(出発~帰宅日:1994年11月12日)

 平成六年の十一月に日帰りで谷川岳に登りに行っている。
 朝、前橋を出て上越線で水上に行き、そこからバスで谷川岳ロープウェイの土合口へ移動しゴンドラで天神平に上がって十時くらいには歩き始めているのではないか。
 すっきり晴れ上がり風の穏やかな小春日和だった。紅葉はとっくに終わっていて、ゲレンデの下草は枯れて山肌の木々の葉もだいたい散っていた。
 熊穴沢避難小屋を過ぎると急な登りが続く。途中で一息ついて振り返ると、目の前に上越国境の山並みが連なっている。入り組んだ尾根に日が差し込んで、山肌の陰影が面白いコントラストを作り出していた。ことに、真横から見る俎嵓の鋭角の稜線とそこからオジカ沢の頭に続くゆったりとしたカーブが印象的だった。
 肩ノ小屋を過ぎてトマの耳に上がるところで、日陰の斜面にところどころ雪が付いていた。登山道にはまだ積雪は無かったが、山の上には一足早く冬が近づいていることを感じた。
 トマの耳に着いたのは十三時過ぎくらいだったろうか。天気が良かったので山頂には登山者が何人もいた。
 記念写真を撮ってもらっていたが、それを見ると冬靴を履いていた。十一月なので雪があるかもしれないと考えたのだろう。
 アイゼンやピッケルも持って行っていたのだろうか。積雪期は日帰りでもテント泊の荷物を担いでいったが、このときはさすがにそこまでしてなかったと思う。
 十六時でゴンドラの運転が終了するので、そんなにのんびりはしていられなかったように思う。オキの耳に寄って行く時間も無かったようだ。
 山頂から下る途中で肩ノ小屋の中を覗いていく。意外にきれいだった。その日も泊っていく登山者がいて、奥の方にシュラフや自炊道具などを広げていた。
 この頃はまだ無人小屋だったが、これなら十分泊まれそうだと思った。
 その後、ニ〇〇三年に管理人が入るようになって、五月から十一月の間は通常の山小屋として営業しているようである。
 自分が谷川岳に登っていた頃は避難小屋(四角錐の屋根の建物)しかなかったが、ネットで現在の建物を確認すると、有人管理化にともない増築されているようだ。
 この山行の後も谷川谷には登っているが、結局肩ノ小屋には泊まっていない。
 遭難者の多い山なので、怪談めいた噂を山小屋で一緒になった登山者から聞いたりすることがあった。それで二の足を踏んていたというのもあった。来てみたら泊まるのは自分一人だったというのはやっぱり避けたい。あとは水場が近くに無いのも大きなネックだったか。
 下山をしていると西日が正面から当たって眩しかった。肩ノ小屋から少し下った急斜面の道では両脇のササ原が日の光を反射して白く輝いていた。
 山並みの向こうに日が沈むと、あたりが薄く暗くなってくる。ゴンドラの終了時刻を気にしながら足早に登山道を下った。
 ゴンドラで土合口に下りてから、そこでバスには乗らずに上越線の土合駅まで歩いて電車で帰っている。元々本数が少ないのでなかなか乗る機会が無かったが、このときはちょうど発車時刻のタイミングで駅に行けたようだ。
 土合の下り線ホームは地下にある「もぐら駅」だが、上り線のホームは地上にあるので改札を出ると通路を歩いてすぐホームに出られる。無人駅なので乗車してから車内精算することになる。
 また、上り線は「ループで名高い清水トンネル」(と上毛カルタで詠われる)を電車が通っていくことになる。(後記の補足1)

 どんなもんだろうと期待したが、外から見ればループしていても、電車に乗っているとトンネルを通過するだけのことで、外も暗くなっていたので景色も見えずそれほど面白いわけでも無かった。 
 この頃買ったばかりのレーガーの無伴奏ヴァイオリンソナタ集のCDを持っていって、山行中にも聴いていた。以前はカセットテープにダビングして音楽を聴いていたが、この頃はCDプレーヤーを持って行くようになっていた。難渋な響きが多いこの作曲家の作品の中にあって 調性感が明瞭で簡潔な構成なため比較的聴きやすい作品だと思う。
 特にイ長調のソナタの響きが秋の空によくマッチしていて、この曲を聴くとこの山行のことが思い浮かぶ。

 

(補足1)

 今さら地形図を見て知ったが、かの清水トンネルは実はループしていない。

 また、この名称のトンネルは土合の新潟方面側にある。なので谷川岳の帰りに通ることもなかった。

 群馬側には第一から第四までの湯檜曽トンネルがあり、そのうちの第一と第二がループ状になっている。新潟側も清水トンネルを一旦出て土樽を過ぎた先の松川トンネルがループトンネルとなっている。(カルタの裏面に説明があったかもしれないが、子供の頃はいちいち読んでいなかった)

 正しくは「ループで名高い」のは(第一・二)湯檜曽トンネル(と松川トンネル)だったのだろうが、前後のトンネルをひっくるめて清水トンネルと呼ぶのが慣習化していたのだろう。

 

(補足2)

 この山行に関しては下山時はゴンドラに乗らずに谷川温泉へ歩いて下ったようにずっと思い込んでいた。 

 ところが、アルバムはゴンドラの中から下の沢を撮っている写真で終わっていた。ということは、谷川温泉に下ったのはこの時ではない。
 では、いつのことだったか?
 たしか、天神平から下って行く途中でシカの鳴き声を聞いた記憶がある。あたりは草木が枯れかけていたので、同じ頃にもう一度行っているのかもしれない。
 もしかすると、もともと谷川岳に登った後で寄って行くつもりが、時間が遅くなってしまったので、後日改めてゴンドラで天神平まで上ってから、温泉に歩いて下ったのかもしれない。
 そんなわけで記憶が定かではないが、保登野沢沿いに下っていきペンションのような建物の脇の草地に出たことは覚えている。
 改めて地図を確認するとそこはスキー場のゲレンデになっていた。
 温泉に入ったことはあまり覚えていない。水上駅までは路線バスも無かったのでタクシーを呼んで帰っている。