(1)のつづき

[8/10] 
 翌朝、二人はまだ外が薄暗いうちに発ってしまった。自分も6:50頃に山荘を出た。小屋から程遠くない湿原には朝靄がかかっていて、その向こうには朝日を浴びたニセ薬師が望めた。
 初めのうちは樹林の中の道を歩いていく。しばらく上って行ったところで水晶池に通じる分岐があり、そこにザックを置いて池の方に入ってみる。この日も朝から天気は良く、池には日が差していた。多くの登山者が立ち寄っていたが、ここも蚊が多く落ち着いて眺めてもいられずさっさと戻ってくる。
 そこからの岩苔小谷の上りは長かった。比較的傾斜は緩やかだが荷物が重いのが堪えた。次第にダケカンバがまばらになって視界は開けてきたが、上れど上れど岩苔乗越にはいったいいつたどり着けるのかという感じだ。
 酷暑の夏だったので沢沿いの花はほとんど終わっていて味気なかった。
 上っていくにしたがい、最初は下の方を流れていた沢がだんだん近づいてきて、道のすぐ脇を流れるところではまだ少しだけ花が咲いていた。
 心を和ませたのも束の間で、それを過ぎて沢の水がなくなったあたりから傾斜がきつくなる。
 いつの間にか空に雲が広がり、乗越の手前のザレた斜面では吹き下りてくる風がとても冷たく、急速に体温を奪われた。ヘロヘロになって、正午過ぎにやっとのこと乗越に辿り着いた。 
 そこから見た感じでは尾根通しに鷲羽岳を越えていけそうに思えた。ザレた斜面を登って山頂に着くと、なにやらテントか張られていたような形跡があり、岩にはワリモ岳とペンキで書いてあったように思う。黒部川源流の上部には日月形の雪渓が残っているのが見下ろせた。

 さきほど鷲羽岳だと思ったのは実はワリモ岳で、その先にあった本物の鷲羽岳まではアップダウンがきつく重い荷物を背負っていくのは大変そうだ。腰を痛めていたこともあり無理はしないで乗越に引き返して黒部川の源流部を下った。しばらく下りたあたりで水がちょろちょろ流れ出しているのを見つけた。これがあの黒部川の始まりである。
 なおも下っていくと雪渓があって、二十メートルほど雪の上を歩いてから左岸の斜面を巻いていった。
 雲ノ平からの合流部に降りて三俣山荘に登り返した。なにしろ荷物が重くて、なかなか山荘に辿り着かないことにじれた。
 くたくたになって三俣のキャンプ場につくと、例によって二人が先にテントを張っていた。
 あの酷暑の夏でもテン場の裏の残雪はしっかりとあったので水場は涸れていなかった。当地は山の上にしては水に恵まれていると思った。
[8/11]
 翌朝も朝から良い天気だった。テントの外に出ると三俣蓮華岳に朝日が当たっている。
 また二人が先に発って行った。今日は鏡平まで下るそうだ。

 自分は午前中に鷲羽を軽装でピストンしてくることにした。
 前年は雲に遮られ視界が効かなかったが、今回は天気が良くて山頂では三百六十度のパノラマの眺望を楽しめた。 

 まず東の方を見れば、西鎌尾根に続く槍ヶ岳、そのすぐ背後には穂高の峰々が連なる。北鎌尾根の向こうには大天井岳や常念岳、そこから表銀座に続く燕岳、餓鬼岳や唐沢岳の山並み。そのやや北寄り手前には野口五郎岳ののへっぺりとした山塊が鎮座して、裏銀座の稜線が手前に向かってくると、赤くザレたところで水晶岳から続く尾根と合流し、目の前のワリモ岳を中継して稜線が足下に繋がる。水晶岳から少し離れた背景から薬師岳が現れるとその手前に雲ノ平が広がっている。その奥には太郎平から北ノ俣岳にかけてのんびりとした穏やかなカーブを描き、その左には前年、雲に隠れてほとんど姿を現さなかった黒部五郎岳をしっかり拝むことができた。なおも南を向けば、目の前にはこれから歩く三俣蓮華岳から双六岳のルートが見下ろせ、その奥には笠ヶ岳がとぼけたように頭を出している。ぐるっとひと回りして戻ってきた西鎌尾根のへこんだところには焼岳が覗いている。これだけの山々を一望できるチャンスはそうあるものではないか。

 眺望を満喫した後、下山してから三俣山荘の食堂で昼食にした。腹が空いていたのでカレーとピラフを食べてしまい食後にコーヒーも飲んだ。
 ふと目の前のテーブルに見覚えのある男性がいるのに気づいた。二月に開聞岳に登ったときに山頂で一緒になったOさんではないかと思い、声をかけたてみたらそうだった。
 自分と同じく双六経由で新穂高に下山するということで、その日はキャップ場に泊まる予定だと言う。自分は食料も残り少なくなっていたので小屋泊まりにしようかと思っていたが、Oさんが「余っている食べ物を分けるからテント泊にしないか」と誘われ、それでは後ほどテン場でお会いしましょうということなった。 
 腰も痛めていたし荷物の重さにも辟易としていたが、三俣蓮華岳に登って尾根通しのルートを歩くことにした。当時は体力があったのでなんとか歩けた。前年は山肌に残雪が多かったが、そのときはところどころに小さくしか残っていなかった。
 短パンで歩いたので、三俣蓮華から先のハイマツが道を覆っているところでは、日焼けした脚に葉が当たってチクチク痛くてしかたなかった。
 ところで、敢えて大変な稜線のルートを選んだのには理由があった。
 雲ノ平周辺は更新準平原とされ高地の割には平坦でのっぺりした地形が多い。特に双六の山頂部は数百メートルにわたって平坦地が続く不思議な風景が広がっていて、是非この目で見ていこうと思っていた。

