(出発日:1992年11月21日、入山~登頂日:1992年11月22日、下山~帰宅日:1992年11月23日)
十月に地蔵尾根を登ったときには雪があったとはいえ積雪も少なくアイスバーンになっているところも無かったので、雪山の装備が無くてもなんとなったが、やはりあれはまずかったと反省した。
これまでのようなノリで歩くわけにいかないだろうと考え、早速、入門書や雑誌を読んで冬山装備のことをいろいろ調べてみた。
登山者の中には冬山は怖いので絶対やらないと言う人もいたが、装備をしっかり準備して無理のない計画で登れば、無暗にに怖がる必要もないのではとも思った。
まずは、防寒具やピッケル、アイゼン、冬用の登山靴を買うことにした。
登山靴については断熱や防水に優れていてるプラスチックブーツに、アイゼンは装着の楽なワンタッチアイゼンにした。
次はどこに登るかだが、八ヶ岳にはすでに四回来ていたのでアクセスしやすかったこと、北アルプスほど積雪は多くなく晴天率が高いので気象条件が良いことと、険しい岩場の少ない初心者向きのコースがあることなどから選んだと思う。
そんなとき本沢温泉のことを雑誌か何かで知ったのだろう。日本で一番標高の高いところにある露天風呂というのにも惹かれた。
前に赤岳鉱泉に泊まっていて寒い季節に温泉はいいものだと思ったが、あまり温泉宿という雰囲気はなかった。
本沢温泉は山奥の秘湯めいていて山を眺めながら露天風呂にも入れる。これは登山とセットにして是非寄ってみたいと思った。
勤労感謝の日が月曜日で三連休となっっていたので、土曜日の晩に出発して翌日天狗岳に登った後で本沢温泉に泊まることにした。
(アルバムに帰りの電車で車内精算した切符が挟んであった。感熱紙の文字が消えかかっていたが、どうにか4.11.23と読める)
新宿から夜行列車に乗った。あの頃はまだシュラフは持っていなかった。時期的にシュラフ無しで通路で寝るのはきつかったと思うので、朝五時頃に茅野到着する普通列車(快速)にしたのではないか。
そのとき撮った写真の一枚目はバスに乗るところだったが、日の出前であたりはまだ暗く写っている。天気は良かった。
バスで登山口の渋温泉に入った。登山道に少し雪も積もっていた。そこからの登りはプラスチックブーツだとかなり歩きづらかったはずだ。初めはアイゼンは付けていなかったかもしれない。
黒百合ヒュッテの前を通ったが、そのときは中には入らなかったと思う。
そこから天狗岳の登り取りつく。積雪はあったが時期的にそれほど深くはなかったように思う。
天狗岳(西)の山頂直下で昼飯にしたことは覚えている。フリーズドライのリゾットだった。
湯を沸かして注ぐだけだったが、風が強くてすぐ冷えてしまいそうでゆっくり味わう余裕も無かった。
東天狗をピストンしてから根石岳を通り夏沢峠から本沢温泉に下った。
根石岳から下っている途中だったか、アイゼンの爪をスパッツに引っ掛け、豪快に雪の上にダイビングしてしまった。そして、その拍子にアイゼンが外れた。
十二本爪のワンタッチアイゼンはつま先と踵の位置が伸縮できるようになっていて、靴のサイズに合わせてからネジを締めて固定するようになっていたが、まだ慣れていなくて靴のサイズにしっかり合っていなかったようだ。
平坦な雪の上だから良かったものの、岩場の稜線だったりしたらやばいことになると思った。
雪山用に買ったスパッツも破いて一発でダメにしてしまいショックだった。そんなわけでアイゼンは外したように思う。
その先も足元は積もったばかりのフカフカの雪でアイゼンがなくとも問題は無かった。本沢温泉のあたりに下ってくるとだいぶ積雪も少なくなり登山道に雪はほとんど無かったように思う。
山小屋の少し手前に「日本で一番標高の高いところにある」という露天風呂があった。
実物は思ったより小さかった。三人も入れば一杯という感じで自分が通りかかった時もすでに先客で満員だった。
ただ、そこにあったのは浴槽だけで脱衣所も無く横を歩いている登山者からは丸見えだった。寒い中で震えながら恥ずかしい思いもするのにはちょっと抵抗もあった。
けれど、せっかくここまで来たのだからと誰かが出てくるのを待ってみたが、標高二千メートル以上の高地でかなり寒いし、湯温も低いものだから入ったはいいがなかなか出てこられないようだった。
これでは当分は入れそうにないと諦めて山小屋に向かった。
宿泊の手続きをして部屋に入った。部屋を撮った写真はあるが中が暗くてよく写っていない。どんな部屋だったか思い出せない。
晩飯は自炊にしないで食堂で食べていたと思う。同宿の登山者とおしゃべりなどしたが、何を話していたか覚えていない。
風呂は晩飯の後に入りにいっただろうか。風呂場は別棟で一旦外に出る必要があった。浴室は一か所だけで、時間制で男女交替だったと思う。
入った時は混んでいてゆっくり温まれなかったかもしれない。山小屋の消灯時間後も風呂場は入れるようだったので夜中に一人で浸かり直しに行った。
外に出た時だったが、それまで静かだったところに突然風が吹き出した。あたりにザーっと木々を揺らす音が響いた。
けれど、ひとしきり吹いた後はまた静かになった。夜中にそんなことが繰り返されていた。
風呂から戻り布団の中に入ってこれはいったいなんだろうと思いを巡らした。
山の西側にたまった風が徐々に持ち上げられてきて、稜線を越えた途端に一気に吹き下りてくるのでは・・・なんてことを想像したりした。それにしても、実際のところはどうなんだろう。
翌日の朝食は七時くらいだったか。
八時頃には小屋を出発したのではないか。外は冷え込んでいたようで、小屋の前で撮ってもらった写真ではフリースを着込んで顎の下までファスナーを上げていた。
一時間ほど下ってしらびそ小屋に着く。池の畔にあり雰囲気の良いところだと思った。小屋の前の餌代ではリスが登山者を構う様子もなく木の実かなにかを食べていた。
小屋からさらに樹林の中を下っていくと森林鉄道の軌道跡が登山道になっていた。まだ、レールが敷いたままになっていた。このあたりまで来ると雪は無かった。
下った先の稲子湯に寄り、バスの発車前にひと風呂浴びて行った。
その後はバスで松原湖駅まで行き、そこから小海線で小淵沢に出て中央線で帰った。