奥穂高岳を眺めたとき、今度はここに登ってみたいと思ったのかもしれない。
ただ、週末に前夜発・山中一泊で登るのは日程的にキツキツで、余裕を見て三連休は欲しかった。上高地の秋のシーズンが終わる十一月の文化の日が三連休になることもあり、そこで奥穂高岳に登ってみようと涸沢に入ることにした。
前月と同様に新宿廻りで松本に移動していると思う。
松本電鉄の新島々で行き、そこからバスに乗っていると思われる。
この山行についてはメモ帳に入山してからのコースタイムも記録されていたが、前橋から沢渡上までの記載は無かった。(以下、青字はメモ帳からの引用、左は到着時刻、右は出発時刻)
>11/3
沢渡上~タクシー~中の湯
中の湯 6:00
メモ帳に書かれていないしその時の状況も覚えていないが、バスが沢渡上止まりとなっていて、そこからタクシーに乗って中ノ湯で降りている。釜トンネルから先には車両は進入できなくなっていたようである。(積雪や路面の凍結が原因か?)中ノ湯から歩いて上高地に入ることになるが旧釜トンネルを歩いたことなどは記憶にない。この時のアルバムが見当たらず、以下はメモ帳の記載をたよりに書いている。
>上高地バスターミナル 7:50 8:55
バスターミナルに併設されていた売店のあたりで朝食を食べていったか。
歩き始めの樹林の中の道には薄っすら雪が積もっていたような記憶がある。
>明神館 9:45 9:55
>徳澤園 10:45 11:05
>横尾 12:00 13:10
>本谷橋 14:20 14:25
本谷橋まで歩いてきたことについてはほとんど思い出せない。
橋のあたりは積雪がかなりあったよう思う。この時刻にしては暗かった記憶があり、雪も降っていたかもしれない。
>休憩 15:15 15:25
>休憩 16:10 16:15
>涸沢ヒュッテ 16:25 16:30
夕方、あたりがうす暗くなった頃に涸沢に着いた。カールにはだいぶ積雪があった。
涸沢ヒュッテに立ち寄ってみると、玄関のあたりにこれから中に入ろうとしている登山者が何人もいて混んでそうだった。それで少し先にあった涸沢小屋の方に泊まることにした。
>涸沢小屋 16:45~50
到着は遅かったが、こちらはそんなに混んではいなかった。小屋の若いスタッフが寝る場所を案内してくれて布団を準備している光景をなんとなく覚えている。小屋の夕食を食べた記憶が無いので自炊したかもしれない。
>11/4
涸沢小屋 8:10 11:10
翌日、雪は小降りか止んでいたか。奥穂に登ろうかどうか迷っていると、小屋の人に「積雪も多いし無理はしない方がいい、山は逃げないからまたにしなさい」と諭された。心残りだったが今回は諦めることにした。
ただ、雪質がどんなものか今後の参考にカールの中を途中まで歩いてきた。
>涸沢小屋 12:00(?) 時刻は後から記憶で書いたもののよう
小屋に戻って昼飯を食べてから下山を開始したようである。
>涸沢ヒュッテ 12:10 12:20(?) アイゼン
ここでアイゼンを付けていったか。
>本谷橋 13:25 13:35
本谷橋を渡った先の樹林の中をしばらく下ったところでは日が差していたように思う。
>徳澤園 15:35 15:50
横尾から先は再び曇って肌寒かったように思う。ここまでくればいいだろうと徳澤園で缶ビールを買って飲んだ。ほろ酔い気味で気分がよくなった。シューマンのオケ伴奏つき歌曲(「王子と小姓」など)のCDを聴きながら歩いたことを思い出す。
>明神館 16:35 16:45
>小梨平 17:25
夕方、小梨平に着く。管理事務所に行って手続きをする。キャンプ場内に風呂があって、時間制で男女交代で利用できた。お湯はちょっと熱めだったが冷えた身体がよく温まった。
>11/5
起床 7:00
このときは珍しく下山から高崎に移動するまでの記録も残っていた。ただ、その時の記憶はまるで無いのだが。
>小梨平 -:- 9:10
>上高地バスターミナル 9:25 9:30→バス→10:40
帰りはバスが運行されていたようである。
>新島々 10:40 11:03
>松本 11:35(?) 11:37
篠ノ井線の列車との接続時間が短く、急いでホームを移動したようである。
>長野 12:40 13:11
長野から特急「あさま」に乗っているはずである。
>高崎 14:57
この山行以降、翌年の演奏会に参加することになったり、職場のことなどいろいろあって半年ほど山に行っていない。