(出発日:1993年5月2日、入山~下山日:1993年5月3日、帰宅日、1993年5月5日)

 前橋で最初に迎えたゴールデンウィークの後半で焼岳に登りに行った。

 その三日前には西穂高岳に登ったばかりで疲れが残っていたため日帰りの行程にしている。

 下山地の新穂高温泉のキャンプ場はそれまでに三度ほど利用していたが、いつも泊った翌朝に慌ただしく帰途についていたので、一度ゆっくり過ごしてみたいと思っていた。
 そのときは前夜発で登山をした後でキャンプ場に二泊してみることにした。
 西穂に登頂したときには稜線の残雪も凍っているところがあったのでアイゼンやピッケルが必要だったが、焼岳についてもコンディションがわからなかったので同様に準備していった。
 この山行については、一部の内容を記録したメモ帳が残っていた。その中に出発から松本で駅カンするまでのことと山中での時刻の記録があった。(以下の青字は引用箇所

>GW中で「あさま」が混雑するのを見越して、一本前の「信州リレー号」に乗ることにした。

 新前橋で吾妻線(からの電車?)の接続待ちでかなり時間を食う。高崎に着いたときは乗り換えられるかどうか不安だったが、ホームに行くとまだ発車していなかった。

 座席は半数埋まる程度だったが、四列シートの片側二席が空いているところが見つからず、相席となるのが煩わしくデッキで立っていく。安中までは降車は少なかったが、磯部で大半が降りたのは意外だった。

 横川で機関車連結の停車後、碓井峠越えの初めまでは記憶があるが後は眠ってしまい、御代田の駅のアナウンスで目を覚ます。

 小諸で後続の「あさま」に乗り換えることにした。十分近く待つので、一旦降りた「信州リレー号」の車内に戻って待った。到着した「あさま」は予想以上の乗車率で焦る。座れずにデッキで篠ノ井まで移動した。

 今回は(あさまの)前の方の車両に乗ったため「ちくま」の乗り換えは余裕があった。「ちくま」は前回よりいくらか混んでいた。(おそらく、前回の西穂行のときは、ホームの階段から離れていたところに降りてしまい、短い乗り換え時間で慌てて移動していたのだろう)

 後部に増結した二両は名古屋までの指定席車両だった。見た感じ指定券無しで利用している乗客はいなかった。新宿あたりではこうはいかないだろう。立川や八王子まで空いている指定席をちゃっかり利用する乗客はよく見かける。

 聖高原を過ぎたあたりで車内改札が回ってきて、その後で眠入ってしまう。

 「まつもと~、まつもと~、松本です」といつもの女性の声のアナウンスではっと目が覚め、慌てて降車した。

 駅のコンコースで寝袋を敷いたうえで寝る。前回の西穂行の疲れもあってか、短い時間だったがぐっすり眠った。

 このときはホームレスに悩まされることは無かったようだ。

 そこからはいつものとおり松本電鉄で新島々に行き、そこからバスで上高地に入った。

 アルバムには「前回より一本早い便で上高地に入った」とある。そういえば、GW中はJRの夜行列車に接続する臨時列車が二本運行されていたか。一本目は定期の「アルプス」「ちくま」に接続していて、二本目は後続の臨時の夜行列車に接続するダイヤだったように思う。

 バスターミナルで明日は天候が崩れるとさかんにアナウンスしていた。(が、後記のとおり天候はそれほど悪くならなかった)梓川の川岸に行くと雪の残る焼岳が望めた。

 上記のメモ帳では、>上高地(を歩き始めたのは)6:40となっていて、>田代橋 7:00峠沢出会 7:42と記されている。

 アルバムには「上高地から焼岳に登るコースは悪場が多く高低差のわりに時間がかかる」と書いてある。そういえば、やや歩きづらかった記憶がある。

 上高地の登山口から歩き始めたときはそんなに残雪は無かった気がする。樹林の中を進んでいくと次第に積雪が多くなってきた。

 途中、母親と小学生低学年くらいの男の子の二人連れに追いついた。アルバムには道のことを聞かれたと書いてある。けれど、後で巻道について間違ったことを教えてしまった気がして、まずいと焦っていたら、ひょっこり二人が現れてほっとした。

