200111日。年越しは外で行なった。もちろん、こっそり寮を抜け出して、である。友人達数名と。暖をとるため、代々木のゲームセンターにて。








(夕日もいい。日沈宮というものが島根の日御碕神社にあるらしい。神宮と対をなす存在なのだそうな。今年こそは島根に行ってみたいものである。)







 年越しの後、その足で明治神宮に移動して初詣を済ませる。その後はなぜか新宿に大移動し、ボーリングをして集中力を養いながら新年の喜びを表現する。明るくなって来た頃、最後の「席取り」をしに代ゼミへと向かう。










 正月元旦講演会。その名の通り、元日から講演会が行なわれる。ま、担当講師による激励会である。英語が西谷昇二先生、古文が吉野敬介先生、数学もあって、荻野暢也先生であった。元旦から出席するのは苦ではなかったし、むしろ楽しいことだらけであったのだが、講師から見れば、正月早々教室に引っ張り出されるわけだから、大変だったろうなと、大人になってからは思う。









 場所はホームグラウンドの63B教室。席取りの列に並んだかいがあり、前列を陣取ることができた。どの席で受講しても変わらないのだけれども、そこは「景気づけ」である。ここまできて後ろの席で受けたのではなんだか勢いが削がれてしまうじゃないか。63B教室の最前列で授業を受け続けたのだ、最後までそうしていたい。そのために、席取りをするために、寮を抜けて代々木近辺で夜を過ごしたのである。









 席取りが終わった後、さすがに空腹を感じて牛丼太郎からテイクアウトをした。牛丼太郎。略して「牛太」。筆者の浪人時代を支えてくれた。当時の筆者はこの味にハマってしまい、吉野家を食べても松屋を食べてもピンと来ることはなく、この立ち食いの牛太を食べると少々嫌なことがあっても笑顔になれた。牛丼も美味しかったけれども、朝限定の納豆丼は今でもヨダレが出てきてしまうほどに美味しかった。大学に入ってから、その味を再現しようと何度もトライしたけれども、どうしてもそうならない。決め手は出汁醤油なのだろうし、別に凝ったものではないハズなのだが、どうも再現できなかった。今はもう無くなってしまったようだけれども、当時の代ゼミ生の主食であった。




(木村拓哉さんのインスタで餃子鍋が取り上げられていた。新年早々その御神徳にあやかるため我が家でも餃子鍋になったのだが、色合いがとても硬派である。)







 迫り来る眠気と戦いながらの元旦講演会ではあったが、さすが百戦錬磨の人気講師達である。浪人生は盛り上げられて、素直に激励されて、そうやって送り出された。破魔矢とお札も配られた。当時の理事長が神主の資格があるとかないとかで、そういったものも配ることができたと聞いた。