癒えてしまうと

途端に手の平返して

いいよ、いいよ

そういうことあるよね

と言い出す自分を

ひどく恥ずかしいと思いますが

心は穏やかです




私の潜在意識はどうやら

母に傷つけられたと主張するのが

大好物なんです


擦りに擦ったハナシがこちらです

⇩ ⇩ ⇩ ⇩ ⇩


✍️母に優しくなれないのはこんな気持ちからでした


この話を飽きることなく

何度もまゆんさんに

聞いてもらっていたある日、


「トキコその話よくしてくれるけど、

本当のところは少し違うと思うねん」


と言われてパニックでした


え?え、え?え?え?ちがう?


まゆんさんは私の訴えを
何度も何度も聞いてくださって
あれ?当時我が家に居ましたよね?レベルで
淡々と多面的で多角的な見解を
話してくださったんです

それは、母目線での解釈でした


母の立場になって考える

という基本的なところが

全く見えないほど

自分の気持ちしか

見ていませんでした


傷つけられた設定で

愛されていない不服を

ネチネチ口調で

ずっと訴えていた私


それがとても恥ずかしい

そして変なんですがとても嬉しい


✍️師匠まゆんさんのブログ


時空空間を越えて

まゆんさんの言葉一つ一つが

当時、痛くて苦しくて

今すぐどうにもならない母に

ピタっと寄り添ってくださって

お話を聞いている内に

助けてあげられなかった母を

助けてもらえた気持ちになって

私の深いところにある何かが

確実に癒え始めました


子どもだから感じることがいっぱいあるのに

子どもだからしてあげられないことが沢山あって

その悔しさや惨めさを言語化できないから

可哀想な私として認識して

状況を受け止めようとしたのだと思います


母は我慢と責任感が強くて

弱音を吐かない強い人という印象があります

週6で朝から晩まで働いて

4人の子育て、祖母も含めて

毎日7人分のご飯を作らなきゃならない


生活に追われる王道を行く母は

自分が怪我をして

生活が上手く回らないことに

責任を感じでいたのかもしれません


家まで帰ってくるのも

大変だったろうに

実家は階段が心臓破りの傾斜なので

二階まで上がってくることは

とても苦痛だったと思います


自分を責めているところへ

末っ子の私が夜に家を飛び出して

隣町の神社に行ったことを聞いたら

自分が子どもにそうさせたと

捉えてしまうかもしれません


母は身も心も限界だったのだと思います


何か張り詰めていたものが切れて

口を開いたら痛みも相まって

思ったより大きな声が出てしまった


そう見ると

母がしんどい時に

ダル絡みしたってことじゃないですか


え、待ってめっちゃダルい


私が母の立場だったら

めっちゃ嫌だもん

我が子だからとか

子どもの気持ちとか

そんなのわかりきってるけど

お母さんしんどいの!ってなります


母を思いしたことを

喜んではもらえなかったけれど

母は私を大切に思ってくれていたのだと

まゆんさんのおかげで

腑に落ちる感覚を体験できました


こうした親子間で起きたことを

傷ついた記憶として持ち続けると

現在の選択もその傷に触れないように

または、傷に傷を重ねるような選択を

繰り返してしまうことがあります


そういったことから

なぜ今私たちが生きているのかという命題まで

その答えが実は第1回目の座学で解き明かされるのが

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今さっき調べましたら

実家から神社まで

Googleマップで11分でした



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