(出発~帰宅日:1995年2月頃)

 いつのことかよく覚えていないが大雪の日に谷川岳に登ろうとしたことがあった。
 一月か二月頃だったように思うが、その時期に行ったとすれば平成七年の可能性が高い。翌年のこの時期には山に行っている暇が無かった。
 ただ、このときの写真や切符も残っているかどうかわからないので、時期の確定はできていない。
 悪天候になることは前日の天気予報でわかっていたと思うが、なぜそんな日に山に行こうとしたのかは思い出せない。前の晩に土合で駅カンをしていたかどうかも覚えていない。
 土合口からゴンドラで天神平に上がってみると雪がかなり強く降りしきっていた。このコンディションではさすがに登れないだろうと思った。

 記憶が定かではないが、そのとき「登れないなら滑落停止練習でもしようか」と思った気がする。もしかすると西穂高岳からの下山時の失敗のこともあって、そんなことを考えたのかもしれない。(ということで、この山行は平成七年の二月ということにした)

 それにしても雪の降り方が激しく、それすらも困難そうだった。

 立ったままあたりの様子を見ていたら、スキー場のスタッフが歩み寄ってきて危険なので登山しないでくださいと言われた。
 言われるまでもなくという感じだったが、結局、そのままゴンドラに乗って下山した。
 土合口に下りてみると大雪のためバスも運行を休止してしまっていた。
 仕方なく雪が降りしきる中を土合駅まで歩いていったが、着いてみると上越線もダイヤが乱れており、次の電車がいつ来るかわからない状況だった。
 駅の中には同じように電車を待つ人が数十人ほどいた。
 無人駅で暖房も無くとても寒かった。その場でじっとしていると身体が冷えたし指先もかじかんだ。
 そこでどのくらい待ったろうか、ようやく上りの電車が来ると構内に放送が入った。越後湯沢駅からの音声だったろうか。やれやれと思う。
 改札口から通路を通って外に出るとホームの上には一メートル以上の積雪があった。電車の乗り口のあたりだけは除けてあったが、すでにその上にも降り積もっていた。歩きづらかったがどうにか電車に乗り込めた。
 下り線のループトンネルを通過していくが、そんなこと気にしている余裕はなかった。
 夕方に水上に着いて、そこから接続する電車を待っていると、空が明るくなっていくらか天候が回復していたように思う。
 それにしても大雪の日になんか登りに行くものではないと、当たり前のことを思い知ることになった。