 >五合目(ハシゴ):9:15

 五合目から先は残雪の急な斜面の登りで、その先の崖にハシゴが架かっていた。

 母子は梯子を登るのに不安を感じたようで上高地に引き返していった。せっかくここまで来たのに残念だと思う。
 空には雲が広がっていてそんなに天気は良くなかったようだ。

 >焼岳小屋 10:45(これ以降の時刻は後で記憶で書き込んだもののようである)

 >展望台 11:15 12:40

 小屋に着いた後で展望台を一往復しているようだ。小屋にザックを置いてから展望台に行き、そこから小屋に戻って昼食にしたのか。

  春霞がかかりすっきり晴れてはいなかった。展望台から見た笠ヶ岳は白く霞んでいて、後日出来上がった写真も一面白っぽくなっている。

 このときはプラスチックブーツを履いていたが、途中までは雪も無く岩のゴロゴロしている山肌についたザレた道で歩きづらかったと思う。
 山頂近くには雪渓があり、急斜面をトラバースするところは雪が腐っていて滑りやすくちょっと怖かった。山肌からは噴気が上がっており特有の臭いがたちこめていた。

 >山頂 13:50 14:15

 北峰に登頂する。立ち入り禁止の南峰に登る人はおらず自分も眺めるだけだった。

 雪の残る火口湖からはさかんに噴気が上がっていて風に乗って熱気が伝わってきた。空は曇っていてあまりよい眺望ではなかった。

 再び焼岳小屋に戻る。アルバムには水を作っていて時間を食ったとある。なんでそんなことをしていたのかと思うが、そのときの状況が思い出せない。水を切らしていていたので雪を融かしたのかもしれない。

 >焼岳小屋 16:15
 アルバムにも16:15に中尾温泉の方へ下山を開始したとある。ずいぶん遅いスタートだ。
 樹林帯の中には残雪がかなりあり、表面を落ち葉や枯れ枝などが覆っていてトレールがわかりづらく途中で見失ってしまった。しばらくして見つかったが時間も遅かったので少し焦った。
 その先の飛騨側の山肌は急な斜面だったが、細かくジグザグに道が切られていて意外に歩きやすかった。雪も残っていてクッションになったため膝への負担も少なかく、思ったより早く下れたようだ。

 >林道 18:?
 登山口から小沢を渡って林道に出る。舗装された道をしばらく歩いていく。道の左側に大きな谷が見下ろせた。
 中尾温泉の集落に下りてくると旅館が立ち並んでいる。道の脇にあった自動販売機で缶ビールを買って飲んだ。もう麓まで下りてきたことだしよかろう、ということで。
 カセットテープにダビングしておいたシューマンのレクイエムを聴きながらほろ酔い加減で坂道を下って行った。
 穏やかな春の夕暮れだった。あたりの桜が咲き揃ってちょうど見頃だった。

 温泉旅館の前を通りかかると、夕食の時間で広間で団体客が宴会をしていた。
 >中尾温泉口バス停 18:50
 蒲田側沿いの道に下りてきてからバスに乗れただろうか。この時刻だとあたりはすいぶん暗くなっていたのでないか。
 翌日(5/4)は、上高地であれだけ悪天候となると言われていたが、雨が降ることは無く晴れ間も出て天気はまずまずだったように思う。キャンプ場で何もせずのんびり過ごすのに悪くなかったが、実際は独りでそこにいるだけでは手持ち無沙汰で午前中ですでに退屈し始めていた。

 時間があったのでアルプス浴場に行った後で新穂高の湯にも浸かってきた。
 思っていたほど楽しいわけでもなく、漫然と時間を浪費しているように感じた。

 連休最終日(5/5)は、早々にキャンプ場を引き払って前橋に帰ったのではないか。