(1)からの続き

 三ノ塔の避難小屋は三十一年前の印象と違った。その後建て替えられたようだ。
 小屋の前のテーブルで休憩する。眼前の黒い山影に被さるように北斗七星が横たわっている。この季節にしては気温は高めなのだろうが山の上で風もあるので少し寒い。
 小屋の中を覗いてみたら窓が大きく開放感があって意外にきれいだった。中に入ろうとすると足元にシュラフで寝ている人がいてびっくりする。向こうもまだ眠っていなかったのか「入っていただいて結構ですよ」と声をかけてくれた。けれど泊まるわけでもないので寝ている人に迷惑だろうと遠慮した。

 18:00過ぎに避難小屋の前を出発する。暗い道を一人で下るのは心細かったが目の前に広がる市街地の夜景に少し勇気づけられる。あと一時間も歩けばバス停に着ける、とその時は思っていたが。
 二ノ塔に着く。ここでヤビツ峠と菩提方面に道が分岐していた。念のためスマホでヤビツ峠からバスに乗れるか検索する。電波状況が良くないので表示されるまでに時間がかかる・・・がすでに運行は終了していた。
 今さらだったが、それがわかってしまうと下山する気持ちをくじかれそうだったので、ここに来るまでわざと調べなかった。

 実のところ下調べが甘く、菩提峠とバス停のある菩提を混同していて、菩提峠までバスが来ているものと思い込んでいた。それよりも渋沢寄りにあるヤビツ峠の終バスが早いのは変だと思っていたが、このときその訳がわかった。

 それであればと菩提方面に通じる登山道を下ることにした。18:46頃だったか。それまでのコースのようには人に歩かれていない道だったが、初めのうちはまだよかった。
 しばらくしてスギかヒノキの針葉樹林に入ると夜景の光も遮られ、辺りは真っ暗になってしまった。
 登山道には砂利が敷かれているようだったが、ちょっと下っていくと雨水で掘れてしまって赤土がむき出しになっており、それがやたらスリップするという酷い道だった。ストックでバランスを取りながら慎重に下るしかなくなかなか前に進めない。
 ザックに付けておいた編み笠を二ノ塔で被ってしまったが、それもよくなかった。耳にかけた首紐に押されて眼鏡がずれてしまい焦点が合わない。それでなくても足元を見ながらなので眼鏡がズレ落ちるのが煩わしい。
 三ノ塔で休憩しているときに身体が冷えてきたので長袖シャツを着たが、荒れた道に悪戦苦闘しながら下ってると暑くなって汗が吹き出してくる。けれど足元の悪いところで脱いでザックにしまうのが面倒でそのままにしたが、それもストレスだった。
 赤土の道がやっと終わり、歩きやすくなってほっとしていたら、今度は踏み跡がどこにあるのかわからなくなってしまった。
 スギかヒノキの木立は下草が無くどこも地面は土のようだったが、ヘッドランプが照らすところを見ても道なのかどうなのか見分けがつかない。けれど、土がやたらふかふかしているので人に踏まれていないことだけはわかった。
 そのとき、近くの茂みでなにかの獣がギャッと声上げてガサガサと物音がする。シカかサルか・・・クマに出くわさなければいいが。
 それにしてもこんなところで道を見失ってしまうとは。

 弱気になると嫌なことがあれこれ思い浮かんでくる。中高年の遭難事故やクマの襲撃事件のネット記事とか。まさか今度は自分がネットの記事の当事者になりはしないか・・・。

 そういえばヘッドランプを点けてから二時間くらい経つが、まだ大丈夫だろうか。ここで電池が切れたらアウトである。LEDなので電池の持ちはいいはずだが、昨年買ってから一度も替えていないことを思い出して急に心配になる。

