そういうわけで、ようやくバスケットボールの話に戻ってきた(続いています)。先輩に誘われて仁王ミニバスでバスケットを始めた。週に一回仁王小学校まで行って練習をするようになった。毎月のお小遣いでポカリスエットを買って、それを意気揚々と持参した。ミニバスの先輩方が「熱血飲料」という真っ赤な飲み物を持ってきたらそれを真似して水筒に熱血飲料を入れて持参した。缶の熱血飲料をストロー付きの水筒に入れて持って行くのだ。いやはや自分のことながら健気で可愛らしいじゃないか。




(知人と歌舞伎の話になった。筆者のイチオシは6代目中村右近であることを伝えた。筆者が初めて見た歌舞伎は1994年の6代目中村右近の義経千本桜である。中村右近の狐忠信を見ることが出来たのは運が良かったと言うほかない。次回作は盟三五大切であったが、不祥事がバレて捕まっちゃったのだ。)





   3年生4年生5年生6年生中学高校の途中までずーっと続けた。この頃からちょっとずつNBAに興味を抱き始める。ちょうどシカゴブルズが第一次黄金期を迎える頃。マイケルジョーダンを筆頭に、スコッティピッペン、ホーレスグラント、BJアームストロング、ビルカートライト、ジョンパクソン。ブルズの第一次三連覇真っ最中である。






   ところで、最初はどんなシューズを履いていいものかわからず、なんとなくスポーティな靴を桜山神社近くの靴屋さんで買ってもらった。しかし、使っている最中に大雨に濡れてしまい(体育館でやっているのに)、濡れたままスーパーの袋に封印して放置していたら、なぜだかそのお靴からシューマイの匂いがしてきてしまって、見て見ぬ振りを続けたらいつの間にか処分されていた。



(久しぶりに神戸に出かけた。元旦以来の神戸らーめん第一旭元町店に行く。調子にのってCラーメンを頼んでさすがに胸焼け、気持ち悪くなった。いかんいかん、こんなことしている場合じゃないんだ。仕事を探さないといい加減怒られる。)





   その後は色気づいて、バスケットシューズなるものも買ってもらう。最初に買ってもらったのはミニバスで団体注文した、布製のバスケットシューズ。確かアシックスで青いラインが入っていた。でもすぐに穴が空いてしまって、「布じゃなくて革がいい」ということで、わけもわからずKappaというメーカーの紫があしらわれたシューズを買ってもらった。母もわけもわからずいろいろ調べてくれたのだろうと思う。






   その後、もっともっと色気づいて、エアジョーダン8を買ってもらう。「やっぱりバッシュはナイキだぜ」というワガママから、まあいろんなバスケットシューズを買ってもらった。うーん、格好ばかり気にして肝心のバスケットの力量は甚だ心許ないのだけれども、それでも背番号6を背負い懸命にプレーした。






(動画がどうのこうのという新機能がついたようなので貼り付けてみた。これが新機能かどうかはわからない。ブログのネタを探しに出かけたのだ。近いうちに「さんぶらの聖地」をそれぞれ紹介させていただこう。)





   この背番号6というのがあまりにもカッコいい。もちろん、背番号6というのはまぎれもない、ミスター三冠王・落合博満の背番号である。だから、筆者はこの番号を誇りに思っていた。世は10.8決戦の真っ只中であって、落合晩年の巨人3年間、筆者はいつもプロ野球中継に熱中して、落合をずっと応援し続けた。





   おっとっとっと、バスケのことを書きたいのに野球の話になってきてしまった。