(出発日:1994年5月20日、入山日:1994年5月21日、下山~帰宅日:1994年5月22日)

 白馬方面は前橋からのアクセスが良くないので、唐松岳に登ったのは横浜にいたときの平成五年以前か上京後の平成八年以後いずれかだろうと思っていた。
 けれど、最近になってそのときの切符や山小屋の領収書が出てきて、前橋にいた時期であることがわかった。

 今なら面倒だろうと感じることでも、当時はそれほど気にしなかったようだ。
 おそらく、信越本線と中央本線を乗り継いで松本に移動して駅カンし、翌朝、大糸線で白馬まで移動したかと思うがその辺の記憶がない。
 新宿に出てから急行「アルプス」に乗るというのも考えられなくはないが、このときは金曜の晩に出発しているのでそこまで時間に余裕はない。
 アルバムの最初の写真は白馬の駅前を撮ったもので「5/1 8:00」の日時が記入されていた。ちょっと謎な時刻だ。松本から朝一の急行「アルプス」に乗ったのであれば、そんな遅い時刻にならないはずだが、そのときの状況が思い出せない。
 なぜかこの山行全般の印象が薄く、アルバムの写真やメモ書きを見ても、そんなことがあったのかといまいち実感が湧かないことが多い。

 そのため、以降の記述はアルバムの内容に頼るところが多くなっている。

 最初の写真には遠景に白馬三山の山並みが広がっている。ここには何度か下車しているのに、前夜からの移動で寝不足気味のため頭がぼうっとしていたのか山を眺めた記憶が残っていない。
 バスで八方に行き、そこからゴンドラリフトに乗って兎平に上がっているようである。

 天気はぱっとしなかった記憶があるが、それでも写真を見ると北アルプスの稜線が見渡せてはいたようである。八方池山荘あたりでは上っていく尾根の右側に白馬三山、左側には五竜鹿島槍の連なりが望めた。それらの山肌にはまだ沢山の残雪があった。そこから振り返ると、雲海の向こうに頭を出している山影があり、位置的には雨飾か火打のようだった。

 まだ夏山シーズン前だったためか登山者は全般に少なかった。

 しばらくはなだらかな尾根が続き、登山道には残雪は無かったが、途中、行く手の山肌に大きな雪田があり、なにやら人だかりになっている。京都から来た中学生の団体が雪の上ではしゃいでいたが、このことも写真を見返すまではすっかり忘れていた。

 八方池のあたりから登山道が残雪に覆われ傾斜もきつくなってくる。池の水面はまだ雪に覆われていた。

 アルバムには、丸山ケルンを少し上がったところで休憩していると、通りかかった単独行のアメリカ人が地図を見ながら山々の名前を確認していたとコメントがあるが、どんな人物だったのかまるで覚えていない。

 右手には、不帰の嶮の急峻な稜線が連なりと手前の谷に切れ落ちた岩崖が迫ってくるようで、眺めているだけでも怖くなる。
 尾根をだいぶあがって主稜線が近づいてきたあたりで急に険しい岩場となって緊張したことは覚えている。ガイドマップにも「牛首」と記載されて、危険箇所の注意書きがあったように思う。かなり怖かったはずだが、写真を見てもこんなところだったかという感じでピンと来ない。アルバムには、前年に鹿島槍から五龍に向かう稜線でのことを思い出したと書いてある。

 山荘には十五時頃に到着した。受付ははきはきしたアルバイトの女の子でこれから五か月間はほとんど山を下りることはないと話していた。
 宿泊手続きを済ませた後で唐松岳の山頂に向かった。山荘に着いた頃は剣岳のあたりもよく見えていたのに、次第にガスがかかり出して山頂に着く前には見えなくなってしまった。

 周囲が視界が悪くなってきたためかライチョウが姿を現した。その頃は繁殖期で、登山道の脇で二羽のオスが一羽のメスを追いかけていた。人が襲わないことを知っているのか、こちらがそばを通っても逃げていく様子は無かった。

 山荘から三十分ほどで山頂に着いたが誰もいなかった。記念撮影はその場にころがっていた角材でカメラのシャッターを押して自撮りした。

 眺望も無かったのでさっさと下山したと思う。山荘に戻る時、登山道のすぐ脇の灌木の枝にライチョウが止まっていて「グエー」と鳴いた。その声は愛らしい外見にはまるで似つかわしくない低くくくぐもった響きで、古木戸を開閉した時のきしむ音のようだった。かなり間近にいたが、こちらのことを一向に気にするふうもなくじっと佇んでいた。
 そこから下っていくと、今度は登山道の二十メートルほど先に一羽のライチョウがいた。それがこちら向くなり尾羽を立てて突進してきた。
 何をされるのかと身構えたが、目の前二メートルくらいまで来たところでピタリと止まった。そして今までのことがウソだったかのように、くるりと横を向くと「グエー」とひと鳴きするなり飛んで行ってしまった。これには呆気にとられた。

 週末だったが山荘に宿泊客は少なくて数名ほどだったように思う。夜、食堂か談話室で宿泊客や小屋のスタッフと会話したように思うが、何を話したかは覚えていない。

 二十時には就寝するが、夜中は風が強くて窓がガタつき、その音で何度か目が覚めたようだ。

 翌朝は六時半から朝食だった。山荘の外はうっすら雪が積もっていて、山荘の管理人が今の季節にしては珍しいと言っていた。

 天候も良くなかったので山頂には向かわずに8:20頃下山を始める、前日あれほど緊張した岩場も無事通過したように思うがほとんど記憶にない。
 下山してゴンドラの八方駅の前からバスに乗ろうとしていたときのことをぼんやりと覚えている。麓ではすっかり天候が回復していたように思う。木立の中にペンションのような建物があった記憶がある。

 バスで白馬駅に戻ってからか、途中の八方口のバス停で降りたかは忘れてしまったが、駅から歩いて十~十五分のところにあるみみずくの湯に寄っていった。

 浴場の大きなガラス窓から白馬の山並みが広がっているのを眺めながら湯に浸かったことを思い出す。