 このまま無暗に歩き回らない方がいいのでは・・・。コンロもあったので火は起こせるし、水も少しは残っていて食べ損ねたおにぎりもあるので一晩くらいはなんとかなる。獣避けに木の枝や落ち葉で焚火して朝までなんとかしようか・・・。明け方は冷え込むだろうけどブルーシートを被ってればなんとか凌ぐこともできるのではないか・・・そんなことも考えた。
 ただ、辺りには間伐された切り株があり人手の入っているところには違いないようだ。木々の向こうにあるネットの囲い中を下っていればどこかで道に戻れるはずだ・・・左の方をヘッドランプで照らすと踏み跡らしきものが。
 どうにか登山道に戻れた。それにしてもこの歩きづらい道はどこまで続くのか。ずっとこのまま樹林から出られなくなったりしないだろうか。キツネに化かされて同じところをぐるぐる回るという子供の頃に聞かされた話を思い出す。
 道が斜面をジグザグに下るようになってしばらく下るとやっと林道にたどり着いた。二ノ塔からニ、三時間歩いたような気がしたが実際は一時間も経っていなかった。

 そこから林道を横切った先に登山道が続いていたが、先ほどまでのようなところを歩くのはもうご免だった。バス停のある集落に下るには多少遠回りになっても林道を歩く方がましに思えた。
 気の遠くなるような樹林の暗闇からは解放されたが、林道にも照明は無く相変わらず周囲は真っ暗だった。山の中から得体の知れない獣の声が聞こえてくる。歩いている時はクマ対策として口笛を吹いたり、ストックを叩いたりして音を出すようにした。
 しばらく歩いてヤビツ峠から下ってくる林道の合流にたどりつく。自分が歩いてきた林道はゲートが閉まっていたが、合流した方のゲートは開いていた。
 時刻は19時46分だった。まだバスに乗れるかもしれないが、くたびれていたのでもう歩きたくなかった。ここならタクシーを呼べるのではないかと電話してみることにした。
 一社目は地元のタクシー会社で二台しか配車していないので、こちらに来るには小一時間かかるという。それでも歩いて下る途中で拾ってくれればいいと言うと、それはできないと断られた。
 もう一社、神奈中タクシーに電話すると、やはり歩いているところを拾ったりするのはできないという。目印になるようなものがあるところにして欲しいと言われ、仕方なく麓の集落まで歩くことにした。
 再び林道を下り始め、最初のヘアピンカーブのところまでやっと来た・・・と、曲がった先でヘッドランプが照らした十メートルほど先のガードレールのすぐ向こうに黒い影が。
 一瞬だったがクマのように見えた。怖くてもう一度見ることはできなかった。
 「今のは見なかったことにしよう」とそのまま知らん顔をして口笛を吹きながら通り過ぎた。そんなのがクマに通じるかどうかわからなかったが追いかけてくる様子は無かった。本当にクマかどうかはわからなかったが何事もなくてほっとした。(後で調べると、当地はイノシシの目撃や被害が多いらしい。毛の色が茶色っぽかったのでイノシシだった可能性もある)
 その後も口笛を吹いたり声を出したりストックを叩いたりして音を出すようにした。
 しばらく下って行くと、空気がほんのちょっと暖かくなった気がした。11月にしては気温が高かったと思う。けれど、あたりは真っ暗で遠くに街の灯りが望めるものの、沿道に人家は一向に見えてこない。
 その後も暗闇が延々と続くのにうんざりしていて、もう当分家は無いだろう諦め気分だったところに、目の前に灯りが。やっと集落にたどり着けたとほっとした。その手前にゲートがあって閉じられていた。これではタクシーを呼んでも入ってこられなかった。
 灯りは民家のものだろうと思って近づいてみたら公衆トイレだった。がっかりである。

