(出発日:1993年6月5日、入山~帰宅日:1993年6月6日) 

 初めて上高地から西穂高へ登りに行こうとしたのは山歩きを始めた年の九月頃だと思い込んでいた。
 それで、一度は<H04/09/99>としてアップしたが、先日見つけた当時のアルバムを確認したらどうも様子が違う。
 山の上の方には残雪があるので少なくとも秋に撮った写真ではない。そして、そのアルバムの後ろの方にはどういうわけか木曽駒ケ岳に登ったときの写真も入っていた。
 最初はなんでこんなところに思うが、フィルムが残っていたので次の山行でも使ったと考えるのが自然だ。
 日付は無いが木曽駒ケ岳に登ったのはゴールデンウィーク後の五~六月頃だと思うので、同じ頃に登りに行っていたということになる。
 ということは半年も記憶違いしていたことになる。
 さらに、後日パノラマ版で撮った別のアルバムが出てきて、その中に帰りのバスの切符が入っていた。
 「5.6.6」の日付が入っていて、これで日程は確認できた。
 けれど、最後の方に大正池を撮った写真があり、後記のとおりそれがどういった状況で撮られたものなのか思い出せない。

 山登りを始める前のことだが、その昔、松本の高校の集団登山で落雷による死亡事故があったがという話を聞いたことがあった。
 後にそれが西穂独標であることを知ったが、その事故のエピソードから危険なところというイメージが焼き付いていた。
 だが、西穂高岳は穂高連峰の中では一番取っつきやすい山であり、中でも西穂独標は岩山入門編のような存在である。

 前年の12月には飛騨側の新穂高温泉から西穂山荘までは上がっていたので、今度は無雪期に上高地から西穂独標に登ってみようと思っていた。 
 前の晩に新宿を夜行の急行「アルプス」で出発、翌朝五時半くらいに上高地に着いたと思う。
 当時、上高地からの登山道は玄文沢寄りについていたようだ。(後に大雨で崩れて使用不能になり、現在は尾根側に付け替わっている)
 尾根に取りつく手前で桟橋を渡るところがあり、そこで大正池が見下ろせた。
 先日確認した写真を見るとその先の樹林には残雪があったようだ。
 そのときはあまり天気が良くなかった。三時間ほどで登り切って西穂山荘にたどり着いたが、あたりには残雪も多く上の方はガスっていてまるで視界が効かなかった。
 小雨も降っていたかもしれない。この天候では無理して登ることもないだろうとさっさと下山することにした。
 しかし、下り始めてしばらくすると日差しが出てきて天候が回復してきた。「なんだ、今頃になって」と思うが、そこから引き返すのも面倒になってそのまま下った。
 さらに下った先で六十代くらいの男性に追いついた。
 自分は下りは得意ではなかったから、その男性と話をしながらのんびり下ることにした。
 登山道の右側が崖になっているところに差し掛かったときのことだった。
 お喋りに夢中になっていて足元をよく見ていなかったが、何かに足を滑らせ前のめりに倒れ込んでしまった。
 咄嗟に目の前にあった木につかまり転落は免れたが、目の前に数メートル下の地面が迫ってくるように見えた。
 (・・・ここを頭から落ちたら生きていないかもしれない)恐怖で震え上がった。
 そばで見ていた男性も「落ちたら、ただじゃ済みませんよ」とびっくりした様子だった。
 木に寄り掛かった状態から態勢を立て直したが、ショックでしばらく動悸が収まらなかった。
 雨上がりで濡れていた木の根か小石にスリップしたようだった。
 ふと、周りを見回してはっとする。崖側に木が生えているのはそこだけだった。
 ここ以外で足を滑らしたら・・・。
 誰かが「足元をちゃんと見て歩きなさい」と警告してくれたような気がした。
 それ以来、登山中は常に足元に気をつけることを心掛けるようになったし、不用意なよそ見は決してしないようにした。
 一緒だった男性はどこかの会社の社長さんだった。
 上高地に下りると「一緒に歩けて楽しかったから」と彼がチャーターしたタクシーに松本まで乗せていってもらった。
 このときは新島々と上高地の往復バス切符を買っていて、復路の分は使わなかったのをアルバムに入れたのだろう。
 ただ、12時のバスの予約券も入っていて、一旦はバスに乗ろうとしていたら上記のように社長さんから声をかけられたようだ。
 ところが、パノラマ版のアルバムには上高地に下山した後で大正池を撮った写真があった。
 社長さんと大正池に寄ったのかもしれないが、そのときのことがどうも思い出せない。