昨日、私は東京拘置所へ面会に行ってきた。
「ちょいと知人が逮捕されたので・・・」と頼まれたからである。
通常は冷たいように思われるかも知れないが、
あまり面会とかには行かないようにしているのは、
私は弁護士でもなく逮捕されたからと、
特に何をしてあげられることも出来ないからだ。
「ただ言い分だけでも・・・」というので聞きに行った訳だが、
拘置所の周辺は思い出の多き所である。
「↑」ではよくお茶をしたし、
差し入れと言えば「↑」は、
電話一本でやってくれた私らの専門ご用達店でもあった。
昭和の頃は、
身内関係が執行猶予で出てくるだけでも、
拘置所に大勢で集まり出迎えた・・・。
各組織の組員たちが訪れる中で、
勢力を誇示する意味もあり、
睨み合いなどもよくあった。
今月で私も京都刑務所を出所して8年になる。
もう20才の時から42才までの間に幾度も収監され、
常連と化しており、
所内では、
看守が気軽に声をかけ、
収監者は、
「待ってたんだよ、やっぱジローが居ないと面白くないからね」と、
雑居房では引っ張りだこだった・・・。
収監されても、
毎日の如く反省文を書かされたり、
廊下に立たされたり、
大声で叱られたりもしたが、
拘置所で懲罰は一度も打たれたことはなかった。
何かと便箋に漫画を描いてあげたり、
食材を工夫して作った物を他の雑居房に回したり、
房内で「山手線ゲーム」や博打などもした。
移送前には、
順々に房内で歌を披露し合ったり、
所内では何処そこの親分や年齢的なことも、
あまり気にせず楽しんでいたが、
学びの場でもあった。
シャバでは口も聞けないような親分さんや元大学教授、
初犯の時には、
三島由紀夫さんとも深く交流のあった社長さんもいた。
本もむさぶり読んでたが、
私には学校というか、
実家みたいな感じだったかな?
「↑」のように新築になってからは収監されてないので、
もう実家とは思ってないけど・・・・。
面会室では、
話を聞いたが、
「付き合う関係者が良くない!」と言ってきた。
そう私がヤクザ時代によく親分に言われてたのと同様なことを・・・。
私も過去には散々と悪事に手を染めてきたから、
人様に「悪いことをするな」とは言えない。
私も物書きを始めて、
付き合う関係者を変えた。
幼馴染の関係でさえ何人も関係を断った。
嫁と入籍しても、
娘が生まれても、
断った人間は多い。
人は良くも悪くも周囲の交遊関係で人物が知れる。
私は周囲にも、
「誰々を紹介して・・・」と頼まれては紹介してきた。
幼少の頃からの、
両親の人脈、
宗教団体に加入してた頃の人脈、
暴走族、ヤクザ、獄中での人脈、
嫁の関係での人脈・・・。
で、面会後に差し入れをして、
「北千住駅から電車に・・・」と思って歩いてたら「↓」が・・・。
先達てキャンデーズのスーちゃんは死去したが、
実家は「つり具屋さん」で、
少年時代には、
スーちゃんと同じ学校にも友人がいた。
彼は私らと青山通りで衝突して、
相当な事件になってしまった深川の「影」という暴走族チーム出身で、
お互いに暴走族を引退後も親しく交流していたが、
今は何をしてるのかな?
北千住の極悪とも一緒に日光へ行ったり、
そうした懐かしいことの思い出が、
頭の中に浮かんでは、
私の政治団体「愛心会」の活動目的でもある暴力団離脱者前科者支援・・・。
面会に行ったのも同様な人だが、
まだ私は恵まれている方かも知れない。
なかなか次の新刊が出る、出ないが、
待ちの状態は続いてるけど、
私は人に「何故、売り込み回りをしないの?」と聞かれるが、
「実話時代さんで連載を書かせて頂いているし、
売り込み上手ではないから・・・」と答えている。
私は私なりの生き方を貫きたい。
次々と知人は逮捕か、
体調を崩し、
死去するが、
あくまでも私は死ぬまで中野ジローとして生きる。
政治活動もボランティアみたいなものだが、
それで何かしらの答えは必ず出ると信じたい。
又、出すように頑張るのみである。
では、今後とも宜しくで~す!!!