「生目の神さま 九十九字ふしぎ屋商い中」

   霜島けい  光文社時代小説文庫

を読みました。



「ぬり壁のむすめ」から9冊めとのことです。


死んだ時に、ぬり壁の妖怪になってしまった父親がついているの主人公のるい。

ひょんなことから、ふしぎを扱う九十九字屋に奉公することになります。


今回は「福の石」と「生目の神さま」の2話。


「福の石」では、九十九字屋主人 冬吾の兄 周音から香り袋をもらったことが発端になりました。


実は魔除けの香り袋だったのですが、るいはとても喜び、冬吾にも報告します。

そのあとは…お読みください。


るいは奉公人ですが、暮らしに困ることなく暮らしています。でも、持ち物は少ないのでしょう。もらった香り袋をとても喜び大事にします。


今のなんでもある時代、モノに囲まれているので、るいのように、香り袋のような小物を大事には思えないと思います。


何もない時代はイヤだけれど、「モノを大事に思えないくらいモノに囲まれた暮らし」はどうなんだろう…と考えさせられます。


「生目の神さま」も、寿安という按摩さんの目を神さまが人に貸して寿命をもらうという話です。寿安は「損料屋のようでございますね」と神さまに言っています。


損料屋というのは、江戸時代に日用品や衣服などを貸し出す商売のことだそうです。


江戸は多くの人が長屋暮らしで狭いのと、火事も多かったから、そういう商売が成り立っていたそうです。

リースやサブスクとかも近いかもしれませんが、本当にいつも使っているものまで借りていたので、自分のモノになるということが少なかったのかもしれません。


今の自分の生活を考えさせられます。