(出発日〜帰宅日:1993年7月)

 ゴールデンウィークに新穂高温泉のキャンプ場で一緒だったHさんから、白馬がお勧めだと言われて興味を持ち、早速行ってみることにしたように思う。
 けれど、なぜか代表的なルートの大雪渓を選ばす栂池から入って白馬大池に登っている。あの頃はまだ夏靴用のアイゼンを持っていなかったので雪渓を避けたのかもしれないが、その辺のことはよく覚えていない。
 新宿から急行「アルプス」に乗って白馬には早朝に着いていた。改札を出ると待合室で駅カンしていた登山者が起きて支度をしていたような記憶がある。
 駅前からバスに乗るときは雨が降っていた。天候のせいか外が薄暗かった印象があるが、先日、そのとき撮った写真を見たら空はだいぶ明るくなっていたようだ。
 そういえば、駅前のどの乗り場からバスが出ているのかわからず戸惑ったことをなんとなく思い出す。そのときはあたりは暗くはなかった。
 当時はまだ栂池ロープウェイが出来る前でバスで自然園まで上がっていた。バスは途中で白馬大池駅前を経由していた気がするが、ネットで現在のバス路線を確認したらそのあたりを通っていない。当時とルートが変わっているかもしれないが実際のところはどうだろう。
 自然園でバスを下車してから、小屋(栂池ヒュッテだったか)の軒先で身支度したような気がする。
 小屋を出発する頃には雨も止んで晴れ間も出ていたようだ。しばらく登山道を進んだ先は残雪で覆われていた。それで雪上に目印のベンガラが撒いてあったような気もする。そこここかから灌木の枝が突き出していて、身体に引っ掛かってうるさかった。

 その時の写真を見ると、天狗原のあたりでは残雪もほとんど消えていて湿原にはミズバショウが咲いていた。
 だが、その先の乗鞍岳の斜面にはまだかなり残雪があった。前記のとおり夏靴用のアイゼンはまだ持っていなかったので足が滑ってかなり難渋した。(それに懲りて後日アイゼンを買った気もする)
 乗鞍岳ではガスで視界が効かず何も見えなかったと思う。しばらくガスの中を歩いていると目の前にひょっこり大池山荘が現れた感じだった。
 小屋に入って休憩することにした。数人のグループが同じように休んでいた。中に黄と緑のボーダーのラガーシャツを着ている人がいて、山歩きには着映えするように見えた。これは自分も買おうと思った。
 その日はそこから白馬岳に登る予定だったが、あたりはかなり残雪が非常に多いうえにガスで視界も無く、先に進む気をそがれた。
 栂池に引き返そうとも思ったが、それではちょっと物足りない。ガイドマップを見たらそこから蓮華温泉に通じる道があったので行ってみることにした。
 小雨とガスの中で、急な下り坂がえんえんと続くように感じた。天狗の庭のあたりまでくると雪は無くなっていて、雨も止んで一息つける感じだった。
 夕方前には下山口の蓮華温泉ロッジに着く。
 あまり天気が良くなかったのでその日は内風呂だけ入った。当時は改築前の浴室だった。
 寝床はカイコ棚式で自分は下の段だったように思う。同室の人とも少ししゃべった気がする。夕方、晩飯前に眠くなったので横になって少し休んだ。

 晩飯は食堂で食べたと思うがほとんど記憶に残っていない。
 翌朝は天候も回復していたので露天風呂に入りに行った。小屋から一番近い三国一の湯は登山道脇にあったが、湯舟は小さく手を入れるとそれほど温かくない。周囲に展望もなく陰気な感じで、入る気が起こらずスルーした。少し上がったところにある仙気の湯は、周りに遮るものもなにもなく、そこで服の脱ぐのはちょっと抵抗があったし、すでに湯船にニ三人いたので入りづらかった。

 それで躊躇して一番高台にあった薬師の湯に先に入ったかもしれない。こちらは眺めもよく気分がよかった。

 仙気の湯に戻ると先に入っていた人が出ていたのでそちらにも浸かっていく。最後に樹林の中の木もれ日(黄金?)の湯に入った。目の前に雪倉岳から朝日岳の稜線の眺められとても気持ちが良かった。

 ロッジに戻って帰り支度をする。バス停はロッジから少し歩いたところにあった。

 そこからバスに乗って平岩駅に下っていくと、山菜採りのシーズンだったこともあり路肩に車を止めて山中に入っていく人が結構いたように思う。
 平岩から南小谷まで普通列車に乗り、そこから新宿行の特急で帰ったと思う。