(出発日:1993年4月23日、入山〜下山日:1993年4月24日、帰宅日:1993年4月25日)

 平成五年のゴールデンウィークに新穂高温泉から双六山荘まで上がっている。

 なぜ、この山域に行くことを選んだのかといえば、前年の十二月に西穂独標に登ろうとして新穂高温泉に来ていて、登山口の様子がわかっているというのはもちろんだが、なにか当地に強く惹きつけらるものを感じていたこともあった。
 北アルプスのガイドマップを広げては、今度のGWにここを拠点にどこに行こうかあれこれ算段した。
 まだ山歩きを始めて一年足らずで自分の力量もよくわかっていなかったが、ガイドマップを眺めていると「この所要時間なら、一日でここにもあそこにも足を伸ばせそうだ」と壮大な計画がどんんどん膨らんだ。
 なんだかどこにでも行けそうな気になっていたが、現実はそう甘くはなかった。
 そもそも無雪期のコースタイムだということをあの時はまるで考慮していなかった。
 当時の職場ではそう簡単に休暇は取れなかったから、まとまった日数を休めるゴールデンウィークは山行の絶好のチャンスであり、準備のときからかなり気合が入っていた。
 職場の近くのJTBの営業所に行って急行「アルプス」のグリーン券を購入した。そのニ年ほど前に大学オケのOBで上高地に行くときに初めてグリーン車を使って味をしめた。リクライニングが大きく倒れるので普通車よりもゆったり休めるし、なにしろ急行のグリーン券は割安だった。売り切れる前に是非確保しておきたかったのだ。
 また、山中での行動時間を確保するために松本から新穂高温泉への移動時間も節約しようとした。例年であればGWの頃には安房峠も除雪されて開通していたが、バスだと中ノ湯でうまく乗り換えられたとしても結構時間がかかる。
 少しでも早く登山口に着くために新島々でタクシーを予約することにした。事前にタクシー会社に電話して確認すると新穂高温泉までは3万5千円とのことだった。そのときは背に腹は代えられないと思ったが、なんとも贅沢なことをしていたものだ。
 前置きが長くなったが、今回の本題はその山行のことではない。

 実は、ゴールデンウィークに入る前の週だったか、ご丁寧なことに新穂高温泉から左俣沢方面へ下見に行ったときのことである。
 まだ安房峠が閉鎖されている時期だったので新穂高温泉には岐阜側からバスで入ることになる。
 その時は上野から寝台特急「北陸」に富山に行ってから高山本線に乗り換えた。当時は神岡鉄道が廃止される前だったので猪谷で乗り換えて終点の奥飛騨温泉口からバスで新穂高温泉に移動した。
 奥飛騨温泉口からのバスには高校生がたくさん乗り合わせた記憶がある。ということは土曜日の朝だったか。記憶間違いかもしれないが、その時は日が差していた印象がある。
 新穂高温泉に着いたときには乗客は少なかったと思う。まだ雨は降っていなかったが空はどんよりしていた。
 蒲田川を渡って右に曲がり、その先から左俣沢林道に入った。林道の入り口までは除雪されていたがゲートの先では残雪がたくさんあった。数十センチから一メートル近くはあったように思う。
 そのとき左俣沢林道に入ったのは自分一人だけだった。雪上には最近ついた靴跡があった。先行する入山者がいるようで少しほっとしたように思う。
 ゴールデンウィークの予行演習というのもあり、テントや雪山装備などザックにひと通り詰め込んでいたのでかなり重かったはずだ。
 残雪は腐っていてスリップしやすかったと思う。雪面が山側から沢に向かって傾いてるので不安定で歩きづらかった。
 沢の対岸の山肌にはところどころデブリが押し出されていた。急な斜面を何百メートルも上の方から下り落ちてきているようだった。こんなものに巻き込まれたらひとたまりもないなと思う。歩いていた林道側にはデブリは無かったように思うがよく覚えていない。
 天候は思わしくなく、ときおり小雨も降っていたかもしれない。
 このまま進んでもどこまで行けるのかわからず心細くなってくる。そんな感じで二時間以上歩いたか、やっとワサビ平小屋に着いた。思っていた以上に苦戦して時間もかかっている。
 小屋の中に人がいた。営業しているのかと思ったが、小屋のスタッフが一人でゴールデンウィークに向けて開業準備中だった。
 雪上についていた靴跡はこのスタッフのものだったようだ。
 今日のような日に山に登りに来る人間などほとんどいないのだ。この先に進んでもどこかに辿り着ける見込みなかったので、そこで引き返すことにした。
 下山中に雨が降り出した。新穂高温泉に着く頃には本降りになった。
 その晩は山中でテント泊をする予定だったが、早々に下山してしまったのでその後をどうしようかと思う。
 温泉地だったので旅館に泊まっていくことも考えたが、どこがいいのか見当がつかなかったし、宿泊する分の手持ち現金を用意していなかったかと思う。
 結局、十六時頃のバスで高山に下った。その時間であれば富山に出て上野行の夜行列車に間に合った。
 夜、何時頃だったか富山に着いてホームに北陸線のホームに移動すると、目の前の上空から真下に向かってニ三筋の稲妻が走った。
 突然のことでびっくりした。雷は苦手なので「これはヤバいと」耳を覆ったが・・・何も音がしない。
 落ちたのは自分のいるところから二十キロ以上先の富山湾のようだった。
 その後も何度か目の前で稲妻が走った。海に雷が落ちるのを見るのはこのときが初めてだった。
 日本海側は冬に雷が多いということだが、いつもこんな感じなのだろうか。
 その後に到着した列車で翌朝四時過ぎに上野に着いた。けれど、その時間帯ですぐに接続する電車はなくホームで長々待たされた記憶がある。
 そこから横浜に帰ったが、妙に疲れが残った記憶がある。