(出発日:1993年2月9日、入山〜下山日:1993年2月10日、帰宅日:1993年2月11日

 当時、横浜から飯田行きの夜行バスが走っていたが、そのことは職場の人が旅行で使ったという話を聞いて知ったように思う。
 これは中央アルプスに行くのに便利だし、いつか利用しようとかねがね思っていた。
 その後、冬でも登れる山が無いかと考えていた時に木曽駒ケ岳のことに気がついたのかもしれない。
 宝剣岳や木曽駒ケ岳などの登山口となる千畳敷にはロープウェイで上がることできるし、ホテルも通年営業していたので下山してすぐ泊まることもできるなど冬期でも登山しやすい条件が揃っていた。
 それに晴れていれば夜はホテルの前から満点の星空を眺めることができるかもしれない。
 そんなことも期待しつつ敢えて二月に登りに行こうとしたのではないか。
 バスには横浜駅の東口のバスターミナルから出ていた。発車して間もなくカーテンをめくって外の様子をうかがった。ナトリウム灯でオレンジ色に照らされていた道端の光景を眺めていたことを覚えている。車中のことはあまり記憶がないが、いつものごとくあまりよく眠れなかったと思う。
 千畳敷の最寄りは駒ケ根でバスの終点の飯田の手前だが、早朝の到着時刻には接続するバスも無く身動きが取れない。
 なので、一旦バスで終点の飯田まで行き、そこから飯田線で駒ケ根に引き返して時間を調整することにした。
 飯田に着いたのは五時頃でまだ外は暗かった。バスターミナルは駅から少し離れていたので市街地の中を歩いて移動した。
 電車に乗り駒ケ根に移動する。そういえばあのときは朝食をどうしただろう。弁当でも買っていったのだろうか。 
 駅前から千畳敷ロープウェイ行きのバスに乗った。
 途中、次の停留所のアナウンスが「ニョタイイリグチ」と聞こえた。「え?女体・・・」と思うが、何かの聞き違いだろうとそのときは聞き流していた。
 その日は天気が良かった。千畳敷に着くと自分以外に登山者の姿は見かけなかったように思う
 登山届を出そうと辺りを見回したがそれらしいボックスが見当たらなかったので「日帰りだし、まあいいか」とそのまま歩き始めようとすると、ホテルの前で雪かきをしていた男性に呼び止められた。
 「登山届は出しましたか」と聞かれ、見つからなかったと言い訳すると「そこにあります」と指さされ、さらに「登山届を出すのは常識でしょ」とたしなめられた。
 出そうとは思っていたんですと言いたかったが、言われたとおりでぐうの音も出ない。
 最初から面倒くさがらずに聞いておけば良かったと反省しなから登山届を書いてポストに投函した。
 歩き出したが雪上に新しいトレールは無かったように思う。前に誰かが歩いたと思われる踏み跡を辿ってカールの中を歩いていったように思う。
 なので、はじめのうちは足が雪に埋まって歩きづらかったのではないか。
 カールを上に進むと次第に斜度がきつくなってくる。アイゼンの爪を蹴り込んで登っていくようになる。
 斜面の途中で急に硬い雪質に変わった。なんだろうと思う。そこから下は前に雪崩で落ちているところに新たに積もったのではないかと想像した。
 雪崩は気温の上がる午後に多くなるそうだ。下山するまでに崩れることはないかちょっと不安になる。
 カールの上の方は感覚的には垂直に近い感じで(実際はそんなでもないはずだが)、登ったはいいがここを下れるのかと思うくらいだった。
 ようやくカールを登りきる。カールの中は風がほとんどなかったが稜線ではかなり風が吹いていたが雪は硬くしまっていて、歩き辛くはなかったように思う。

 雪が付いて真っ白になった宝剣岳を横目に駒ケ岳へ向った。途中、宝剣山荘が屋根のあたりだけ突き出して雪の中に埋もれていた。
 中岳のあたりまで進んだか。登山届には十四時くらいに下山すると書いていたように思う。だが、カールの登りで思った以上に時間がかかり、残り時間では木曽駒ケ岳までは行ってこれそうになかった。
 風はやや強かったもののよく晴れていたし、その先もなだらかな道で危険なところは無さそうだった。そこから山頂まで往復してくることは問題無かったが、そうすると登山届に書いた下山予定には間に合わない。多少遅くなっても山頂まで行きたかったが、さきほどの件もあったので心残りではあったが素直に途中で引き返した。 
 カールの下りは最初かなり急斜面だったが、思ったほど恐怖感は無かった。
 さきほどまで吹かれていたのが嘘のように無風だった。斜面の途中に立ち止まってしばらく周囲を眺めた。
 下山予定時刻までにはホテルに戻ってきたと思う。チェックインしたのはそれからだったか。
 部屋は和室で一人で泊まるにはちょっと広かった。夜行バスではそれほど眠れなかったと思うので横になって少し休んだと思う。
 夕食は食堂で食べたと思うが覚えていない。風呂はどうしただろう。そのあたりの記憶が残っていない。
 週末だったので自分の他にも宿泊者はいるだろうと思っていたが、その日は自分一人だった。
 以前、山で会った人が「避難小屋に一人で泊まるのは怖い」という話をしていたことを思い出したが、ここはホテルだしそんなにことはないだろうと思っていた。
 星空を期待していたはずだが、夜、外に出た記憶が無い。玄関が閉め切りになっていたかもしれない。
 廊下を歩いて部屋に戻る時、このフロアには自分しかしないと思うとちょっと心細くなる。
 酒を飲んでから布団に入って寝ようとするがなんとなく気分が落ち着かない。
 ときおり建物がカツンと鳴るのが耳につく。気温や気圧のせいだろうと自分に言い聞かせるが、逆に物音に敏感になってしまう。
 その頃読んだ山の事故に関する本に書かれたことが思い浮かんだりしてますます眠れなくなる。枕元にヘルメットを被った登山者の幽霊が立っていたりしたら・・・頭の中に余計な妄想が広がる。
 そんなわけで寝付くのにかなり時間がかかった。
 翌朝も天気は良かった。日の出前に玄関から景色を見ようと外に出ると冷え込んでいて寒い。
 おそらくホテルの食堂で朝食を取ってからチェックアウトしたと思う。

 その日は前日とは違って朝から何人もの登山者が駒ケ岳を目指してカールを登っていた。
 下りロープウェイには一、二名の施の施設関係者が同乗していたかもしれない。
 その他の帰りのことはほどんど覚えていないが、アルバムには駒ヶ根から横浜市内区間までの乗車券と岡谷(13:08発)から八王子まで乗ったあずさ18号の特急券が挟んであった。

 なお、往きで使った夜行バスは、その一年くらい後には廃止されてしまい再び利用する機会は無かった。

 自分が登りに行った一、二年後に千畳敷で雪崩による死亡事故が発生したのをテレビのニュースで見た記憶がある。
 カールの上の方の急な斜面が崩れたのか思ったが、そうではなく、もう少し下の方の南側の斜面で、それ以前にも雪崩事故が発生しているらしい。
 起きた日付が分かれば自分が登った年も特定できるとネットで検索してみたが、当地では何年かに一度は事故が発生しているようで記事の多さに驚いた。
 上記の事故に関しては1995年1月4日に発生した雪崩のようだ。
 アクセスも楽で比較的気軽に登れるようなイメージがあるが、意外に怖いところなのである。