(出発日:1994年12月31日、入山日:1995年1月1日、下山~帰宅日:1995年1月3日)
 正月を上高地で過ごしたことがあった。
 その前の年末年始は実家に帰省せず新穂高温泉で年越ししていたこともあり、今度の年末年始はどこに行こうかと思っていた。
 上高地で年越しする入山者が結構いるという話を聞いていたので、面白そうだと思い行ってみることにした。
 大晦日は土曜日だったが、年末の繁忙期で金曜日の夜から出発は難しく、おそらく大晦日の晩に新宿発の急行「アルプス」に乗ったと思う。
 Xジャパンのコンサートがあった日だったか?。記憶が定かでないが、車内にグッズなどを袋などを持った女の子が何人もいたのはこの時のことだったかもしれない。
 翌朝四時過ぎに松本に着く。元旦も松本電鉄の臨時列車は運転していたと思う。
 新島々から上高地に入るバスは十一月上旬で運行を終了しているが、沢渡までは通年で走っていた。(当時は安房トンネルの開通前)
 元旦にもかかわらず新島々からバスに乗る登山者が結構いた。
 終点の沢渡で降り、そこから上高地まではひたすら歩きとなる。天気はそんなに悪いわけではなかったが、山間部なので時折雪雲がかかってチラチラ降ったりしていた。
 歩き始めた時には路面に雪はほとんど無かったと思う。
 最初の長いトンネルに入ると、向かい風が強くて物凄く寒かった。この先のトンネルもこんな感じなのかと不安になるが、たまたまそのトンネルが風の通り道だったようで、以降はそこまでひどくは無かった。
 その先も延々と歩いていくだけだったので、あたりの景色のこととかこれっといった印象に残っていない。
 坂巻温泉までは車が入れたので、その手前のトンネル前から駐車の列がずっと続いていた。
 トンネルを出たところで入山の支度をしている登山者がたくさんいた。そのあたりまで来るとそこそこ積雪があった。 
 梓川を左に見ながら進んでいくと釜トンネルに差し掛かる。当時はまだ旧トンネルだった。
 一車線分の幅員しかない狭いトンネルで、手掘りのため壁面はごつごつとしていて湧き水で濡れていた。天井の蛍光灯が侘しく照らしていて中はそんなに明るくなかった。路面は凸凹した砂利道でくぼみに溜まった水がところどころ凍っていた。
 まるでお化け屋敷のような雰囲気で、ここが心霊スポットとしても有名だという話を思い出す。真偽は定かでないが、その昔トンネル掘削に駆り出された朝鮮人が人柱にされ、その幽霊が出るという噂があった。周りに登山者がいたから良かったものの、一人では歩きたくないと思った。
 バスで通り抜ける時もエンジン音をうならせながら上っていたが、歩いてみると思った以上に急な勾配だった。
 ようやくトンネルを抜けるが、なんでもそのあたりが雪崩事故の多いところだと聞いていたので急ぎ足で通過した。
 なおも針葉樹林の中の雪道を歩き、午後、上高地バスターミナルに到着する。
 営業はしておらず建物は閉鎖されていた。すでに他の入山者が建物の庇などの下にテントを張っていた。自分も設営に都合のよさそうなところを探す。庇の下でも雪が吹き込んできて積もってはいたが、何もないところよりはいくらかマシだ。自分もバスの切符売り場の近くにテントを張った。
 スコップも持って来たのでテントの周りに壁を作ったりもしたが、雪もそれほど固まっていなかったし、自分も要領を得なかったので大したものはできなかった。
 夜になり晩飯を食べると他にすることが無く退屈だった。ラジオを持っていったと思うが聴けたかどうか覚えていない。
 公衆トイレは使えなかったが、バスターミナルに隣接した資料館の外側にあるトイレは使えた。
 入ってみると、便器の中の水からぶくぶく泡が立っていた。し尿を微生物により分解処理できるようにしているらしい。暖かいというほどではないが、水を加温しているのか外よりはいくぶん寒くない。
 その晩は雪が降っていて星は見られなかったと思う。
 出発前には天候が良かったら蝶ヶ岳にも登ってみようかなんて気楽に考えていたが、来てみるとそんな気分にはならなかった。
 このときも写真を撮っていたはずだ。坂巻トンネルのところで登山者の様子を撮ったことを覚えている。けれど、上高地では撮りたいと思うような風景を見た記憶も無いので、山中では終始天気が良くなかったかもしれない。
 このときのアルバムが行方不明なので、以降のこともよく思い出せない。
 翌日は山に登ることもなかったが、テントの中で悶々としていても仕方ないので、大正池ホテルに行ったように思う。ここは年末年始に営業をしていた。
 食堂でテント泊していた登山者と話をした。アマチュア無線をやっていると言っていて、機材や免許の取得のことを説明してくれた。
 それで自分も興味を持ち、後日、本屋に行って関連の書籍を買ったが、それきりとなってしまっている。
 テントに籠っていてもなにしろ寒くて、これといって楽しいことも無いので早く下山したいと思うようになった。
 翌朝は晴れていたように思う。午前中に撤収して下山を開始した。
 釜トンネルは路面が凍っているところで他の登山者がスリップしていたので気をつけていたが、自分も二度派手にひっくり返った。凍ったうえに水が滴っているという最悪のコンディションで、アイゼンを付けていても滑った。
 往きと同じで沢渡までひたすら歩き続けることになるが、下りなのでいくらかテンポよく歩けた。
 途中のトンネルの中で後ろから追い抜ていった登山者はアイゼンを着けたまアスファルトの上をガシガシ歩いていた。外すのが面倒だったのだろうが、あれでは爪が丸まってしまうだろうにと思った。
 その後の沢渡までのことやバスに乗った後のことはすっかり忘れてしまっている。