 双六岳山頂の来ると、目の前には荒涼とした平原のなかに道が続いていた。うまくするとその緩やかに湾曲した平原の上に槍ヶ岳が乗っかって面白く見えると人から聞いていた。

 山頂に着いたときは上空に雲は多かったものの槍ヶ岳は見えていた。けれど、残念ながらその後は雲がかかってしまい平原の上の槍ヶ岳を目にすることはできなかった。けれど、平原の道は人も少なくのんびりと歩け、なかなか乙な趣があった。

 山頂部からの巻道の合流まではザレたところが多くやや足元が悪い。スリップしやすく足腰に負担がかかるので慎重に下っていく。
 十六時少し前に双六のキャンプ場に到着。このときも売店のおでんを食べたように思う。
 キャンプ場でOさんに再開する。夜、酒を飲みながら積もる話に花が咲いた。
[8/12]
 翌朝はOさんと行動を共にした。朝から天気が良くて日が当たると暑い。道が日陰に入るほっとした。弓折の稜線にはまだ花が咲いていて、朝日を浴びてシナノキンバイが黄色く輝いていた。
 前年は鏡平に下る分岐の手前に途中に大きな雪田があったが、そのときはすっかり干上がっていて殺風景な砂地が広がっていた。ここで早速小休止した。
 自分はOさんのペースにはついていけなくなり分岐のあたりで先に行ってもらった。鏡平までの尾根道は重い荷物を辛抱しながら下る。

 鏡平小屋で休憩してかき氷を食べていく。鏡池の逆さ槍はこのときも水面が波立っていて見られなかった。
 小屋を出発して大ノマ乗越の分岐に下ってくる。ここからワサビ平の方を見下ろすと、一時間ほどで登山口まで下れそうな感じがするが、実際は全くそうではない。それにしてもここの下りが長いのにはうんざりする。標高が下がるのに従い気温も上がるし日も高くなって暑い。
 ザックの肩のベルトは出発前に長さを固定するように紐で縫い付けておいたが、それでも肩にザックが食い込むのが苦痛でしかたがなかった。左手に左俣沢を見下ろすあたりに来ると、にわか雨が降った後だったのか足元の岩畳が濡れていた。滑りそうで嫌だなと思っていたら案の定スリップしてひっくり返りそうになる。どうにか持ちこたえたが、そのとき肩のあたりでブツリと音がした。何だろうと思ったら、肩ベルトを縫ってあった紐が切れてしまっていた。
 そうしたときのために紐や縫い針も持って来ていたが、今さら縫い直すのも面倒になり新穂高温泉に下るまでそのままにした。そのため、それでなくでも重いザックがさらに重く感じる。

 ワサビ平小屋に着いたのは、十五時ちょっと過ぎ。コーヒーを飲んで一息ついていく。

 ここまで来れば新穂高温泉まではもうひと頑張りである。今回の山行は荷物が重くて大変だったが、小屋の前からブナ林の中に続く林道を歩き始めると、山とお別れするのがなんとも名残惜しい。
 新穂高温泉のキャンプ場に着いたのはに十六時半くらいだったのではないか。アルプス浴場は閉まっている時間なので、中尾温泉口にある新穂高の湯(無料の露天風呂)に入りに行くことにした。

 現地に着いてみると、夏休みシーズンで近くのオートキャンプ場から多くの家族連れが来ていた。見ると皆水着着用で入っていて温泉プール状態になっていた。これではさすがに入る気になれず、深山荘へ移動することにした。
 深山荘の露天風呂からキャンプ場に戻り晩飯の支度をしているときに例の二人に再開した。彼らはすでにアルプス浴場で汗を流してきていたが、深山荘の露天風呂もなかなか良いから行ってみてはどうかとお勧めしたが、さすがに二度風呂に行くのは面倒だったらしく遠慮していた。
[8/13]

 山行中に行動を共にすることの多かった二人とは、キャンプ場ではゆっくり話をしている暇もなくあっけなく別れたように思う。彼らは「帰りのバスの発車時刻なので」と言って慌ただしくキャンプ場を後にしていった。

 その後、Oさんとも再開したのだが、その辺の記憶がはっきりしない。

 十二時頃の松本行のバスに乗ったが、道が渋滞して定刻よりも二時間半遅れで松本に着いたときは夕方になっていた。

 東京に帰るOさんとはそこで別れた。

 その後は篠ノ井線で特急「しなの」に乗って長野に行き、信越本線で「あさま」を乗り継いで高崎に到着しているようである。

 松本で買った特急券に16:54の販売時刻が印字されているので、それからだと前橋に着いたのは二十一時頃になったのではないか。

 今回の山行では腰を痛めてしまったが、これ以降、膝の痛みに加え腰痛にも悩まされることが多くなった。

 

 なお、この縦走のときからだったか、それまで写真は使い捨てカメラで撮っていたが、二眼レフのカメラを買って持っていくようになった。おかげで、写真に日付を入れられるようになり記録が残るようになった。ただ、その時々の事情により使い捨てカメラも併用している。