〈出発日:7月7日、入山~帰宅日:1995年7月8日)

 前橋に住んでいたときは尾瀬が近かったのににもかかわらず一度しか訪れていない。
 遠近にかかわらずそもそも行く気にならなかったように思う。初夏から秋のシーズン中に入山者が多く木道が渋滞していることがニュースになるなど、当時からオーバーユースが問題になっていて、ネガティブなイメージがあったことからなかなか足が向かなった。
 それでも前橋に引っ越した二年目の梅雨明け前に行っている。
 その時もハイカーの多い尾瀬沼から尾瀬ヶ原のメインコースを避けて、南側の尾根道を歩いてみることにした。
 沼田まではどうやって移動したのだろうと思っていたが、その時のアルバムの裏表紙に山行のことが書き込んであった。(以下、青字はアルバムからの引用)
>前夜、高崎から越後湯沢行の臨時急行で沼田へ。

 とすると高崎(または新前橋)から一時間足らずなのでゆっくり眠っていく暇もない。沼田からのバスもほとんど眠れなかったろうから睡眠時間がほぼゼロで歩くことになるが、当時はまだ三十になったばかりたったのでそんな無理もまだ利いたのだろう。

>今年は昨年の空梅雨で猛暑だった七月とは違い、雨量が多く涼しい日が多かった。

 バスで大清水に着いたのは朝四時過ぎ。あたりはまだ暗く雨が降って肌寒い。

 ポンチョを試すつもりだったので、雨降りをわざと選んだ。ポンチョの下はレインウェアという完全防備というか、二度手間のような格好でスタート。

 よりによって、なぜこんな時期のこんな天気の日に行こうとしたのかと思ったが、そんな意図があったか。

 レインウェアは蒸れて暑いので、ポンチョの方が快適なのではと思いついたようだ。

 雨の中の行動は不便で不快なことが多いので、次の縦走までに少しでもそうした面倒を軽減できる手はないかとその頃いろいろ考えていたらしい。

 それに天気が悪ければ入山者もいくらか少ないだろうという読みもあったのではないか。

>一ノ瀬の休憩所についた頃には雨も止んだが、休憩所で朝食をとっていると蚊の大群が襲ってきてうんざりする。

 その後、雨は断続的に降っていたように思う。三平峠から尾瀬沼に向かったが、峠の木道は濡れているとスリップしやすい。このときもハラハラしながら下ったようだ。

 尾瀬沼の南側を少し行ったところに分岐があり、富士見峠の方へ入って行く。

>それでも静かな山歩きができたのは収穫だった。同じ尾瀬でも尾瀬沼や尾瀬ケ原の騒がしさが嘘のようである。

 こちらは歩く人も人も少なく静かな山歩きが楽しめるが、如何せん雨の中では何の眺望もなくまるで張り合いがない。

 天気のいい時にリトライしてみようと思ったが、その後、歩く機会は無いままである。

>富士見峠まではアップダウンがあり、足元もぐちゃぐちゃだったが、峠から先は木道が整備されていた。三平峠の木道がスリップしたので、緩い斜面でも気が抜けず少々神経が疲れた。

 富士見峠を越えてからしばらく行くと雨も上がったように思う。

 濡れた木道をおっかなびっくり歩いたが、こちらの木道はそれほど滑ることはなかったように思う。けれど、たまに滑ることがあり疑心暗鬼になっていた。

 しばらく、なだらかな起伏の上に木道は続いていた。途中いくつか湿原があり、写真では小さくてよくわからないがピンク色の花が咲いていたようだ。天気が良ければ気持ちのよいコースだったと思う。 

>白尾山あたりで先を歩いていた単独の人に追いつき、その後抜いたり抜かれたりで鳩待峠まで下りてくる。峠でバスを待つ間、いろいろ話をする。

 帰りも吹割温泉センターに一緒気に行き、沼田からは新前橋まで一緒に帰った。
 その一緒だった人の風貌が中学の同級生のI君に似てるように思った。
 まさか本人でだったりしないかとも思ったが、そうであれば向こうもこちらのことを気づくだろうが、そんな素振りも無かった。
 どこから来たのか聞いたはずだが忘れてしまった。自分は両毛線に乗り換えるため新前橋で降りたが、彼はそのまま乗車していった。