(出発~帰宅日:1994年2月頃)

 平成六年の二月に職場の異動で群馬に転勤となり前橋に引っ越した。その後、当地には二年ほどいたが、谷川岳は比較的近場だったこともあり何度も登りにいっている。
 子供の頃から谷川岳のことは知っていたが、どことなく近寄りがたい存在だった。
 豪雪地帯にあるので冬期には雪崩や吹雪による遭難事故がよく発生していたし、一ノ倉沢のロッククライミング中の墜落事故も多く、当時、戦後の山岳遭難死者の数が世界一とギネスブックにも認定されていた。(今はどうなっているだろう)
 一名「魔の山」とも呼ばれていて、前橋に来る前は怖い山というイメージが強くなかなか登る気にならなかった。
 それが、地元のどの山に登ろうかと調べてみると、電車やバスで移動するなら意外にアクセスのいい山であることがわかった。
 さらに、天神平まではロープウェイで上がれるし、天神尾根を登るのであれば技術的にそれほど難しいところもない。
 冬でも天候さえ気をつければ、それほど恐れることもないだろうということで登ってみることにした。
 引っ越して間もなく登りに行ったと思うが、その時の写真は使い捨てカメラで撮っていたので日付が不明である。おそらく二月下旬から三月にかけてのことだと思う。
 初回と二回目に登りに行った時の写真が同じアルバムに入れあるが、その冒頭の写真は水上駅が写っていた。よく覚えていていなかったが、どうやらそこで駅カンしたようだった。寮を出るのが遅かったのか、前の晩のうちに土合には行けなかったようだ。
 泊まった翌朝に撮ったもののようだが、小雪でもちらついていたのかどんよりとしていて天気はよくなさげだった。
 現在は事情も変わってしまったと思うが、当時は駅の待合室で駅カンできた。室内の様子はよく覚えていないが腰かけのところが畳敷きで横になって寝られたように思う。室内は暖房(ストーブだったか?)も効いていて夜も寒くはなかった。
 翌朝は新潟方面行の朝一番の電車で土合に移動したように思う。
 登山口の最寄り駅である土合は水上から二駅目にあり「日本一のモグラ駅」とニックネームがついている。上りと下りのホームが別々の場所にあり、上りホームは駅舎と同じく地上にあるが、下りホームは地中にありそこから改札を出るには462段の階段を昇る必要がある。(長さ338m、高度差81m)
 因みに、上り線の通る清水トンネルは、群馬県民にはお馴染みの上毛カルタでは「ループで名高い清水トンネル」と詠まれ、絵札は隣の湯檜曽から土合に向かう途中のトンネルに入るところで、その中をぐるりと一回りして出てきた線路がトンネルの上を交差している絵柄になっている。
 下り線は後の複線化により追加された路線で、そちらの土合駅は三国山脈を真っすぐに貫通している新清水トンネルの中にあるため「モグラ駅」となった。
 電車を降りるとホームから真っすぐ上に伸びる階段をひたすら昇っていく。初めはちょっと新鮮な感覚だったが重いザックを背負っていると大変である。
 「魔の山」に臨む以上、なにか不測の事態が起こらないとも限らないからと、ビバークに備えてテントなどの装備をわざわざザックに入れて行ったと思う。その後も積雪期に谷川岳に登る時は日帰りでもテントや自炊道具は必ず持って行っていた。
 長い階段を昇り切っ後、山肌から突き出た陸橋で川と車道を越え、さらに24段昇ってから駅舎に辿り着く。当時、駅はすでに無人駅になっていた。
 駅前の道を天神平ロープウェイの乗り場まで二十分ほど歩いて行った。
 ロープウェイは二人乗りのゴンドラだったように思う。乗っている時、雪混じりの風がびゅーびゅー吹いていたような記憶がある。
 天神平に着いてから、さらにスキー場のリフトで尾根に上がったと思う。冬期でもスキー場の脇から尾根を巻いていくトレールがついていることがあるが、このときはリフトを利用して尾根伝いのコースを歩こうとしていた。ガイドマップか何かでそちらのコースが紹介されていたからかもしれない。
 尾根の上に来てみると吹雪で視界も効かず谷川岳がどちらの方向にあるのかもわからなかった。
 それほど降雪が強いわけではなかったが、その日は冬型の気圧配置だったようだ。
 これではとても登れそうにないとそこから早々に引き返した。