〈出発~帰宅日:1993年8月下旬頃)

 南アルプスについては北部の山にしか登っていない。塩見岳以南の山々については、いつか登りに行こうと思っていたが果たせないままである。
 南部の山は関東圏からだと大井川上流や伊那側の登山口までのアクセスが良くない。車を持っていない(そしてペーパードライバーの)自分には、鉄道とバス(またはタクシー)で限られた日程で登ってくるのは難しいと思われた。
 北部の山のうち、自分が登ったことがあるのは北岳と仙丈、間ノ岳、農鳥岳である。
 甲斐駒ヶ岳や鳳凰三山にも登るつもりでいたが、そのうち登ろうと後回しにしていたら行かずじまいになってしまった。

 初めてこの山域に踏み入ったのは山歩きを始めて二年目の秋で、まず初めに北岳に登りに行こうとした。

 意外なことに、このあたり山の中では一番高い(富士山に次いで日本で二番目の標高)この山が最もアプローチしやすかったのである。
 そのときは、おそらく急行「アルプス」か甲府行き(そこでそのまま松本行になる)の普通列車で行ったはずだがよく覚えていない。
 甲府駅前から出ている広河原行のバスは、当時は三時発の便からあった。二時過ぎに甲府に着く急行「アルプス」だと接続のタイミングが良かったように思う。
 バスには一名または二名車掌が乗り込んでいた。登山シーズンはバスの台数が増えるので学生のアルバイトがよく乗っていた。走行中の混んでいる車内を足元に置かれた大きなザックをかき分けながら切符を売っていた。
 そのときも未明に甲府からバスにに乗り、五時頃には終点の広河原ロッジ(国民宿舎)に到着したと思う。(広河原ロッジはその後、2003年に閉鎖されてしまって今は無い)
 雨降りの悪天候で外もまだ暗かった。玄関前で雨を避けて仕度をしていてザックカバーを忘れたことに気づく。
 携帯していた大き目のゴミ袋(黒いポリ袋)を被せて代用することも考えたが、勝手の分からないルートだったのでそんなことをして大丈夫なのかという不安もあり、結局登らずにそこで引き返した。

 甲府から帰りの電車に乗るとき、曇り空を浮かぬ気分で眺めていたことを覚えている。

 わざわざここまで来たのが時間の無駄となってしまい、自分の確認不足を反省した。

 けれど、登山の装備が増えてきたにより、その後も忘れ物をすることが多くなった。