 前が駐車場になっており入山者のための施設らしい。(近くに葛葉の泉があるそうだ)
 トイレで用を足していく。このあたりは沢筋のためなのか空気がやや冷たかった。明るいのはそこだけで周囲には何もなく、相変わらず樹林の暗闇の中に道が続いていた。
 すでに22時近くになっていた。この状況で22:05の終バスに間にあうかどうか。
 それにしても、いったいいつになったらこの暗闇から抜け出せるのか。脚にもかなり疲労が溜まっており、急ぐ余力も無かった。
 やっとのこと集落が見えてきた。道端には菩提原バス停の方向を示す札が立っている。もうすぐかもしれないとバス停を見落とさないように道の脇に注意しながら歩く。
 そのうち道の左側に所々工場があり、もしかしたらこのあたりにバス停があるかもしれないと期待するが、それにしては全然人影も無いし、車の往来もほとんどない。
 そんな感じで22時を過ぎてしまう。最後の望みをかけたが、バス停は見つからないままとうとう22:05の発車時刻になってしまう。
 閉まっている商店の前の自動販売機で梅よろしを買って飲む。山頂ではすいぶん残していた水やジュースも、途中に水場が無かったのでここまで来る間にあらかた飲んでしまっていた。水やジュースで荷物が多少重かったが喉の渇きで辛い思いをしなくて済んだ。余分に持ってきたのは結果的に正解だった。
 バスは諦めてタクシーを呼ぶことにするが、この商店名だけでは心もとなかったのでもう少し下ってみることにする。
 突き当りのT字路を右に曲がっていくとき、葛葉の泉を示す看板があった。これを目印にもできるかもしれないが菩提原のバス停までいった方がわかりやすいだろうと思った。(が実際にはそこからまだすっと先だった)
 高速道路の高架の下まで来て、ここならさすがにわかるだろうと思いタクシー会社に電話してみた。「葛葉の泉に行く途中の道で東名高速の下にいます」と伝えるが予想外の答えが返ってきた。「新東名ですか?」。上を通っているのが東名なのか新東名なのかわからず、なんとも答えられなかった。とりあえずドライバーに連絡は取ってくれるようだった。
 ふと、手元の三十年前の地形図を確認してみた。当時は新東名はまだ無い。自分のいるあたりを確認すると高速道路は無かった。ということはこれは新東名だ、っと思ったところでスマホに着信がありドライバーからの電話だった。新東名であることを伝えタクシーが来るのを待った。
 この時刻では帰宅できるかどうかわからなかったし汗みどろで歩いてきた後で帰りの電車に乗るのも憚られた。
 ネットで検索して渋沢駅前のビジネスホテルに電話してみたが生憎満室とのこと。次に駅は違うが伊勢原のアパホテルに電話したらシングルで泊まれるという。9,500円の出費は痛いがそうもいっていられない。予約した。
 22:30過ぎにタクシーが来て渋沢駅に移動した。1,900円に迎車300円プラスで2,200円だった。
 次発は23:06の町田行。これに乗ると町田から新宿行の最終電車にぎりぎり間に合うがもう帰る気力もなかった。駅の階段の昇り降りで太ももが痛くて難渋する。
 伊勢原に着き、ホテルに入る前に何か食べて行こうと駅前の松屋を除くが、広くない店舗に客が何人もいて窮屈そうだったので入るのをやめた。
 ホテルに着いてチェックインする。「大きめのお部屋です」と言われる。二階のダブルの部屋だった。シャワーを浴びてから、食べそびれていたおにぎり一つの侘しい晩飯。あれだけ歩いたのに食欲は無く、これでも十分だった。
 ベッドに入るときには0時を回っていた。筋肉の緊張が解けないのか夜中に何度も目が覚めた。
 疲労困憊で朝はなかなか起きられないだろうと八時にアラームをセットしておいたが、それより前に目が覚めてしまう。
 疲れは残っていたが起き上がれないというほどでもない。それにしても太ももの筋肉痛が酷い。
 帰り支度をして八時前にはチェックアウトした。
 天気は良かったが、駅前を歩いている時は風が冷たかった。